くまもん

 元保護司 田尻幸子先生書簡集


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田尻幸子先生

履歴:水俣市百間町在住 水俣製氷株式会社役員
   昭和24年熊本県立第一高等女学校卒業

 これまで保護司、民生委員等として、永年にわたり更生、福祉活動に携わってこられました。この間40年にわたり「熊本自営会」(刑務所から出所した人たちが、一時的に暮らす保護施設)に、魚や肉などの食材を自筆の手紙とともに毎月提供され、その活動は今日も続いています。これらに対し、熊本市長賞、水俣市長賞など多くの感謝状が寄せられています。
 このページを借りて、そのお手紙を毎月ご紹介します。



2020/07/30 掲載

何事も善意に受け止めよ  平成十九年八月号

お元気ですか。暑い日が続きますね。赤トンボが飛んでいます。熊本在住の娘が、お寺参りの為お花を持ってきました。私も仕事が終わってから一緒にお寺参りをいたしました。御先祖のお蔭で今の私が生きている。有り難うございますと、一人一人の位牌に手を合わせました。
「何事も善意に受け止めよ。」この言葉は、亡母の唯一の教えでした。笑顔の中にも真面目に私を見つめて話してくれた「何事も善意に・・・」の声が甦りました。歳月は過ぎても、まだ亡母の導きを受けている私です。
 それは、二男を出産した時のこと。障がいを持ってうまれてきた二男に私は打ちひしがれて、すっかり心が捩れ、暗くなってしまいました。そんな私を見かねて亡母は、あちこちの病院に二男を抱いて、私と一緒に走り回って支えてくれました。でも私は、昼間二男をおんぶして外に出ることすら苦痛で、毎日この不遇を、世を恨みました。
 そんな私に亡母は、
 「何事にも最善を尽くせ。何事も善意に受け止めよ。」と諭しましたが、障がいの子を産んだのに、それを善意に受け止められるかと心の中で反発し、その言葉が理解できませんでした。
 しかし、あちこちの病院を駆けめぐるうちに、世の中にはもっともっと厳しい不幸を背負っている人が多いこと、障がいに負けず一生懸命に生きている人々のいることを知り、そうだ、日頃から傲慢に暮していた私に、神様が二男をお与えになったのだと思うようになりました。私よりもっと辛く無念なのは、障がいを背負った二男なのだ。この子の命を精一杯生かしてやらねばならぬ。「恨む」とか「悔やむ」とかにくよくよしていられるかと思いました。
 成長するに従い、二男は、病院通いは続けながらも、人並みにはならずとも、何とか小学校に通い始めました。お友達が二男の手を引いて通学の手助けをしてくれる。近所のおじさん・おばさんも、当たり前の事としてやさしく接してくださる。二男を背負って親子心中しようとした私は、誠に鬼であったと反省。人々の当たり前の親切に感謝しながら勇気づけられ、二男と共に私も成長してゆきました。
 亡母に「お蔭様で二男も元気で我が家の工場で働いています。と報告し、改めて亡母に深く手を合わせて寺を出ました。
 私たちは、社会の中で社会の人々のお蔭で生かされています。ならば、二男も自分の能力で出来ることで恩返しをせねばと、老人家庭や病気で歩行不自由な人たちの「ゴミ捨て」の手伝いをするようになりました。
 大きなこと、立派なことは出来なくてもいい、社会の人々に感謝して生きてゆくことが大切なのですね。
今やっと解った「何事も善意に」という亡母の言葉と、亡母の笑顔に深く感謝です。
 皆さんも、ご先祖から戴いた大切な命を大切に励んで下さい。
 寮の先生、調理の先生に感謝して、一日平穏に暮らせることの有り難さにも深く感謝し、体調を悪くしないよう心がけて下さい。




2020/6/26 掲載

七夕願う  平成十八年七月号

 大変な暑さですね。日頃多忙に追いまくられて、庭は雑草が生い茂り、荒れ放題。今朝、夜明けに草取りをしました。
 朝露で足元はじっくりと濡れながら、草陰の虫の音にうれしくなり、久方ぶりに自然の中にいる自分に感動さえ覚えました。ほんの僅かの草取り後、まだ人も少ない田舎道を車で出勤。今度は赤トンボに出会いました。何とも言えぬ自然の豊かさ、恵みに感謝しての朝の始まりです。
 七月といえば、七夕祭の笹竹が、あちこちで眺められたものですが、最近は余り見かけなくなりました。子供の頃はお星様に願い事をあれもこれもと欲張りながら短冊に書いたもので、必ずその願いはお星様がかなえて下さると信じて、笹竹にしっかりと結びつけたものです。子供心には真剣で、大切な七夕の行事でした。
 今、七十五歳の老いの身になった私ですが、七夕様の星への願い事が成就するためには、自らが一生懸命に努力してゆかねばならぬこと、お星様に一生懸命に頑張りますと誓いを立てることなのだと思い到りました。何ともお恥ずかしいことです。何と頓馬な人生を過ごしてきたことかと、星空を見上げてお星様に詫びました。もし今、もう一度お星様に願い事を短冊に書くことが許されるならば、「健康でありますように」と書くでしょう。永い歳月、健康を保つことの厳しさを身に染みて思い知らされました。不慮の事故・災難はともかくとして、ついつい自分を甘えさせ、我が儘な暮らしで不健康を招きます。
 健康維持は、日々の並々ならぬ心がけ、努力、忍耐であり、弱い自分の我欲との戦いです。 星空を見上げながら、今更この歳月を取り戻すことも出来ず、無性に情けなくなりましたが、今からでもいい、素直になって、自分の欠点を修正してゆきましょうと心を新たにした七夕でした。
 皆さんもそれぞれに目的、希望、願いがあるでしょう。何よりも自分の人生です。たとえ失敗しても、健康があればやり直しも出来ます。健やかな体・健やかな心で、日々を朗らかに素直な心で暮らしてゆきましょう。困り果てた時は、寮の先生方に教えを受けましょう。何事も自分の為と努力しましょう。
 寮の先生方のご指導に感謝致しましょう。調理の先生も、皆さんの健康管理の為、一生懸命に食事作りをして下さいます。そのご苦労に感謝を忘れずに。
寮生の皆さん達と仲良く、また社会の一員として励んで下さい。




2020/6/25 掲載

無事が何より  平成十九年六月号

 お元気ですか。一年も半分が過ぎますね。
 当地の名産の玉葱の収穫で賑やかだった畑が、もう水田となり、早苗も根付きました。穏やかな水面は、空や山、木々の姿を映し、折々の風に早苗も揺れ、水田の景色も揺れ動きます。水田に思わず手を合わせ、今年も無事でこの美しい水田風景を眺めることが出来たことに感謝します。自然は、一年中雨や風、太陽の光によってすべての生命を支え、守ってくれるのですね。
 毎日通い慣れた道。自然の風景が、もし一年中同じであったらと、ふと考えました。きっと私達は、喜びも発見することなく、気力を失うのではないかと思います。
 雨の恵みで木々も緑に輝き、日が照れば植物も花開き、実を結ぶ。空飛ぶ鳥達も木の実を啄ばみ、天空を飛びまわる。春夏秋冬、それぞれが私達の命を支え、喜怒哀楽を与えてくれる。誠に天地自然の恵みは、私たち生命の源ですね。
 季節はそれぞれに別のようですけれど、冬を耐えて花は開き、初夏の薫風で新緑は輝き、梅雨は山野の草木の命を養い、真夏は太陽の光を存分にあたえ、それぞれの稔りを促進させ、人や動物の糧となる実を結ばせます。冬はまた、自然の植物の力をじっくりと養う期間。季節は別々のようでも、こうしてきちんと繋がり合って、支え合っているのですね。
 私達も日々、喜怒哀楽、さまざまの問題にぶつかり合って生きています。父ありて、母ありて、この世に生を受け、どれ程多くの人々から支えられ、生かされてきたことか。決して自分一人で生きているのではないのです。
 先日、数年ぶりに昔々の女学校の同窓会に出席いたしました。若いつもりでも杖をついて歩く友人もいました。それに、早くも天国に召された友人達が年毎に多くなり、心が痛みました。今こうして旧友に再会出来たことに感謝一杯、これからの互いの健康を念じたものです。戦時中の食糧難を語り合い、よくぞ生き延びたものよと、天国の恩師に手を合わせました。
 今日一日無事に暮せたことが一番有り難い。だからこそ一日一日を大切に、自分に正直に生きてゆかねばならない。それが多くの人々に生かされてきたことへの恩返しだとしみじみ思いました。
「田んぼの早苗」が黄金色の稲穂になる季節もすぐにやってきます。私たちの血と肉となる、命となる「お米」になります。稲の生長に負けないように、私達も風雨や苦難に負けず、励みましょう。
 水田の水も豊かな熊本の町。日々の暮らしに欠かせぬ「水」も宝物です。大切に使いましょう。



2020/4/30/ 掲載

亡母の教え  平成十八年五月号

 五月は野も山も草木がぐんぐん伸びて、若々しい勇ましさを感じます。
それに「子供の日」、続いて「母の日」もあり、五月は生命の芽生える月ですね。
私もまだ若い等と呑気に考えていましたら、何時の間にやら亡父が他界した年齢に近づいています。今更に、何とて孝養いたさず、親不孝者であったと亡母に詫びます。
 育ち盛りの頃は戦時中で、芋の一つも貴重品であり、それもなかなか入手できず、亡き母は箪笥の中から自分の大切な着物・帯等持ち出して田舎の知人を頼りに、その着物と、野菜やわずかな米とを交換し、リュックに背負って汗だくで帰ってくるのです。さぞさぞ辛い日々であったろうと、私も年を重ねてやっと母の辛苦を思い知るのです。貧しくとも、空腹であろうとも、母は、「武士は食はねど高楊枝」等と申して、涼しい顔をしていました。
 そんな亡母の言葉を、今も三つだけしっかり覚えてます。
一つは、「人の悪口を言うでない」です。私が友達や隣人の悪口でも言いますと、人の悪口・雑言は、天に向かって唾を吐くも同じで、自らにその唾は落ちてくると諭しました。
二つは、「愚痴をこぼすな」です。何事も気に入らぬと、不平不満の愚痴を言う私に、口を尖らせて愚痴を言う姿は、自分の品位を落とすばかりだ。気に入らぬ事もよくよく考えてみなさいと注意。
三つは、「何事も善意に受け止めよ」と教えられました。
 子供心には亡母の教えが理解できず、貧しくて辛くて腹ペコで何が善意だ、善意に受け止められるかなんて内心不満でしたが、社会人になり少しずつ亡母の言葉が解るようになりました。失敗も、また辛さも、すべて我が身の有り難い学問の一つであったのだと。人間としての道であったのだと。
 永い歳月を経て、やっと亡母の言葉を有り難く大切に思うようになりました。
 皆さん、母から、いや、先祖から受け継いで戴いた一人一人の命・体です。先生方に教えを戴きながら、世間に恥じぬ人として励んでまいりましょう。それが「母」への最高の孝養だと思います。




2020/3/25 掲載

「すべてを素直に受け止めて」  平成十八年四号

 お元気ですか。
 心待ちにしていた桜の花。今年は一段と美しいなと眺めながら、どうか来年も無事でこの桜と会えますようにと欲深く念じるのも、我が身の老いを感じたからでしょうか。
 自然界の営みは一刻の休みなく、さまざまの命を誕生させ、また枯れさせてゆく。まさに生と死は、切っても切り離せぬ存在。生死一如ですね。
 一、年をとりたくなくてもとってゆく(生)
 一、衰えたくなくても衰えてゆく(老)
 一、病気にかかりたくなくとも病気になる(病)
 一、死にたくなくとも死んでゆく(死)
 この四つの言葉を身に染みて感じたのが、昨年の出来事。私事で恐縮ですが、昨年主人が病で倒れたからで、「死」こそ免れましたものの、これが人間の姿「生老病死」でした。
 若い頃から健康で、一生懸命に働き通した主人の病は、歩行困難、言語不明瞭等々、その症状に私が混乱、仕事と家庭のリズムが狂って疲労困憊、食欲不振となり、毎日点滴しながらやっと体力維持の状態。魂の抜けた私に気力と喜びを与えてくれたのが、この桜の花でした。青い空に満開の桜を見上げ、自然界の不思議な力を感じました。
 そうだ、私もこの花、草、虫や小鳥たちと同じ自然の生き物だ。同じ命を戴いているのだ。花は何も言わず、ひたすらに美しく咲いている。くよくよと思い悔やむ私が情けなく、恥ずかしくなりました。桜だって厳しい風雨を受けて、それでもこんなに美しく咲く。精一杯自分の命を輝かせている。
 私は全てを素直に受け止めようと思い知らされました。病も、当たり前の人生の道ではないか・・・自分の今出来る限りの力を出して、主人を支えてゆこう。それが生きてゆくということなのだと桜に教えられ、急に目の前が明るくなりました。
 つばめも飛んできて、巣作りを始めました。「時、人を待たず」です。暗いトンネルから抜けられたのも、自然界の生き物達のお蔭です。欲を出さず、「今」を素直に受け止めて、コツコツと仕事を果たしてゆかねば・・・。
当たり前のことなのに、やっと気がついた私です。
 みなさんも、生きてゆく日々、さまざまの出来事に出会い、悔やんだり困ったりの日もありましょう。寮の先生方のご指導は、すべて自分の生きてゆく為の大切な道標です。辛抱してお励み下さい。




2020/02/29 掲載

「休息のとき」  平成二十年三月号

 お元気ですか。あちこちから桜の便りが届きますね。何時の間に春になったのだろうかと、私はハッと我に返りました。
今少しばかりペンを持てるようになった私ですが、ある日突然、全身、特に両肩から指先迄激痛に襲われて、起き上がれなくなりました。シャツを着ることが激痛、事務整理も激痛、炊事すら出来ぬ。・・・病院に駆け込みました。診断は極度の心身疲労とのことで、今一生懸命治療中。何とかペンを持てるようになりましたが、人間の体は正直です。何だこれしきのことと、ついつい心身を酷使しすぎたようです。考えてみれば睡眠時間も毎夜二時間だったなと我ながら驚いています。
 人間の肉体・精神は「いのち」の働き場です。やらねばならぬと必死でこれを酷使し、疲労させては「命」に対し誠に申し訳ない、身勝手な過欲でした。それはかえって周りの人々に大変迷惑をかけてしまいました。
 自然界には、冬の休息があって初めて春の躍動があるごとく、人間も時には一切の取捨分別の心を止めて、休息することが大切なのですね。
 「休息」することは、怠けることと勘違いして、私は亡夫から引き継いだ仕事を全うせねばならぬと、がむしゃらの日々でした。もう若くはないことも考え、一日一度は静かに身も心も休ませなければならぬと思い至りました。この有様では私の心に春は訪れません。
 皆さん、一つだけの大切な命です。そして、その命は、周りの人々から、自然界から支えられている命なのです。考えてみますと、命は自分の命であり、自分一人の「もの」ではない。ご先祖様から戴いたかけがえのない尊い命なのです。野山に草木の花が咲くように、私達も心の花を咲かせる豊かな心を持ちましょう。
 寮生の皆さんのお蔭で、私も活力が湧きます。有り難いことだと感謝します。
寮の先生方のご指導を戴いて励み、巣立って下さい。




2020/01/30 掲載

「無駄もありて 六十路の暮を生かさるる」  平成十八年二月号

 三寒四温で春が近づきますね。自宅前の中学校に通う生徒さん達の登下校時の元気な挨拶に励まされます。生徒さん達の、事故なく健やかな成長を願わずにはいられません。
 子供達を育てる頃は、私も若かったし、少々の労働にもへこたれなかったなと、当時を懐かしく振り返ります。
 仕事片手に、舅様の看護、姑様の認知症状には目を離せず、トラックに乗せて仕事をしていたもので、毎日てんやわんやでした。
 当時はまだ老人介護の施設もなくて、冬空の星を仰いで舅様のオシメ洗いをしていたなと懐かしみ、・・・それよりも辛かったのは、病弱で生まれた二男を育てることだった等々、次々に想い出されます。
 熊本に所用で出掛けると、必ず恩師宅を訪れるのが唯一の楽しみであり、他愛もない私のお喋りを、「ふん、ふん」と聞いて下さる、唯それだけで心が安らぎ、元気が出たものです。
 還暦を過ぎても一向に成長しない教え子の無駄話。ある日、やはり恩師宅を訪れた私は、
「やっぱり学校時代の不勉強の罰当たりで、結婚以来事業の借金に追われ、寝たきりの舅様、認知症の姑様、重ねて病弱の二男に希望すら見出せず、何度となく親子心中を思い詰めたけど、なかなか死ねるものではない。寝たきりの舅様の為に、日当たりのいい家も建てたし、とにもかくにも男に負けじと、汗まみれの歳月。三人の子供も、どうにか育て上げました。先生、人生とはこんなものですか。人生とはこれだけですか?」
私は心がからっぽになったようで、吐き出すように一気に話し終えていました。
 恩師は、じっと私を見つめ、静かに、
「いい事に気がついたわねぇ。」と一言。いつもなら「いい事」とは何ですかと尋ねる私ですが、そのときの先生の真剣な眼差しドキリとして、声が出ませんでした。
 それから、仕事の折とかふとした時に「いい事」とは何のことだろうと想い出すものの、答えが解らず一年が過ぎました。
 その年の暮れ、明日は正月だと、舅様の髭剃り、散髪をして、これも上達して手際よくなり、姑様は子供同様で、ニコニコして私の後ろから掃除の手伝い。その時、ひょいと私の頭に浮かんだのが、
「無駄もありて 六十路の暮れを 生かさるる」の十七文字でした。
 これには我ながら驚きました。俳句の世界なんて及びもつかぬ労働の日々に、この十七文字は大変不思議だったし、何故か心がほぐれてきたのです。
これまで「私が、私が、」と、まるで自分一人で頑張り通して生きてきたのだと自負していた。いやこれは大変な間違いだったのだ。舅様も姑様も、人間の生き行く姿、人の命の尊さを教える為に、私の為に一生懸命生きていて下さるのだ。また、二男も、能力は人並みではなくとも、立派な命を与えられて生きているのだと。すべてが、愚かな私の為に命の尊さ・重さを学ぶべくお与え下さった、神様の有り難いご配慮だったのだと・・・。恩師への年賀に、この十七文字を書き添えました。恩師から返事が届きました。
「やっと解ったわねえ。」と書いてありました。
恩師は、「いい事」が何であるか、私が答えを出すまで、「いい事」に気がつく日迄、一年間ずっと待っていて下さったのだと涙があふれ、手を合わせて恩師に頭を下げました。恩師とは、このように深い、広い心で教え子を導いて下さるのですね。
 少し長々と書いてしまいました。寮生の皆さんも、常に多くの人から支えられ、生かされているのです。唯それに気づかないこともあり、失望したり迷ったりするものです。
 自分の大切な命は、自分の命でありながら、決して自分一人の命ではない。こうして社会の中の一人として、多くの人々から支えられ導かれている命です。戴いた命をどうか粗末にしないようお励み下さい。
 まだまだ私も、これからどんな教えを戴くか・・・。恩師はすでに他界されましたが、私の心の中に生き続けていらっしゃるのです。
 舅様も姑様も他界されました。「生老病死」の人間の姿をしっかりと教えて下さいました。本当に有り難い歳月を私は生かされているのだと感謝します。
 寮生の皆さん、風邪を引かぬようご注意下さい。




2019/11/28 掲載

「ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ」 平成十七年十二月号

 寮生の皆様お元気ですか。寒くなりましたね。こちらでは霰が降りました。
 皆さんどんな一年でしたか。禍い事もなく、元気で暮らせましたか。一人一人が目標を持ち、それぞれの出来事を積み重ねての一年間だったことでしょう。たとえ目標達成が果たせなかったとしても、無事に日々を過ごせたことが、何よりも有り難いことですね。
 私も何時の間にか七十四年間の悲喜こもごもの歳月を振り返り、よくも無事に生きてきたもんだ、やれ有り難やと思っていた矢先、永年使い続けた右手の指二本が、くたびれ果てて、手術の羽目となり、随分痛い目にあいましたが、回復いたし、ホッとしたのも束の間、今度は八十一歳の主人が倒れたのは、まさに青天の霹靂(へきれき)でした。
 退院後、まだ足は不自由ながらも、健康管理に心がけるようになり、リハビリに励みながら自分の役職をきちんと果たすことに努力中です。
 主人の入院中は不安一杯で、看護と仕事に追われ、形相も変わってしまった私ですが、その間、一分の雑念も入り込む隙がない厳しい日々でした。業務もまた、男手が欲しい作業も、工夫してやり抜けたし、こんな荷役をよく果たせたものだと驚く有様で、これこそ火事場の馬鹿力だなと、肩で息をしつつ頑張り抜きました。
 これ迄、特に最近は、もう老いたからとか、女だからとか言い訳をして自分を甘やかしていた私を見兼ねた神様が、大きな試練を与えたのだと思います。
 皆さん、若かろうが老いていようが、人生は本当に予測のつかぬ出来事ばかり。だからこそ人は強くなる。智慧も生まれてくる。そして、一日一日の大切さがしみじみ解ってくる。と同時に、決して一人で生きているのではない。自然の恩恵、長年築かれてきた社会的基盤、人はそれらの存在に支えられ生かされてきたのだと解ってくる。どんな事態に遭遇しようとも、へこたれない意志力、事態を乗り切る正しい知恵、そして素直な心が大切。その為に自分で自分を励ますことだと思います。
 七十歳を過ぎて教えられた多くのこと。辛い思いもしましたが、試練を与えてくださった神様に感謝した一年間でした。
 今こうして寮生の皆さんにお便りが書けるのも、寮生の皆様のお蔭です。寮生の皆さんから勇気と元気を与えられた一年間。御陰様で無事に過ごすことが出来ました。本当に有難うございました。
 ますます寒くなるでしょう。くれぐれも風邪を引かぬようご注意ください。
 追伸
「ただ今日まさに作(な)すべきことを、熱心になせ。」
 主人の病気で教えられた生きかたでした。
 



2019/10/29 掲載

「教育勅語に学んだこと」 平成十七年十一月号

 朝夕は、冷え込むようになりましたね。
 昨夜、所用の帰途、街灯の少ない田舎道を心細く車を走らせていましたら、突然現れたクリスマスツリーの飾りが、一軒の家の前に輝いていました。思わず車を止め、感動して眺め入り、もうそんな季節になったと知りました。
 お子さんの為に、お父さんお母さんが、一日も早くとクリスマスツリーを飾り付けられたのかしらと、心から温かくなり、私も存分に喜ばせて戴いた夜でした。
 私共の子供時代には及びもつかなかった豊かで華やかな社会になったなと、これまでの歳月を感慨深く懐かしみました。今は物忘れの多い老婆になりましたが子供時代の記憶はしっかりしているから不思議ですね。
 皆さん、今日はその昔話を少しお話しいたしましょう。
 私共の子供時代は、大方の家庭が井戸端の手押しポンプで水を汲み上げ、炊事、洗濯(もちろん、盥[たらい]でゴシゴシ洗う)は、大変な労働でした。学校から帰ると五右衛門風呂にバケツで水を運びます。(これもポンプ押しが大変)風呂沸かしの為の薪割りの手伝いもしていました。
 小学校では、上級生になると、教育に関する教え「教育勅語」を覚えねばなりませんでした。これは、子供には解りにくい、難しい文章でしたが、ともかく一生懸命に暗唱したものです。何故なら、先生から叱られるからです。単純ですね。授業の一時間目、教室で、皆直立不動で「教育勅語」を元気よく唱和していました。当時はさっぱり解らなかった教えの言葉も、大人になってから次第にその文言が理解されるようになりました。
 その教えの内容は十二の徳目で作られています。

一、父母に孝(親や先祖を大切にしましょう。)
二、兄弟に友(きょうだい仲良くしましょう。)
三、夫婦相和す(夫婦は仲むつまじくしましょう。)
四、朋友相信ず(友達はお互いに信じあいましょう。)
五、恭倹己を持す(自分の言動を慎みましょう。)
六、博愛衆に及ぼす(広く全ての人に愛の手を差し伸べましょう。)
七、学を修め、業を習う(勉学に励み、職業を身につけましょう。)
八、知能を啓発(知識を高め、才能を伸ばしましょう。)
九、徳器を成就(人格の向上に努めましょう。)
十、公益を広め、世務を開く(広く世の人々や社会の為に尽くしましょう。)
十一、国憲を重んじ、国法に遵う(規則に従い、社会の秩序を守りましょう。)
十二、義勇公に奉ず(正しい勇気をもって、世の為、国の為に尽くしましょう。)
 以上、十二の項目ですが、こうしてみると、明治二十三年に作成されたこの教育の教えは、現代にも立派に生きる人の道の教えだと思うのです。
 日進月歩の文明機器に囲まれて、便利な暮らしになっていても、やはり一日は二十四時間、人の体は、両手両足二本ずつ、昔と何の変わりもありませんね。戦中の辛い時代を生き抜いて、ひたすら働いて、あっという間に七十四歳の老婆。これが人生ですけれど、今更に子供時代のこの考えの深さに思い至り、今後いつまで与えられる寿命か解りませんが、小学生時代に覚えさせられた教えを、有り難く、大切にしっかりと踏まえて、一日一日を暮らし抜かねばと思います。
 心はすっかり小学生に返り、一二の徳目を声に出しながら、日本の言葉は誠に美しいと感じ入ったものです。
 秋の夜長、皆さんのお爺さん、お婆さんも、当時の小学生時代に学ばれた教えです。  今日は一人勝手に老婆の昔話を書いてしまいました。



2019/9/30 掲載

 再び「縁」について  平成十八年十月号

 釣瓶落としの秋の夕暮れ、心急いで仕事を終えての帰り道、真正面に、赤々とまんまるの夕日。海面を染めて神々しい大自然の姿。思わず手を合わせて拝みました。胸が熱くなりました。私達のご先祖達も、この夕日を眺め、きっと同じように手を合わせて、
「今日も一日無事に働くことが出来ました。有難うございました。」と、天地自然の恵みに感謝して、日々の作業に勤しまれたであろうと思います。
 昨今のニュースによると、国力の示さんとするのか、化学兵器の実験が行われているとのこと。人間の知力、財力にて武器を作ることは出来ても、この素晴らしい、神々しき太陽の輝きを作ることができようか。人智の何と小さく、愚かなことかと考えてしまいます。
 日本では「錦秋」、中国では、「金色の秋」といって、収穫の秋を喜ぶと新聞記事にありました。世界中の人々がこのように大自然の恩恵で生かされている命。だからこそ各々の姑息な利益に惑わされず、世界中の人々と助け合い、喜び合って、心豊かに暮らさねばと思いますね。
 ところで、十月五日は「達磨忌」だそうです。子供の頃、目玉の大きいだるまさんの貯金箱を買ってもらったり、起き上がり小法師のだるまさんで遊んだことを懐かしみますが・・・。この達磨法師は、禅宗の初祖。大変偉い御坊さんで、立派な教えを遣わされているそうです。まだまだ私は勉強不足で、お恥ずかしいことですが。
 教えの一つに「随縁」があります。世の中は順境にあり、何時も自分の思った通りには物事は運びません。これは、その人の善し悪しの「縁」の巡り合わせによるもので、自分の力では動かしがたいものです。
 そこで、順調な時、逆境の時をあるがままに受け取り、平常の行ないを素直に「縁」に随わせて生きなさい。
そうすると、あなたの行ないは、次第に道に叶い、あなたの心も、周りも、明るく開けますよという教えです。
  皆さんが自営会に入寮され、寮生の皆さん達や先生方と出会われたことも、縁の巡り合わせであり、この縁を有り難く素直に受け止めて、自分の我が儘や身勝手を慎み、周りの人々をすべて師として学んでゆくことです。
 「よしあしを 捨てて 起き上がり小法師かな」の言葉。
 よしあしとは、自分勝手な分別心であり、自分自身の考え・行為は他人に迷惑をかけるのです。心・気持ちを中心に置き、左右(善悪)に片寄らないように、逆境で転んでも、真直ぐに起き上がれるように、素直な、常に平穏な気持ちで暮らせるように学んで参りましょう。
秋の夕日は、人々の貧富・善悪に関わらず輝いてくれます。何事も我が身の為と、辛抱努力して、寮生の皆さんと仲良く助け合って学んで下さい。
 朝夕の冷え込みに風邪などひかぬよう心がけてください。



2019/8/28 掲載

「「杖」になる」 平成十七年九月号

 お元気ですか。気がつけば、九月も残り二日間です。
 私事ながら、主人が倒れて入院以来、無我夢中の四十日余りの日々でしたが、九月八日、無事退院することが出来ました。皆様方の励ましのお蔭と深く感謝いたします。
 主人もリハビリ訓練に精を出し、「杖」を頼りに歩行も出来るようになり、自信たっぷりでの退院でしたが、一週間後、玄関先で転倒し、再び病院に運び込まれました。私は、身も心も凍る思いで検査結果を待ちましたが、幸いなことに、異常無しとのこと。主人共々胸をなで下したものですが、「杖」の有り難さ、大切さを知り、「転ばぬ先の杖」とはこの事かと、しみじみ感じたものです。
 「杖」を使って歩けるようになった喜び、「歩く事」は簡単だと思う慢心が、まだまだ不自由な体に転倒という事故を引き起こしたのでしょう。一本の「杖」と不自由な体が一体となって歩けるように、よくよく訓練せねばならぬと教えられた主人です。以来、再び躓かぬようにと、「杖」と足のバランスを考えつつ、慎重に歩を進めています。
 今私は、何の不自由もなく、考えることもなく歩いています。しかし、主人の不自由な歩く姿に、改めて、人生の躓きに備えて、日頃から「心の杖」つまり、「よき法(おしえ)のことば」を心の杖として生きてゆかねばならぬと思いました。
 行く先真っ暗で途方にくれる、そんな人生はよくあることです。そしてまた、何事にも「慣れ」「慢心」の怖さも思い知りました。何事にも慢心する事なく、一つ一つの「杖ことば」を探すこと。「習うより慣れろ。慣れたらもう一度習え。」しっかりと自分の心・体に染み込み、それが当たり前の法(おし)えとなるまで習うことです。
 この度の主人の病を看病しつつ、またこれからも続くであろう看護の日々に、私が主人の支えにならねばなりません。「杖」にならねばと思うのです。生かされている間は有り難く、たとえ不自由な体でも一生懸命生きてゆくのが大切です。
 皆さんも健康に充分留意してお励み下さい。
 



2019/07/24 掲載

「亡き人の言葉を「心の杖」として」 平成十八年八月号

  お元気ですか。暑い日が続きますね。
 八月はお盆の月。私もそろそろ亡母達が他界した年齢に近づいてきます。日頃の不精を詫びつつ、仏壇の大掃除を致します。
 盆近し ひとりひとりの位牌拭く
 この句を思い出しながら、亡母達の生前の口癖を懐かしみます。
 亡母は、「何事も善意に受け止めよ」でした。人様から謗られたり注意を受けたりすると、すぐに立腹し、不満な態度をとる私を「すべて我が身の為だ。よく反省し、我が行為・心がけを改めよ。」と諭されました。
 亡姑様は、「人の振り見て我が振り直せ」「一生終わって身の自慢」でした。人生、明日のことも解らず、さまざまの苦難あり。善きも悪しきもその人の「のさり」だ。素直に一生懸命励むこと。人の価値は一生終わって初めて解るのよと教えられました。また、亡舅様は、若い時の苦労は買ってでもせよ」でした。身近なこの母たちの三人の言葉は地味で、若い頃の私には余り納得のゆかぬ心地でしたが、年々歳々切れ間なしの苦境に立たされ、その度にこの言葉は、私の大切な「杖」になりました。戦中・戦後を生き抜いた母達の、人生の先輩なればこその人生訓です。
 以前は朝一番に工場に出て機械の大きなベルトにグリスをつけ、機械の要所に油を差したりと、男同様に力仕事に精を出したので、油まみれのゴツゴツした指になり、人様の前に両手を出すのが恥ずかしい思いでしたが、このゴツゴツの十本の指が、今日もよく働いてくれます。本当に有り難く思います。
 ピカピカになった仏壇に手を合わせ、亡母達の「言葉」が、大切な心の杖であることに感謝し、八月の盆供養といたします。
 皆さん、先祖から受け継いだ自分の命を大切に。だからこそ、人様の命も大切に。みんなでみんなの幸せを祈る事。寮生のみなさんも、仲良く助け合って暑さにへばらぬよう節制し、頑張って下さい。



2019/06/27 掲載

「社会を明るくする運動」 平成十七年七月号

 七月は一年の後半の月。特に全国一斉に始まる行事の「社会を明るくする運動」月間であり、私達保護司一同、心に鉢巻を締めての活動の日々となります。
 当地では毎年、地元の小・中学校の生徒さん達が「社会を明るくする運動」の標語作りに取り組んでくれます。選考された標語は、立て看板として、町の各所に設置され、一年間人々の目と心に触れて意識を高め、人々の暮らしを守り続けるのです。
 本当は、全生徒の作品標語を看板にしたいのですが、これには大変な経費が必要で、限られた本数になってしまい、とても残念ですけれど。
 私達は、「社明運動」の主旨に賛同して頂く為に、企業・商店・一般の人々にも呼びかけて東奔西走。今年は不況で、倒産企業や商いを閉じた商店もあったりで、心労いたしましたが思いもかけぬ救い主、善意ある人々のお蔭で目標を達成。「やはり世の中には神様がいらっしゃるのだ。」と胸が熱くなりました。こうして、子供達から大人迄、それぞれの立場で、自分の住む町を、社会を、そしてこの日本の国を、争い事のない安心して暮らせる明るい社会にするために、心を合わせ支えあっている人々の善意のお蔭で、生かされている私達なのですね。
 だからこそ、一日たりとも、あだや疎かに暮らしてはならぬと、しみじみ思い入るのです。長い保護司活動をさせて戴き、さまざまの人生訓を学び、勇気や悦びで生かされて参りました。皆さん決して一人ではないのです。
「過ぎし日を思はず。来る日を求めず。今日が一番大事」
「百段を登るも一歩から」何事も自分で歩き出さねば、一歩も進めません。自分の弱くなりそうな心を自分で励まして、努力、辛抱することです。頑張りましょう。
 今年の中学生の標語の一つに、
「やめようよ 犯罪すれば 母が泣く」
がありました。自分の命は、母ありてこそ。先祖ありてこそ。自分一人の命ではない。大切に生きましょう。
 梅雨の日々、体を大切にお励みください。




2019/05/24 掲載

「人生の苦楽は我が心にあり」 平成十八年六月号

 六月。一年の半分も残り少なくなりました。月日の過ぎる早さに驚かされます。うかうかしておられません。
 六月は「田に水を引く月」当地はほとんど田植えも終わりました。私たちはとかく我が儘で、じめじめした梅雨は不快だ、晴れがいい等と、身勝手なことばかり申します。
 私達の命を支えてくれる『米』も、まず『水田』ありてこそ育ちます。小麦・大豆等の穀物、また動物達も、水なくば成長しません。もちろん私達も、電化し発達した便利な暮らしの中、風呂・トイレ等大量の水を使用して暮らします。まさに命の水であり、自分の命が大切であれば、命を支えてくれる『水』も大切に節約して使うことだと教えられます。
 五月は、もう一つ『父の日』がありますね。『父なくば、生ぜず。母なくば育たず。』父母を縁として私達は、この世に生まれて参りました。皆さんのお父様はご健在ですか。『父』は昔から一家の大黒柱として励み、家族の中心です。改めて父の恩に感謝いたしましょう。
 人生は晴天ばかりではない。雨・風の日もあります。空から降る雨に責任はないのです。この雨を不快と受け取るか、命の水、恵みの雨として受け止めるか・・・すべての人生の苦楽は、自分自身の心の中にあるのです。世界に一つしかない自分の命です。うっとうしい梅雨もまた、命を育てる大事な人生の扉として有り難く受け止めて、日々精進いたしましょう。  



2019/4/27掲載

「寮生からのお礼状」 平成十六年五月号

 拝啓 夏本番も近づき、海へ山へ川へと、賑やかな季節になりました。田尻先生にはその後お変わりなくお過ごしのことと存じます。
 さてこの度は私達寮生の為に、キビナゴ、太刀魚、イカ、鶏胸身、無頭エビを戴きまして感謝の念に堪えません。心よりお礼申し上げます。先生の真心を無駄にしないように心に刻みます。人の真心はお金では買うことのできないものがあると思います。
 私達寮生の中には、家庭の味を知らない者もいます。田尻先生のお蔭で、少しでも家庭の味に触れることが出来たと考えます。私達も大人としての自覚を持って、一歩ずつではありますが前向きに進んでいきたいと考えています。
 また、先生のお手紙の中に、「体は命の働き場」と書かれてありました。その通りだと痛感しています。
 私達は人の意見に今迄耳を貸さず、自分勝手に生きてきた気がします。人は生きているのではなく、生かされているということを忘れず、自分を産んでくれた両親のこと、兄弟姉妹のことをいつも頭に入れて、一日一回は自分を振り返る時間を五分でもいいから持ちたいと考えています。
 最後になりますが、田尻先生に寮生を代表しまして感謝の手紙とさせて戴きます。
 田尻先生にはこれからも寮生をいろいろな角度から大きな心で見て戴きますようにお願い申し上げます。
 簡単ではありますが、これでペンを置きます。気候不順の折、お身体には十分ご自愛下さい。




2019/3/31 掲載

「社会の役に立つ人間になれ〜夫から子へ、子から孫へ」 平成十七年四月号

 寮生の皆さん、お元気ですか。「春」とは「木の芽張る」の「張る」が語源との説を読みましたが、新芽が伸び、輝き始めましたね。
 四月は入学の日。先日地元の中学校の入学式に参列しました。新入生たちも希望一杯の新芽です。保護者達はもとより、地域で活躍する人々も大勢参加し、新入生達に門出を祝福しました。子供達はこうして、学校で学び、また社会の中でも、多くの人々に守られ、支えられて成長してゆくのですね。もちろん私も、こうして育てられたのです。だから今、社会の先人達への恩返しだと、卒業式や入学式等々で子供達を心から祝い励ましています。
 ところで私事ながら孫が大学合格を果たしました。高校当時、重い病気で挫折し、苦悩していましたが、健康を取り戻し、一年発起いたしての快挙。それも「おじいちゃんが学んだ大学」を目指しての努力が叶い、悦びもひとしおでした。
「入学式で、大学の学長の『社会に役立つ人間になれ』の言葉に感動したよ」と、孫からの入学式の報告の電話でした。「刻苦光明」とは、『努力する上に努力するなら、結果は必ず光輝く』という意味。病気を克服し、努力した孫に、心からおめでとうと申しました。
 と同時に、長男の大学入試当時の記憶が甦ったのです。私共は、終戦後の混乱した貧しい日本社会で、昼夜の別なく働き通して子供達を育てました。大学受験が迫った長男を仕事の手伝いに追いまくり、人並みに学習塾へ学ばせることは、及びもつかぬ有様でした。
 いよいよ受験日が近づいたある日、主人が、
「大学で何を学ぶのか。」と長男に尋ねました。長男は、
「お父さんのように、貧乏社会の経営に苦労しているばかりでは情けない。僕は大学で学び、自分の趣味、特技を生かして、少しは楽しく生きてゆきたい。」と答えました。
 日頃から子供を叱ったことのない主人が、突然長男の顔面を激しく打ちました。
「お父さんはな、好きで苦労してこの会社を経営しているのではない。自分の趣味や、好きなことで暮らしたいとは誰しも思うだろう。お父さんは、社会の為に働いているのだ。」と。
 私もこんな厳しい主人の言葉に驚きました。そして私は、
「こんな貧乏暮らしで、何が『社会の役に立つ働き』なのか。」と内心主人に反発を感じました。しかし、したたかに打ち据えられた長男は、この時の「父の言葉」をしっかりと受け止めていたのです。その後三人の子供に恵まれ、長男も「父」となり、やがて子供達がそれぞれの大学で学び始めた時、三人の子供を前に語ったことは、
「俺は、大学受験の時、貧乏で、あくせく汗を流して働く父を詰った。しかし『「金儲け して楽をするために働いているのではない』と父に言われ、以来、父を大変尊敬している。お前たちのおじいちゃんは、そんな人だ。」と。
 孫達三人は、素直に頷いていました。
 一番の愚か者は、私だったと気づきました。貧乏暮らしに愚痴ばかりこぼしていたのは私でしたから。人を傷つけず、共に働く人々と苦楽を分け合い、支え合い、そして、少しでも豊かに暮らしてゆける社会、人々が安心して暮らせる社会に発展させてゆく為に努力する、それが主人の理念だったのです。自分の欲とか贅沢等、眼中になかった主人でした。
 孫に、長男に教えられた四月。よもや六十余年を経て、孫が同じ大学で学ぶとは・・・。 主人の心中、さぞやの喜びであろう、幸せであろうと思います。合理主義で、骨を折らず、最小の努力で効果を出すのが評価される現代社会の中、昔も今も変わりなく『社会の役に立つ人になれ』と訓示する大学に、孫もしっかり学んでほしいと願います。
 皆さんも、一人一人が大切な、たった一度の自分の人生です。歩みはのろくてもいい。つまづいて失敗してもいい。諦めず、自分で自分を励まして努力すればいい・・・そうすれば、「刻苦光明」、必ず希望の光明が輝くと信じます。 四月、皆さんもそれぞれの目標で、自分の入学式で、スタートしましょう。




2019/2/28 掲載

「弱点を克服する目標を立てる」 平成十九年三月号

 春の日差しは明るくてやさしいですね。桜の蕾も膨らみます。
「小さきは 小さきままに 花もちぬ」
 伝教大師が詠まれたように、名も知らぬ雑草のピンクや黄色の花が、互いに語り合うように咲いています。
 この小さい花達は、どうしてこんなに美しいのでしょう。きっと雑念も邪念もなく、ひとすじの気持ちで咲いているからでしょう。
「私はね、今朝もしわやしみだらけの老顔に、ペタペタと化粧したのだけれど、逆立ちしてもあなた達の美しさには勝てませんよ。せめて自らの心を磨くことに励みましょう。と、庭の小さい花達に語りかけた今朝のひとときです。
 一年間は短い。特に老いてくると一段と感じます。
 私と同年輩の人達は、それぞれの人生経験の中から、会話にも含蓄があり、判断力もあり、落ち着いた暮らしぶりに感服します。
 私は相も変わらず、一年中「忙しい、せわしい」と駆け回るだけで老いてきました。病の為に事務所に顔も出せない主人に一日の報告をしますと、必ず何か一つ二つの仕事上のミスを指摘されます。
「注意力がなく慌て者」これは、子供の頃から母達に叱られていた私の性分ですが、この老年になっても、まだその性分を直せないのです。
 春は入学・進学の季節です。もう一度小学校に入学したつもりで「落ち着いて、物事をよく考える事」と目標を立て、「注意力がない、慌て者」の性分を少しでも改善するよう努力することと、自分に言い聞かせました。
 皆さんも、何か一つ自分の弱点を見つけ出したら、それを克服する目標を立ててみませんか。一緒に励んでゆきましょう。
 これまでも、いや、これからも私の注意力の散漫が、どれ程仕事面で相手様に迷惑をかけてきたことでしょう。何時も優しく許して下さる相手様の思いやりに、「有難うございます。」と手を合わせますが、相手様は大変迷惑なことなのです。「おかげさまです。」だけでは許されぬことなのです。しっかりと心して働かねばと、気を引き締める私の入学の春です。
 皆さんも、社会の一員として多くの社会の人々に支えられています。寝食を共にして皆さんを指導される寮の先生方、毎日の食事を整えて下さる調理の先生のご苦労に、「ありがとう」の感謝の気持ちを忘れずにお励み下さい。
 



2019/1/29 掲載

「人生七転八起」 平成十七年二月号

 寮生の皆さんお元気ですか。
 寒い寒いと首を縮めていますが、南向きの山裾では、梅も椿も満開です。つい最近まで、元気ないたずら坊主の中学生達だと思っていましたのに、朝夕の挨拶も優しくなり、「高校入試です」と語る表情もきりっとしています。学生達にとっては、高校でも、大学でも、大変な試練ですね。でも、たとえ受験に失敗しても、それで人生は終わりではなく、彼らに、「人生七転八起よ」と声援を送ります。
 私は簡単に「七転八起」と励ましますが、転んで起き上がる為には、心棒が正しく座っていなければ起き上がれないのよと言い添えます。「だるまさん」も、重心が右か左かに傾いていれば、真直ぐには起き上がれないのです。受験にしろ、社会人としての仕事にしろ、その失敗挫折でいくら周りの人が心配してくれても、自分自身の心棒を正しく中心に据えておかねば起き上がれない。やはり日頃からコツコツと自分の心棒を正しく整える努力を続けなければならぬのです。学んでゆかねばならぬのです。絶望感・焦燥感に打ちのめされ、自分の無力感を体験する。悔しいと涙する。これが貴重な体験・教えです。
 皆さんも社会の中で、厳しい世相で、辛いこと・不満等も多いでしょう。しかしそれは、決して自分一人の試練ではないのですよ。誰しも失敗しつつ、耐えて一生懸命に生きているのです。行き詰ったら一人で考え込まず、寮の先生方に教えを受けて、学んで、自分の心棒を立て直しましょう。甘え、怒り、貧りで自分の大切な人生を失わぬよう、自分に厳しく励んで、正しい心棒で起き上がりましょう。
 七十三歳になった私ですが、まだまだ恥ずかしい程に失敗し、つまづく毎日です。皆さんと一緒に日々学ばせて戴き、自らを律してゆかねばと思います。頑張りましょう。
 調理の先生が、寒い朝一生懸命に作って下さる食事で、元気に、健康に励み、一日を大切に暮らして参りましょう。
 



2018/12/26 掲載

「少年老い易く・・・」 平成十七年一月号

 寮生の皆さんお元気ですか。さすがに寒いですね。
 まだ皆さんに御年賀も申していませんでした。すみません。
 新しい年を迎えることは誠におめでたいもので、何歳になっても心改まります。皆さんはまだまだこれからが本物で、人生の第一歩だと、希望一杯のお正月だったことと思います。中越地震災害でお苦しみの人々、スマトラ津波被害で悲しんでいらっしゃる人々、そんな多くの人々のご苦悩に心を痛めながら、ささやかでも当たり前の正月を迎えられたことに、唯有り難く感謝しました。
 さてさて昨年は、公私共に多忙な毎日でした。特に師走はてんてこ舞いの有様で、どうにか仕事を終了したものの、元旦に目が覚めると、右腕が激痛で動かせなくなっていました。数年前までは、これしきの労作業は、男の人に負けてはならじと、平気で働いていましたのに、「アッ、体が老いたのだ!」と愕然としました。包丁も握れぬ痛さで、どうにか雑煮を作り、正月らしき膳を整え終えたとき、不意に亡母が晩年よく言っていた言葉が浮かびました。それは、「少年老い易く、学成り難し」という言葉です。
 当時は何気なく聞き流していました私。亡母の死後三十余年、やっとその言葉が、ずしりと身に染みたのです。老いた体になってやっと解った言葉です。「まだまだ来年もあるさ」とか、「「何とかなるよ」と、仕事もマンネリ化しての長い歳月。しかし、確実に身も心も老いていたのです。何と愚かなことでしょう。唯、この老いてきた年にならねば解らぬ人間の世界があることも教えられました。これまでの何度とない失敗や、惰性で生きてきた私に、天国から亡き母が戒めの言葉を与えられていたのですね。
「理性を失うときに老いは来る。」確かに最近は、いくら、努力してもこれしきの人生等と横着になりがちでした。腕の激痛は、身に染みて私を叱り付けてくれたのですね。老いは老いなりに、歩んできた自分の人生に責任があり、枯れ果てる迄一生懸命に前進せねばならぬと・・・。そして、毎日決して昨日と同じ日ではないのだと・・・。
「日々新面目あるべし」の教えの通り、一日に半歩でも歩んで学び、発見して喜び、努力いたさねばと、我が身と心を叩いた元旦の朝でした。
 皆さんも、今の若さで、今の元気で、一日一日を励んでください。また、寮の先生方、調理の先生のお蔭で暮らしてゆけることに、深く感謝してください。




2018/11/27 掲載

「十年一事」平成十六年十二月号

 寮生の皆さん、お元気ですか。やがて一年も終わりますね。皆さんにはどんな一年だったでしょうか。
 今年は天変地異が多く、特に新潟地方の大地震は、他人事ではないと、その悲惨に胸が痛みました。営々と働き続けて築き上げた家が、仕事場が、そして家族の暮らしが、瞬時に崩壊された家族の辛さ、無念さは、計り知れません。
 天地・自然の威力の前には、人間は何と非力であろうかと天を恨む思いでしたが、やはり「人間」は強い。
多くの人が救いの手を差し伸べて被災者を励まし、被災者もまた、苦難に耐えつつ希望を失わず、再建に努力される姿、折々の笑顔をテレビで見ながら、「頑張って下さい。」と手を合わせます。これほどの災害に打ちのめされながらも、新潟の人々はめげることなく、力強く新しい人生を切り開かんと努力されるのも、常日頃から大自然の恩恵の中で生かされている命だと、天地の恩を真摯に受け止めて暮らしていらっしゃるからだと思うのです。
 ところで、私は一年を振り返り、日々の多忙に追われ、愚痴や不平ばかりであったなと反省します。職場は同じ目的に向かって皆と力を合わせ、心を一つにして個々の責務に励んでゆかねばなりません。与えられた二十四時間を大切に生かし、考えて、精一杯自らを生かす工夫、努力せねばと強く思いました。先ず、日々、自らの心を整えること、これが私の大事な努力目標です。
「十年一事」と言われるように、自らに決めたことは、たとえどんな些細な目標であろうとも、続ける努力をすることです。
 皆さんも、一年を振り返り、それぞれの思いやこれからの目標もありましょう。「過去はもうすでに、棄てられたり」です。
「過ぎ去れるを追うことなかれ」
「今まさに、今日作(な)すべきことを、熱心に作せ」の言葉の如く、思い立ったが吉日です。災害で無一物になった新潟の人々の気力、勇気に学びましょう。「十年一事」です。お互いにコツコツと励み合って、自分の目標達成に汗を流しましょう。私も、この一年間、常にこの寮生の皆さん達に元気を与えられましたことに感謝します。ご指導して下さる寮の先生方、調理の先生の一年間のご苦労に、深く感謝いたしましょう。



2018/10/27 掲載

「過去と他人は変えられぬ」 平成十六年十一月号

 日暮れも早くなり、冷え込んできましたね。
 先日地元の中学校の文化祭に招待されて参観しました。山間部の小さな中学校で、全校生が五十名。先生も生徒も父母も、総出で昼食の豚汁やおにぎり作りで、大家族のような、温かい、中学校の文化祭でした。
 夏の頃、一人の女子中学生が、社会科の自主学習として「保護司の役目と活動」について教えを受けに来ました。将来、社会の為にボランティアをやりたいとの希望を持った女子中学生でした。何度も一緒に勉強を重ね、学校で発表したところ、生徒達が、
「田尻さんの保護司の活動の半生」を劇化しようと決議したそうです。
再び生徒達と共に勉強にやってきて、私も中学生の熱意に驚いてしまいましたが、私の三十余年間の劇を作り上げたのです。
 これ迄私は、ずい分と失敗を重ねながらも、諸先生方の指導を戴いて悲喜こもごも、担当する青少年達と共に歩み続けましたが、ボランティア活動を目指して、中学時代から「更生保護」に目を向けて学ぶ生徒さんに感銘を受け、最近疲れ気味で落ち込んでいた私は、新しい息吹を与えられた文化祭の一日でした。
「誰も皆、等しい命だ。だからこそ、自分の命を大切に生きるのよ。」努力努力と語り合いながら、私こそ青少年達から教えられてきた日々を懐かしく思い出し、劇を見ながら胸が熱くなって、涙が出てしまいました。
 「過去と他人は変えられぬ」と言いますように、罪や過ち、また失敗した過去は変えられるものではなく、また、他人様も我が意の如く変えられないのです。
過去の失敗・過ちを教訓に、今からでもいい、自分で自分を変えてゆかねばならないのです。  こんな、偉そうなことを書いている私も、これ迄どれほどの過ちを重ねてきたでしょうか。つい先日も大きな大きな過ちを犯してしまいました。大切な九州大会の会議の日程を、完全に間違えていたのです。
 出発の為に長時間バスの中で待たされた他の先生方は、さぞさぞお疲れになり、不快な思いをされたことでしょう。しかし、先生方は、不平も仰らず、叱責の声もなく、笑顔で迎えて下さいました。人を許す大きな広い心を持たれた先生方に支えられ、救われた私でした。連絡の通知書をしっかり確認せず、日程を記入した十一月の活動表は、反省と戒めの為、生涯残しておかねばと思います。
「多忙」とは、心を亡くすことです。いかにせわしい時でも、平静に物事を処するように心がけねばと反省しています。
「過去と他人は変えられぬ」を噛みしめています。過去の失敗を改める為には、先ず自分を変えてゆかねばなりません。そして、他人様に正直に、素直に接してゆくことが、大切なことだと思います。  



2018/10/01 掲載

「障害を乗り越え、あるがままの自分を生きる」 平成十七年十月号

 寮生の皆さんお元気ですか。何とも清清しい秋ですね。
先頃、業務多忙で、帰路についた時は夜風がひやり。妙に外が明るいなと思ったら、目の前に迫るように、まん丸の大きなお月様が、山の端から静かに上り下界を照らしていらっしゃる。思わず手を合わせて拝みました。月も太陽も、雨風と天地自然は、何時如何なる時も、私たちの生命に恩恵を降り注いでくれるのだ、有難うございますと、疲れも吹っ飛んでの帰り道でした。
 十月四日、寮生の濱水聖市さんのお便りで、濱水さんが、両眼の網膜剥離の手術治療を受けられたとのこと。さぞさぞ辛く、心細い思いだったことでしょう。健康時には、両手、両足、目も耳もその働きが当たり前と、不自由なく暮らしていますが、もし失明したら美しい月を眺めることはできない。花も鳥も、人々の笑顔も・・・。私は何も見えない真っ暗な闇の世界で生きてゆけるのだろうか、気が狂ってしまうのではないかと思いました。
 でも、世の中には、全盲ながらしっかりと自分の人生に感謝して生きているお人も、たくさんいらっしゃるのです。常々私が人生のお手本としているお二人のお話をいたしましょう。
 一人は、数年前、全国盲学校弁論大会で優勝した、九州代表の井上美由紀さん。その弁論の要旨は、こうです。
「私は、生まれた時の体重が五百グラムしかありませんでした。五本の指はまるで爪楊枝のよう、頭の大きさは卵ぐらいだったそうで、医者より未熟児網膜症と診断され、将来、物を形としてみることが出来ないと告げられたお母さんは、我が子の不幸に、悲しくて、拭いても拭いても涙が溢れて、どうして家に帰り着いたか解らなかったそうです。
 でもお母さんは、「光」を失った私を一生懸命育ててくれました。「人に思いやりを持つこと」「何事もやろうと思ったら、出来るまで頑張ること」「礼儀作法はキチンと守ること」をしっかりと教えてくれました。
 私は目が見えないので、たくさんのことは出来ないが、でも、努力することは出来ます。今度は母に喜びの涙を流してもらいたいと思います。それは拭いても拭いてもあふれ出てくる悦びと幸せの涙です。それは、私が夢・目的を実現した時に叶うでしょう。」
 『母の涙』と題した弁論の一部です。美由紀さんの度重なる不幸は、お父さんが、美由紀さんの生まれる前に病死され、お父さんの声も聞けず、会うことも出来なかったことです。その不幸をバネにして、お母さんに、あふれ出る悦びの涙をプレゼントする為に、ひたすら努力する芯の強い美由紀さんの心は、ダイヤモンドより輝いていると感銘を受けます。
 もう一人は、テノール歌手の新垣勉さんです。皆さんは新垣さんの「さとうきびの歌」を聞かれたことはありませんか。彼は、生まれる時、お産婆さんの手違いから、薬品が目に入り失明したのです。ラテン系アメリカ軍人の父親と、日本人の母親との間に生まれたものの、両親から見捨てられて、祖母に育てられ、非常に貧しい生活でした。
 盲学校で音楽に触れて、歌を学ばれたのですが、これまでの想像を絶する苦難にもめげず、常に明るく、ひたむきな努力の日々の新垣さんの言葉です。
「私達は生身の人間ですから、どうしても利害、打算、損得、そういう世界に生きてしまいがちです。人と比べて生きる、人を気にして生きる、しかし、そんな事は全く比べる必要はない。比べようとするから、妬みとか嫉妬とか、いろいろ起こってくるのです。自分はあるがままの自分でいいのだ。自分は自分でしかない。それをしっかり持っていれば、どんなことも乗り越えていけるんじゃないでしょうか。」
 自分はありのままの自分でいいのだ。あるがままの自分を受け入れることが大切だと仰います。
 新垣さんを捨てた父は、現在行方不明。その父を恨むことなく、
「父に素晴らしい美声をもらって感謝している。叶うことなら、その父の前で、精一杯歌いたいと、夢を持っています。人生には、無駄なものは何一つありません。」と、淡々と言われます。
井上美由紀さんも新垣勉さんも、共に我が身の逆境を恨むことなく、それどころか、親に感謝し、世の中で唯一人の自分の人生をひたむきに歩み、生きていらっしゃる。
 寮生の皆さん、逆境とか不幸とは何でしょうか。もし不幸だ、辛い、と落ち込んだ時は、それを自分の試練とし、貴重な人生の肥やし、養分として努力し、考え、学びつつ頑張りましょう。
今日はこの二人の全盲の御人の話を書かせて戴きました。寮生の皆さんも、それぞれの人生を、互いに助け合い、励まし合って生きる努力をいたしましょう。解らないことがあった時、弱気になった時は、寮の先生に教えを戴きましょう。先生方は、皆さんの成長が何よりの喜びなのです。




2018/08/28 掲載

「積善の家に余慶あり」 平成十六年九月号

 先日はすさまじい台風でしたが、自営会の被害はどうであろうかと案じていました。
 皆さん達は、台風後の片付け作業に精を出していらっしゃるようで、何よりのことと安心いたしました。当方も屋根瓦が飛んだり、工場の壁が故障したりと、修理・修復にてんやわんやの中、草蔭から虫達の美しい合唱が響き、心癒され、作業も捗るのです。荒れ狂った台風の後にも、大自然の神のはからいは、私達にこんなやさしいご配慮を下さるのだとうれしくなりました。
 ところで、今朝(九月八日)の熊日新聞で、「九州初の女性市長」に当選された中尾郁子さん(六十九歳)の記事が目に止まりました。長崎県五島市長になられたのです。中尾郁子さんの父上は、「故・久保勘一・元長崎県知事」であり、中尾郁子さんは、「父上」を一番尊敬する人物だと申されます。
 私はこの記事で、「積善の家に余慶あり」ということわざを思い出しました。先祖の善行のお蔭が子孫に及ぶことを「余慶」と言います。長崎県民の幸を願い、私心・私欲を捨て、身を粉にして県政に尽くされた父上の心根、その生き方を、娘として、中尾郁子さんも一生懸命に学び、精進されたのだと思います。まさに父上の余慶があるのです。
 さて、私も、今からでいい、子や孫により善きものを残せないかと考えます。何の取り柄もない身一つの私には、人様の立派な生き方に学ぶことであり、それでも充分に身を修めることは出来ません。目先の見かけやら傍目に惑わされず、我欲で人を傷つけず、相手に思いやりを持ち、支えあって一日一日を励んでゆく、それが精一杯です。
 台風一過、彼岸の一日、澄んだ秋空のような心に返り、今命あるのは、ご先祖様のお蔭。この身、この命が神仏に生かされていることに悦びを深くして、ひたすらに正直に生きること、それがそのまま子孫や後継者への最高の贈り物になる・・・それが「余慶」ではないか・・・。同じ女性として、中尾郁子さんの市長としてのご活躍とご健康を念じながら、私は勇気づけられ、学ばされた熊日新聞記事でした。
 皆さん、「灰」になるその日迄、人として学んでゆかねばならないのですね。お互い頑張りましょう。
 



2018/07/30 掲載

「健康という宝物」 平成十七年八月号

 今年は格別に暑い夏でしたが、夕暮れには虫の音と共に、涼風が夏バテの体に息を吹き返してくれますね。
 ところで、人生とは誠に予期せぬ事態に遭遇するもので、八十一歳といえども、元気に働いていた主人が、七月末脳梗塞で倒れたのです。わが社の製氷工場・冷凍関係の仕事が一年中で最も多忙を極める夏場に、大黒柱が倒れた打撃は大きく、おろおろしてしまいました。
 すべての業務が私にのしかかり、これ迄如何に怠慢であったか、私の日頃の心構えの至らなさを嫌という程思い知らされました。大小を問わず、業務を学ぶことなく、すべてを主人に委ね、呑気に使い走りをするだけの私でした。
 医師・看護関係の方々の熱心な手当で快方に向かい、リハビリに取り組みました主人は、私の毎日の作業報告を心待ちにして、少々不自由な会話ながら、業務の進め方、工場の機械調整に至るまで気遣い、指示してくれます。私もこれまでの不心得を心の中で詫びながら、夜遅く迄一生懸命です。
 ふと気が付けば、八月のお盆です。心急いで寺参り。先祖の位牌に手を合わせ、 「お舅さんお姑さんの大切な息子さんが病に倒れました。申しわけありません。でも精一杯に支えます。ご安心下さい。どうか私達を見守って下さいませ。」と報告いたしました。
 寺を辞す時は、今迄の重苦しかった心中が、幾分か明るくなった思いでした。
 皆さん、日々の暮らしの中、何時、如何なる時に災害・事故に出会うやら解らないのが人生です。災害・事故は、不運な事かもしれないが、決して不幸ではないと考えます。災いも、生きていればこその人生の道程での出来事の一つでしょう。
「人生は、生老病死」これは当たり前の事。唯、どんな事態に遭遇しても、心の持ち方が大切。日頃の怠慢さが、自らを失う程に、また、痛恨の日々にと追い込んでしまうのです。こんな不甲斐ない私に、ご先祖様がお盆の日に、
「怠りなくあきらめず、ひるまず、励めよ」と、戒めを下さったのだと思いました。
「父母のみの魂は、我に生きており」と、しみじみとありがたく、改めて先祖から戴いたこの命・この人生を、一生懸命精進してゆかねばと心を新たにするのが「盆供養」であり、先祖への恩返しだろうと思いました。
 皆さん、一番の宝物は「健康」です。身も心も健康で暮らせることが、最高の幸せです。何事にも諦めず、コツコツと励みましょう。
 皆さんの体と心の健康を支えて下さる寮の先生方、そして、調理の先生への感謝の念を忘れずに。皆で仲良くして下さい。




2018/06/26 掲載

「あいさつの力」 平成十六年七月号

 お元気ですか。
 今年の七月は、大変な暑さですが、新潟地方の水害ニュースを知り、胸がつまりました。暑さぐらいで不平は言えません。直接的には手助けすることは出来ませんが、先ず自分の仕事を一生懸命に果たすことが、新潟の人々を救うことだと考えます。
 七月は、全国一斉に「社会を明るくする運動」が展開されます。天災は逃げられぬものですが、人災、つまり、人が犯す犯罪は、心がけの悪い人達、我欲のみに走る人達が、犯罪を発生させ、社会の人々を不安・恐怖に陥れる、大変な人災でしょう。
 皆が平穏で、和やかな暮らしが出来るよう、犯罪・非行防止の活動に、私共も保護司全員で取り組んでいるのです。もちろん、地域社会の人々の支え・協力があればこその事です。
 当地では毎年、小学校・中学校の生徒さん達が、学習の一環として、社会を明るくする運動」の標語を作ってくれます。全生徒さんの標語を選考しながら、小学生の低学年から中学生迄、素直に自分達が住んでいる所を平和にしようと、郷土愛、友人への思いやりの心に深い感動を受けます。それは、ほとんどの標語が「挨拶」であり、「ありがとう」の言葉です。
 大体似たような作品ですが、小学生の標語を二つ三つ紹介します。
  あいさつで みんなの気持ち あたたまる   二年生
  あいさつを すればするほど いい社会    三年生
  ありがとう その一言で   みな笑顔    四年生
  悪いこと  したらやっぱり ごめんなさい  四年生
  あいさつは 心をつなぐ   愛の手だ    五年生
  ごめんなさい その一言で  仲直り     五年生

 まだたくさんの句がありますが、元気に遊びまわっている小学生達も、しっかりと善悪の判断が出来て、友達と仲良く助け合って学ぶ為にも「あいさつ」が大切なんだと訴えているのですね。
 「ありがとう」「ごめんなさい」「こんにちは」・・・実に短い言葉です。失敗したら「ごめんなさい」、助けられたら「ありがとう」そして、「こんにちは」・・・すべて感謝の言葉ですね。この「あいさつ」の言葉が素直に言えたら、人生は充分だと思います。
 「あいさつの力」は、人間をやさしく育てる、不思議な不思議な魔法の力があるようですね。私も毎年、地域の小学生達の「社明標語」で、心新たな勇気と喜びを戴いています。
 皆さん、素直な童心に返り、素直にあいさつの出来る心を育てて参りましょう。暑さに負けぬよう、体調に気をつけてお励み下さい。




2018/05/25 掲載

「水の如く」 平成十七年六月号

 お元気ですか。
当地名産の玉葱の収穫が終わると、その後は、たっぷりの水を引き入れての水田となり、夕風にちりめんのような波の広がりを眺めていると、安らかな、幸せな心地になります。
 五十四年も前のこと。日本中の男達は、老いも若きも戦場に駆り出され、ほとんどが老婦と子供達だけとなった農家に、私共女学生は、田植えの手伝いを命じられました。現代は、すべて機械作業となった農業も、当時は手作業であり、ましてや私共は、生まれて初めての田植えなのです。田んぼのぬかるみに苦悶し、蛙が素足にはりついて悲鳴を上げ、何とか田植えを完了。農家のおばさんが、お八つに大豆を入れた団子を作って下さった、そのおいしかったこと!戦時中の食糧難で、砂糖も入っていない団子でしたが・・・その味は忘れられません。戦争時のこの貴重な田植え体験以来、一粒の「米」も大切に思うようになりました。
 「米」は、私たちの体・命を保つ主食。「水」は、稲を育てます。また農作物すべての生命の源です。「水田」を眺め、心が安らぐのは、「恵みの水」「命の水」を感じるからだろうと思います。「水」は随意に変化し、障りなく無心に流れ、また、方円の器に従い、その本性は替えません、集まった水が障害物に打ち当たった時のエネルギーの強大さ。それは、水力発電にも利用され、私たちの暮らしを豊かにしてくれます。
「少水の常によく流れて、石に穴を穿つ。」の通り、「水」からこうして多くのことを教えられます。栓をひねれば瞬時に流れ出る「水」に、有り難うと呟きながら、安易に「水」を無駄遣いすれば罰が当たるよと自らに言い聞かせます。
 私達日々の暮らしも、予期せぬ苦難に出会うでしょう。そんな時、「水」の如く強いエネルギーを持って障害や苦難を乗り越える気力や勇気を持たねばなりません。その為には、常日頃からポツンポツンと一滴一滴の水が固い石にも穴を開けるように、毎日をコツコツと地道に、欲を出さず、自分を諌めてゆく努力を重ねてゆかねばなりません。
 六月は梅雨の季節。じめじめした梅雨を不快に思うのは、人間の身勝手。恵みの雨、人生の慈雨と思い、日頃の心を洗い流す大切なチャンスにしましょう。でも、梅雨冷え等には、くれぐれも注意し、健康に心がけてお暮らしください。



2018/05/01 掲載

「亡祖父への恩」 平成十六年五月号

 五月。楠若葉の輝きに圧倒されそうです。子供の日、母の日。木々の芽もぐんぐん伸びる五月は、親から子へと「命」を伝える、まさに「生命」の月ですね。
 常日頃、多忙多忙と落ち着かぬ有様ですが、連休の一日、久方ぶりにお寺に詣でました。たった一人の私の為に、経を読んで下さった和尚様は、先祖の過去帳を開かれて、亡祖父、亡父等々の、私の知り得ない御話を聞かせて下さいました。やっと物心ついた頃の亡祖父は、足腰も立たず、病に伏した姿です。成長して解ったことですが、事業の失敗と長男(私の父)、二男と相次いで死亡し、失意状態の姿であったのです。
 祖父の没後、逃げるように故郷を離れた為、祖父のことはもとより、故郷の暮らし等、全く知らなかった私です。
 「生前の祖父は、非常に正直で、信心深く、情も深く、困っている地域の人々を助け、多くの人達から【仏様】と慕われていた人徳ある人であり、それは【院号】に示されているのです」と、静かに御話をされる和尚様。先祖の人々、特に亡祖父や亡父の生涯に驚き、和尚様に深くお礼を申しました。
 改めて今、ここに座している「私」は、突然「私」として生きているのではない。累々として命を伝えて戴いたご先祖様のお蔭で、「私」という「命」があるのだ。そして、生かされているのだ。今迄幼い頃の記憶のみで「貧しくて夜逃げした家の子」と、狭い了見で暮らしていた私は、誠にご先祖を冒涜する不心得者であったと祖父に詫びました。
 「富」とか「貧」とかは、時の運。外見に囚われての貧相な私の生きざま、心根を、亡祖父が和尚様の声をお借りして、私に人の道を示し、諭してくれたのだと思いました。
 亡祖父没後六十七年の年月が過ぎた日です。有り難い寺詣での一日でした。寺を辞し、見上げた五月の空は、爽やかでした。
 「生かされて 生きるや今日の このいのち」
皆さん、一人一人が尊い命を戴いています。決して粗末に暮らしてはならない。ご先祖様に申しわけない。ご先祖様に恥をかかせてはならぬ。私たちもまた、何時か「先祖」と呼ばれるのですから。
 日々ご指導下さる寮の先生方。毎日おいしい料理を心をこめて作って下さる調理の先生。日々の暮らしは、このような周りの先生方のお蔭なのです。「有難う」の感謝の心を忘れずに・・・。
 辛抱努力を重ねて参りましょう。



2018/03/28 掲載

「学びに、遅すぎることはない」 平成十六年四月号

 陽射しが明るくなりましたね。
 四月は、新入学の児童、また若い人達にとっては「人生のお正月」です。
 先日、私も地元の中学校の入学式に参列いたしました。嬉しそうな、そして緊張した新入生の姿に、私も共に老人生の一年生としてスタートしましょうと、晴れやかな勇気を与えられました。
 と同時に、何時、空爆があるやも知れぬ戦時中、背中には防空頭巾、肩から非常食(炒り大豆等)・傷薬等を入れた救急袋を下げ、参列する父母達も、防空服やもんぺ姿でしたが、やはり嬉しい入学式だったと、懐かしく思い出しました。
 まだ七十余年の人生ながら、国家の政策や変動、文化の発達等で、私達の暮らしは、常に止まることなく、日々歩みを進めてゆかねばなりません。希望一杯の新入生さん達にどうか自らの人生に負けず、七転び八起きの精神で学んでほしいと念じたものです。こうして昔々から、親は子の成長を願い、育みつつ、後世に命を伝承して、今、私達の命として生かされているのですね。
 ところで、少々恥ずかしい話ですが、遅れ馳せながらパソコンを習い始めました。若人に交じりオロオロですが、一緒に机を並べる両隣は、七十五歳、七十八歳の男性、そして、七十二歳の私の三人組です。若い人はどんどん習得してゆきます。一週間に一度、三老人は顔を合わせながら、「物忘れは得意なんですが」と苦笑しつつも、それぞれの目的に向かって、亀の歩みのように頑張っています。
 戦時中は、消しゴム、ノート、鉛筆すら不自由だったのに、このパソコンという機械の素晴らしさに圧倒され、荒廃した戦後から立ち直った人々の不屈の魂、そして、見事な頭脳。日本人とは素晴らしいなと、妙なところで感服しています。
 改めて江戸時代の儒学者、佐藤一斉の教えを新たにします。
 「少にして学べば、壮にして為すあり
  壮にして学べば、老いて衰えず
  老いて学べば、死しても朽ちず」
 本当に、学びに遅すぎることはない。社会人として、生計を立て、働いてゆく為には、学び、努力していくより他はないと、しみじみ教えられています。
 四月は「人生の正月」、皆さんも、自らのこれからの人生の為に、新しい目的に向かって挑戦しませんか。
 何よりも先ず、自分の意思を強く持って!



2018/02/27 掲載

「右手を手術する」 平十七年三月号

 春彼岸、陽射しも明るくなりましたね。
 亡母に手を引かれて寺参りした子供時代、特に亡母の手作りの彼岸だんごを作り、子育てをしてきました。そしてまた、娘が孫達に墓掃除の手伝いをさせ、お寺参り、だんご作りをして、孫達を育てました。
 母から子へ、孫へと、御彼岸の行事は伝えられてゆきます。取り立てての教えはありませんが、それは、先祖への感謝の行為であり、先祖から授けられた各々の生命を大切に生きねばならぬと、言わず語らずに子孫に伝えられて教えられてゆくのです。仏様の前に静かに座して手を合わせる行為は、その瞬間なりとも心・気持ちが安らぐのを覚えます。
 「形は心を表し、心は形をつくる。」と申します。物資があふれた豊かな現代社会ですが、食べ物一つ、ペンの一本にも「有難う」を言える、物を大切にする感謝の心を身につけることが大切なのだと思います。その感謝の気持ちで手を合わせる祈る心が作法であり、私たちの「躾」ともなるのです。
 私達は、物事の善し悪しは充分に解っているのに、ついつい我欲に負け、自分を甘やかし、怠惰になり、言い訳ばかりして自分を誤魔化してしまう。この誤魔化す心を、先ず攻めてゆかねばならない。自分の体・心、すべて周りの人々から支えられ、生かされているのです。その自分の体・心を、正しく、厳しく生きてこそ、世間の人々への恩返しとなるのです。
 ところで、私事ながら、昨年末から激痛に悩まされていた右手をとうとう手術せねばならぬ羽目になりました。永年一生懸命に働いてくれた自慢の右手、どんなに辛い作業もコツコツと仕上げてくれた右手なのに、なぜこんな痛い目にあうのかと、包帯でグルグル巻きにされた手術後の右手を眺め、やりきれぬ思いでした。そして、日常生活の不自由さにイライラしながら、指の一本とて、暮らしてゆく為にはどれ程重要な役目を果たしているのかと思い知りました。しかし、これも神様が与えて下さった右手の休息日だと思い直しました。
 やっとペンが持てるようになった時のうれしさは格別でした。手術をして下さった医師、看護師に深々とお礼を申して、病院を辞しました。まだ充分には使えず、ペンを持っても字が乱れてすみません。
 さてさてこれから何年の命か知る由もありませんが、この右手に再び支えられて、精一杯働いて、世の中に恩返しをしてゆかねばならぬと思います。御彼岸を迎えて、ご先祖様にこの報告をいたし、よく働いてくれる素晴らしい右手をお授け下さったことにお礼を申したことです。不自由な身になって、しみじみと人様から救われているわが生命であることを知り、「有難う」の感謝の心、そして素直な笑顔で人様に「ありがとう」と言えるように、自らを【躾】してゆかねばと思います。
 皆さんも、多くの人々から支えられ、生かされている生命です。大切に、そして、自分に厳しく、正しく励み、それが周りへの恩返しだと精進いたしましょう。
 皆さんの今後が、身も心も健康でありますようにと祈ります。



2018/01/31 掲載

「梅花五福を開く」 平成十六年二月号

 雪が舞った厳冬も緩み、草々も芽を吹き始めましたね。昨年の暮れ、友人から正月用にと貰った松竹梅を、玄関横の石鉢に活けこんでいました。細くて頼りない梅の小枝に、やがて蕾がふくらんで、二月に入り、小枝一杯に白梅の満開となりました。その生命力と梅の花の美しさに、驚きと喜びで、思わず「お前さん、ほんとに強いねえ」と語りかけてしまいました。
 梅花の五弁を五福になぞらえての「梅花開五福」の言葉は、人生五種の幸せで、次の言葉です。
一、 寿命の長いこと
二、 財力の豊かなこと
三、 健康であること
四、 徳を好むこと
五、 天命を全う出来ること
 どれも素晴らしいことばかりです。
ところで、第四の「徳を好むこと」とは、何でしょうか。これは、「徳を積むことを好む」の意味で、「徳」とは、人としてなすべき行為を、目立たぬように、さりげなく、善行を重ねる営みです。
 父母を縁として継承した命を大切に生きること、それはまた、他人に対しても同様でなくてはならず、周りに思いやりを持ち、我欲に負けず、身も心もしっかり調え、一生懸命に生きることだと思うのです。
 親である幹から切り落とされた小枝でも、梅は精一杯に命の花を咲かせたのです。まさに「梅花雪に和して香し」で、梅のひたむきな心が香ります。寒さに不精になり、怠惰に慣れていた私はこの梅に恥じました。私に気力を与え、悦びを与えてくれた梅の花こそ、大きな徳を積んだのだと思いました。そしてまた、「風雪、人を磨く」ことを教えられました。
 寒暖を知る、即ち、辛苦に耐え、強く豊かに生きる心を養う為に、自然界は、こうして私共に偉大な恵みを下さるのですね。吹く風も、雨も、草木一つにも、ずべてに私達は、命を支えられ導かれて生かされているのですね。
 さあ、春ももうすぐです。皆さん、「梅花開五福」は、決して他人のことではありません。少しでも「徳を好む」人となるように、私も皆さんと一緒に励んで参りましょう。




2017/12/28 掲載

「一年の計は元旦にあり」 平成十六年一月号

 一月二十二日は、旧正月です。遅ればせながら旧暦での新年明けましておめでとうございます。
  「一年の計は元旦にあり」「一」というはじめの日。心機一転してのスタートの日。やはり一月一日とは、「心新しい日」ですね。
 昨日「熊本自営会だより」が届きました。皆さんの新年の抱負を読みました。一人一人の皆さんの、これからの人生に向かっての信念、決意を力強く感じ、とても嬉しうございました。と共に、どうか皆さん方の将来に幸多かれと心から念じました。自分ひとりの社会ではない、人と共に暮らしていく社会。社会の中で一つ一つを学びつつ、苦難に怯むことなく精進努力されますように。
 ところで、皆さんは初夢を見ましたか。私は余り初夢とは縁がありませんんが、珍しく今年は、初夢を見ました。昨年は、公私ともにとても多忙で、主婦業も疎かになりがちの日々、年内に果たすべき事務が、整理できぬままで除夜の鐘となりました。
 ぐったりとして寝込んだ夜「初夢」でした。それは、事務整理に追われる私。考えあぐねて計算している私、ヤレヤレ完成だと用紙を見ると、それは白紙です。何度書き直しても白紙。オロオロと脂汗を流してうなされている、何とも情けない初夢。
 家人と雑煮を祝って、昨年の日誌を見ました。確かに一日一日の自分の作務は果たしている日誌です。しかし、仕事の運びや考え方等、ゆきあたりばっかりの計画性のない暮らしだと気づきました。もちろん、少し病で体力が仕事に追いつかない日もありましたが、これは論外。
 皆さんの新年の抱負の如く、二度と過ちを繰り返さず、他に惑わされず、目的、計画をしっかり立てて学ぶべしと痛感しました。初夢は、楽しい夢にせねば・・・。
 この脂汗を流して、うなされた初夢を、私は、一生忘れまじと誓った元旦でした。
 そして、「時 人を待たず。」一月も半分を過ぎましたものね。しかし、慌てず、しっかりと一歩一歩、新年の抱負に向かって前進しましょう。
 急に寒くなりました。風邪をひかぬようにご注意下さい。




2017/11/29 掲載

「日に新たに 日々に新たに」 平成十五年十二月号

 師走。一年の最後の月。それも残り十日の日数に慌てます。ただ、この一年間、大過なく暮らせたことに感謝します。
 皆さんはどんな一年でしたか。遠くの国では、未だに及びもつかぬ争い事が続き、罪なき人々がむざむざ殺されてゆきます。その悲惨な出来事に胸が痛みます。
 これは決して他人事ではありません。異国で、言葉や風習は違っても、「命」は皆等しく、尊いのです。「争い」はすべて、人間の「欲」から発します。誰しも、平凡な日常生活の中で、我欲を制御する努力をして暮らしています。盗みをせずに済んでいることも、人を殺めずにいることも、経済的苦悩があろうとも、自らの欲望と戦いながら努力しているから、お互いの争いがないのであり・・・。
 しかし、欲望を制することは、実に困難で苦痛です。まず、自分の欲望に打ち勝ち、よりよき規制なくしては、人間相互の社会の平安は得られないのです。自分の命が大切なら、人の命もまた大切です。人それぞれに、知力、体力の差こそあれ、それに合った生き方がある筈です。どんな偉い人も貧しい人も、人生は一度しかないのです。周りの人々と共に、自分もまたこの社会で生かされている。ならば、生かされている恩返しをすることです。「たとえ百歳の長寿を全うするとも、怠惰にして、精進ならざれば、堅固なる精進を行ずる者の一日を生くるにも及ばざらん」
の教えがあります。一日、今日一日が新しく大切なのです。
 今年もまた、寒風の中に梅の蕾が膨らみ始めました。新しい花を咲かせようと寒風に耐えています。去年の花とは違う、新しい花が咲くのです。過去の罪は、過去のことです。今からまた新しく生きてゆくのです。自分の命を新しく生かす為、勇気をもって新年を迎えましょう。
 一年間、毎月のお便りを皆様に書いて参りましたのも、寮生の皆様に毎月勇気を戴いたお蔭だと感謝します。有り難い一年間を生かされました。皆さんと共に、半歩でも、一歩でも前進して、新年を迎えましょう。
 毎日ご指導頂いている寮の先生方、毎日おいしい食事を作って下さった調理の先生、そして、ゆっくり寝ることができたお部屋にも感謝しましょう。
 風邪にくれぐれもご注意しましょう。




2017/10/25 掲載

「生かされて今日の命あり」 平成十五年十一月号

 十一月、落ち葉も多くなりました。
 澄んだ夜空の月光に、自分の姿が照らされる思いで、七十二年間の自らの生きざまを振り返ります。楽しい日より、辛い日が多かったけど、今年もまた、美しいお月様を眺めることの有り難さを思います。
私は、人間とは学業成績が優秀で、五体満足であることが立派な人間だと思っていたのですが、四十九年前出産した二男は障がい児でした。私は気が狂いそうで、この子を背負って、何度も海に身を沈めようとしました。過ち、そして愚かな行為です。
 足をすり減らして九州中の病院をたずねましたが、二男の病は原因不明、しかも、十七、八歳までの命だろうとの判断でした。
 私は、妙な気力が出て、どうせ短い命なら、母親として精一杯育ててやろうではないかと思いました。しかし、なかなか困難な子育てでした。家業に追われ、私が倒れこむ有様。
 そんな時、長男、長女が、目も足も不自由な弟の手を引いて学校に通ってくれ、帰宅すれば遠い病院まで自転車に二男を乗せて、長男と長女と交代で治療を受けに連れて行ってくれました。
 学校も休みがちの二男の級友が、必ず学校が帰りに声をかけ遊んでくれました。友達は、みんな優しく、朗らかで、人気者ばかりでした。母として、一人で育てると意気込んでいた私でしたが、こうして先生、友人、兄姉、そして多くの人々のお蔭で、二男は育てられてゆきました。自分の狭い了見に気がつきました。十八歳迄の命は、今、四十九歳の大きな体になった二男。今初めて私は、学業成績で人を差別していた過ちを教えられました。人それぞれに能力の差はあるが、「命はすべて等しく尊いのだ」と気づきました。傲慢な心の私に、神様の愛が、仏の慈悲が、私に障がいの子を産ませ、永い永い歳月をもって、「人の命の尊さ」をお教え下さったのですね。そしてまた、「人は決して一人では生きられぬ。人に生かされて今日の命があるんだよ」と諭してくれる、声なき声がいたします。
 二男は、人並みの難しい仕事は出来ませんが、笑顔で「有難う」と言えるようになりました。ご近所の老人家族や、体の不自由な人達の「ゴミ捨て」を一人で引き受けています。人様のお手伝いが出来る。そして人様から喜んで戴ける。二男のうれしそうです。これ迄多くの人々から戴いた、支えられた御恩返しだよと、二男を励ましながら、私も、皆さんに感謝一杯の毎日です。
 四十九年前、親子心中を思いつめた私は、大罪人でした。
 皆さん、辛い出来事も我が身の為です。転んでも、つまづいても、失敗しても、起き上がり、また起き上がり、半歩、一歩と自分の力で、自分の足を前に出す努力を重ねることが、与えられた命を大切に生きてゆく事なのです。社会の中の一人として、社会の人々から生かされている事を忘れずに。




2017/9/29 掲載

「尊徳の教え」 平成十六年十月号

 お元気ですか。日暮れともなると、冷え込むようになりましたね。先日、所用で訪れた小学校の運動場で、秋日を一杯に受けて生徒達が駆けっこしてました。元気一杯です。
 私共の小学校時代は、校門を入れば何処の小学校にも二宮金次郎の銅像があり、柴を背負って本を読みながらの金次郎の銅像に、生徒は必ず一礼して登下校していました。教室では、「柴刈り 縄綯い 草鞋を作り・・・手本は二宮金次郎」と、大きな声で歌っていたものです。
 二宮金次郎(尊徳)は、江戸時代末期の篤農家・農政家で、子供時代は貧しくて寺子屋にも行けず、本を読みながら薪を取りに行き、武家屋敷から聞こえてくる読書の声を聞いては、暗唱して学んでいました。夜中にも読書をするので、一握りの菜種の種を借りて育て、明かりを点すための灯油を自分で作りました。
 田植えの時期も村を回り、田植えの終わった後の苗が捨てられているのを拾い、丁寧に育て一俵の米を収穫しました。また、初夏に食べた好物の茄子の味が、例年のものと微妙に違っていたことから、その年の飢饉を予測して、事前にその対策を立てて、農民を救ったそうです。
「天 何をかいはんや、四時行はれ 百物を生ず」とあります。「天は黙々として春夏秋冬それぞれの営みをなし、一切の物を生育させて止まない」ということです。
 私は、日頃食べ物に対して深く考えることもなく食べていますが、尊徳は、野菜、魚の一つ一つに感謝し、心して食べていた人なんですね。
 また、次の教えは、
「大事を為さんと欲せば、小なることを怠らず、謹むべし。小積もりて大となればなり。凡そ、精進の常、大なることを怠り、出来難きことを憂いて出来易きことを勧めず、それ故ついに大いなることをなすこと能わず。たとえば、百万石の米といえども、粒の大なるにあらず。万町の田を耕すも、その業は、一鍬ずつの功にあり。千里の道も一歩ずつ歩みて至る。山を為すも一簣(イッキ・土運びの竹カゴ)の上より成ることを明らかにわきまえて、励精。小さなことを勤めば、大いなること、必ず成るべし。小さなることをゆるがせにする者、大いなることは、必ず出来ぬものなり。」
 二宮尊徳は、噛んで含めるように農夫達に説きました。
 今私達は、便利な機器溢れる暮らしをしていますが、この尊徳の教えの内容は、永遠の真理です。
 小学生の元気な姿に接し、私は懐かしい子供時代を想い出し、改めて自らの生きる姿、心がけを反省いたしました。秋の夜長のひとときでした。
 皆さん、ほんの少しでもいい、このように歴史に残る偉人の真似をして学んでゆきたいものですね。この偉人達も、実は普通の人なんです。唯、目標に向かってあきらめず、くじけず努力した人たちなんですね。
 朝夕の冷え込みに風邪をひかぬようご注意ください。寮の先生、調理の先生への感謝を忘れずに、皆で仲良くお過ごし下さい。




2017/8/29 掲載

「老いに学ぶ」 平成十五年九月号

 八月は雨が多かったのに、 九月に入り、入道雲が湧き、汗ばむ日中ですが、白露とともに夕暮れは、虫たちの大合唱。文明機器に囲まれていても、自然界の秩序の中で虫たちと共に生かされている私達なのだと、澄んだ十五夜の月を見上げて思わず拝んでしまいました。
 今、学校は運動会で賑やかです。日頃勉強が苦手な生徒も、大張り切りです。最近物忘れがひどくなり、否応なしに老いを知る私ですが、やはり運動会で駆け回った子供時代もあったのだと懐かしみます。
 スポーツが得意だったのに、すでに鬼籍に入った友。予期せぬ病で半身不随になった友等々も多くいて・・・。しかし私は、こうして老いの道を歩ませていただいている。「光陰矢の如し」だと思います。そして慌てます。
 若い頃は、人様の意見を聞き捨てて傲慢に過ごし、苦手な問題は、一日延ばしだと怠惰に暮らし、季節にたとえれば、夏から秋、そして冬に入る年齢になり、ようやく気づく私です。せめて若い人達に迷惑はかけてはならぬと心がけるのが精一杯。まさに「後悔先に立たず」です。
 皆さんはまだ若い。わたしのように慌てぬよう、一日一日を大切に、一生懸命努力して下さい。失敗しても、知恵を出し、精を出して生き抜いた老人たちは、人生の師だと思います。
「亀の甲より年の劫」と申しますように・・・。皆さんも機会をとらえて老人方の昔話を聞いてみませんか。
 子供達の運動会、そして敬老の日。九月はまさに、人としての生きる術を教えられる、いい月なんですね。




2017/7/31 掲載

「心田を耕す」 平成十五年八月号

 今年の夏は不穏な天候が続きますね。
 人智を尽くし、道路や橋を架け、建造物を造る私達の営みも、大自然の威力には太刀打ち出来ぬ。人間の非力さを思い知らされるばかりです。
 暴風雨で流された田畑を、農家の人達は気力を奮って固くなった土を耕すのに一生懸命の日々です。荒れた、固い田畑では、いくら良い種を蒔いても育たないからです。
 私達の心も同じです。常に心を柔らかくもみほぐしていなければ、ひとの心もひねくれ、意地悪人間に育ってしまいます。幾度自然災害に荒らされようとも、壊れた畦、石垣を築き直し、鍬をふるって田畑を耕す農業家達。楽しようと機械力に頼り、化学肥料ばかり使用していては、土が荒廃してしまう。大切なことは、自然の水の流れを利用し、知恵を出し、一つ一つの意思を積み上げ、太陽の光、風の中で田畑の土壌改良に努力せねば、立派な作物は育たないと申します。
 私は思いました。人の心も田畑と同じだ。「心田を耕す」・・・私達の心も毎日毎日固くならぬよう、荒廃せぬよう「心田を耕す」ことに励まねばならないのだと。
 心を耕す鍬は、知恵。欲望や悪行を制するのは、草取り作業。隣の田畑をも手伝う優しさは、慈悲。これ等「心田を耕す」為の大切な農具を忘れずに、常に心を柔軟にし、やわらかな心の中で、人としての正直な、最良の種が育つように精進しいたさねばならない。
 此度の風雨災害で教えられたのが、「心田を耕す」ということでした。
 皆さん、よき農夫となり、自らの心を耕して参りましょう。




2017/6/30 掲載

「墓に布団は着せられぬ」 平成十五年七月号

 七月。子どもの頃、七夕祭にワクワクしながら短冊に願い事を書いたものですが、一体何を書いたのやら、今はもうすっかり忘れてしまいました。皆さんはどんな願い事を書きましたか。
 七月十六日は、エンマさんの大祭日。お寺に行くと、大きなエンマさんの怖い顔に驚きながら、「うそをつくと、エンマさんに舌を抜かれるよ」と大人達に言い聞かされ、真剣に「うそは言いません」とエンマさんに誓った子供時代でした。  でも成長するにつれ、悪時恵ばかり身について、自分の失敗も、親や先生達に叱られまいと嘘をついてごまかしたことも何度やら。舌が何枚あっても足りない位の悪賢いうそつきだと、エンマさんに詫びています。
 親達も、学校の先生達もそれはちゃんと見抜きながらも、優しく育んで、人の道を教えて下さった。でも今は、親も先生方も天国に旅立たれ、これこそ恩返しも出来ぬ侭の無念さです。本当に、「墓に布団は着せられぬ」の心境です。日頃は、多忙、多忙とせわしなく駆け回っていますが、七月のお盆だけは、心静かに亡き人々を想い、生前受けた御恩に深く感謝いたします。
 貧しくとも笑顔で働き続けた人、決して人の悪口を言わなかった人、物を粗末にしなかった人、整理整頓が上手だった人、辛抱強かった人・・・。まだまだ沢山の人達から一つ一つ人の道を学び、私は生かされてきたのだと、夜空に手を合わせ、亡き人々に「ありがとうございました。」と申します。
 お盆は、まさに亡き人々への「報恩感謝」の日です。
盆供養とは即ち、自分を見詰め直す大切な行事の日なのだと私は思います。



2017/5/30 掲載

「今日に【ありがとう】」 平成十六年六月号

 六月は、一年の半ばに当たる月ですね。
 六月二十日は、【父の日】です。皆さんのお父様は、御元気でしょうか。【父なくば生ぜず、母なくば育たず。】それぞれの生まれ育ちの境遇こそ違っても、一人一人の命は、皆等しく尊いのです。
 心身の故障は病気。機能の衰えは老化。機能の停止は死。しかし、それは肉体のことであり、命は不老不滅。不幸にして、死と決別しても、父の思い出は残り、父の命は、子の命の中に生きています。【体】は、命の働き場です。だからこそ、日々を一生懸命に生きねばなりません。自他の不注意や我欲の無自覚によって毀損する行為は、この上なき罪過を犯すことになり、父から受け継いだ命をむざむざと無駄に生きることであり、これこそ、恩知らずの親不孝者です。
 さて、六月は、梅雨の季節。水田に梅雨の雨水をたっぷりと張り、田植えが始まりました。私達の大切な食糧となる【米】も、昔から受け継がれた稲の種を芽生えさせ、稲作が続けられています。じめじめの梅雨も、稲の生長には大切な雨であり、風、日の光と、自然界の恵みでおいしいお米が出来上がる。
 私達は、決して自分一人で命を支えているのではない。自然界の恩恵を受け、また、成長と共に学校では、先生に友達に多くの教えや友情を受けながら、社会の中の一人として育てられてゆくのです。
 六月はまた、一年の折り返しの月ですが、一年の暮らしには、一月の初めがあり、十二月の終わりがあり、マラソンにもスタートがあり、ゴールがある。でも、私達の人生には、スタートも不明、ゴールも不明です。
 自分の折り返し点をどこに定めるのか、皆さんは考えたことがありますか。
 私も七十歳を過ぎて、まさか今から折り返し点など考えられず、ウカウカと七十余年を生きてきたことに愕然とします。今日から毎日が【折り返し】と思い、毎日が【ゴール】と思い、精一杯生きてゆかねばと反省しました。
 そして、毎夜、一日に【ゴール】する時、【一日をありがとう】と素直に言えるよう、心して働いてゆかねばならぬと思います。
 皆さん、毎日が自分に与えられた学びの日です。うれしい事があれば【ありがとう】と感謝し、辛い出来事があれば、自分を強くする試練と思い、【ありがとう】と言いながら努力しましょう。




2017/04/27 掲載

「ツバメの巣作りに学ぶ」 平成十五年五月号

 五月。子供の日、そして母の日もある・・・五月は、生命の輝きの月だと感じます。  皆さんのお母さん方はお元気でしょうか。子供の頃、お母さんに褒められたことはありますか。また叱られたのはどんな時でしたか。
 さまざまの事情で、お母さんと離別した方がいらっしゃるでしょう。またすでに他界されたお母さんもいらっしゃるかも知れません。でも、お母さんの御蔭で、私達はこの世に命を授けられました。幸せとか不幸せは、時の運、またそれぞれの考え方。戴いたこの自分の一つきりの命を決して粗末に生きてはならぬと、五月になれば母を偲び、思いを新たにいたします。
 私も、七十歳を過ぎれば少しは楽な暮らしが出来るだろうと、呑気な甘え心で働いていましたが、そうは問屋が卸さないとは本当で、社会の変動で、仕事も益々厳しくなり、また、社会面での活動分野に於いても、若い世代との意識の相違等々、我が意の儘にならぬことが多く、不平不満の状態に追い込まれては、疲れ果てる有様。
 先頃、放心状態で戸外に突っ立っていましたら、頭上がやたら賑やかな様子。見上げると、事務所の庇の下に、ツバメが巣作りをしているのです。数年前に何度も巣作りを失敗し、ツバメもすっかり諦めたのだろうと思っていたのですが、今年も再び挑戦しています。
「ツバメさん、今年も駄目じゃないの。」
と内心軽軽しく考えていたのですが、今日で五日目。巣が完成したのです。古い巣の上に黒々とした土を積み上げて、白黒の、実にモダンなツバメの巣。夫婦ツバメでしょうか、交互に枯れ草を咥えてきて、最後の仕上げをしています。
 「あっ!私もこのツバメ達と同じ空気を吸って生きているのだ。」
 私は、急に、目の前が明るくなりました。
 最近の私は、「自分が、自分が」と、自分の欲望ばかり押し付けての不平不満で、自らを不安定な疲れに追い込み、努力する心をなくしていたのです。
 ツバメ達は、唯ひたすらに、自分の仕事を果たしている。見栄とか欲は一切無く、失敗にもひるまず巣作りに励み、卵を産み、ひなを育て、子孫を残す為に全力で働いている。
巣を見上げながら、私の心が動きました。
 「邪心を払い、無欲で挑戦」・・・そんな言葉が湧き出て、「ツバメさん、有難う!」と頭を下げました。
 すべて自分の欲で心が迷い、学ぶ姿勢すらなかった。・・・ツバメに教えを戴き、母から授けられたこの命、たとえ何十歳になろうとも、無欲で、一心不乱に働いて生き抜かねばならない。それが、五月の「母の日」への最高の恩返しだと目覚めた一日でした。
 皆さんも、一人一人の環境の中、人生の中で苦悩あり挫折ありでしょうが、ツバメのようにすがすがしく、一生懸命に生き抜いて下さい。




2017/03/30 掲載

「足るを知る」 平成十五年四月号

 今年もまた、満開の桜に、体一杯の喜びを戴いたことに、手を合わせます。
 重ねてもう一つ、大きな喜びに出会ったのは、「熊本自営会だより」3月号のよもやま話。
 「先日、在所期間が終わり、退所することになったM君【長い間お世話になりました。】と、居室に一礼して立ち去りました。」という記事です。
 身の回りに対する謝恩を表すM君の心がけ。素晴らしい春の門出だと、M君に拍手を送りました。
 異国では、戦争に苦しんでいる人々がいるのに、平和な日本の桜の下にいることを、なんだか申し訳なく感じますが、戦場で一番つらいのは、「水」が無いことで、折りしも「世界水フォーラム」が日本で開催され、「水」は地球のすべての生き物の命綱だと知りました。
 熊本県は、水が豊かで、水の不自由さ等考えたこともありませんでしたが、熊本にゆかりの深い「種田山頭火」(俳人)は、非常に水を大切にされ、バケツ一杯で米を洗い、茶碗を洗い、雑巾がけをして、最後は畠にと、四面活用され、水を粗末にする人を嫌い、自分にもまた、とても厳しい人でした。山頭火の一生の暮らしで節約された水が一体どれ程か、それが、果たして世の中にどれ程の役に立ったのかと考えた私は、誠に不埒者でした。
 山頭火は、水を粗末にしない、すべての物を無駄に使い捨てず、物を生かして使い終える「心がけ」を示されたものだと気づきました。
物資が豊富な現代社会の暮らしの中でも、一つの物を大切に、価値ある状態で使い切る営みは、「足るを知る」という精神。これが、山頭火が水を粗末にしない一生の暮らしの中から、後世の私達に示された大きな教訓だったのですね。
 そういえば以前、水の事で、二男(四十八歳)を厳しく叱ったのを」思い出しました。
 炊事場からでも浴槽の水の音が聞こえる狭い我が家。ザブザブと何杯もかかり湯を浴びる音に、驚いて風呂場に駈け込み、
「物を湯水の如く使う阿呆者!何杯の湯を捨てるのか!」
 私の叱責の剣幕に、二男は棒立ちになりました。病の為に障害を持つ二男に、後で、「水」は決して無料ではないこと、浴槽いっぱいの御湯を沸かすのに、どれだけの費用が必要か。これは我が家の家計の問題でもあるが、ひいては、社会の人々が納めている税金の無駄遣いにもなることだ、などと説明しました。
 以来二男は、かかり湯も、洗面器二杯とし、残り湯は洗濯。雑巾がけに利用することを覚え、実行しています。「足るを知る」を二男が覚えたのです。
 居室に感謝する心がけを持ったM君は、きっと物を粗末にしない人でしょう。皆さんも一人一人、それぞれに、自分の戒めを定めて、その目標に向かって努力していらっしゃることと思います。寮生の皆さんが、一人で一杯の洗面器の湯を節約すれば、一ヶ月でどれだけの水量になるでしょうか。僅かな湯でも、いつかは浴槽一杯の湯になることでしょう。
 たとえ短時間の居住であれ、物を粗末にしない暮らし方について、皆さんで知恵を出し合い考え合って自営会の寮生としての行徳の伝統を築きあげて下さいませんか。
 それは次の世代の寮生に受け継がれ、素晴らしい自営会の営みになることでしょう。そしてまたそれは、皆さんの一生の宝となると信じます。
 梅雨時の体調に十分ご注意下さい。



2017/3/2 掲載

「人生生涯大学」 平成十六年三月号

 春に陽射しは柔らかく、明るくて、草木の芽を伸ばし、花を咲かせて虫達を誘います。 自然界が躍動する季節です。人間社会では、卒業や入学と、自らの人生の目的に進む、まさに目覚めの春です。
 先日、孫娘の高校の卒業式に招待され、参列して参りました。学校創立百年。創立以来変わらぬ制服を着用した孫の晴れ姿に、遠い昔、同じ制服姿の私が重なって、なつかしさ一杯・・・。
 当時は、戦中、戦後の荒廃した日本社会の中で、卒業はしたものの、食べるのがやっとの暮らし。
身を削って私を学ばせ、育ててくれた亡母に、何一つとて恩返しが出来なかった悔恨の念に駆られて、【蛍の光】の合唱を聴きながら、天を仰ぎ、手を合わせて親不孝を詫び、涙しました。孫娘の卒業にも喜びの涙し、誠に感無量の一日でした。心から「おめでとう、そして有難う」と申したものです。
 さて、近頃社会問題になる議員さん達の【学歴詐称】。実に愚かなことだと思いませんか。もちろん大学で学べるのは素晴らしいことですが、【学歴】さえあれば偉い人なのだと思い違いしているようですね。
 何時ぞや担当している少年が私に、「どこの大学を出たのか」と尋ねました。私は【人生生涯大学、労働学部に在籍しているが、これがなかなか難しくて未だに卒業出来ないのよ】と答えました。(実は不勉強で、大学受験ができない私なのでした。)少年は一瞬ポカンとしていましたが、やがて納得して、二人で大笑いでした。
 私は、一日一日が大切な学習だと思うのです。失敗して苦悩し、挫折して踏ん張り、難局にぶつかり、考え込み・・・。人様に教えられたり、助けられたりと、一日たりとも同じ日はなく、どんな些細な事でも無駄なものは何一つないのです。議員さんであろうと、学者であろうと、金満家や貧者であろうと、生かされている命は、皆等しく尊いのです。
 私達の体・精神は、【命】の器、働き場です。一人一人の命を正しく使うこと、それが、【使命】なのです。自分の過欲と過煩悩は、心の静穏を失し、疲労するのみで、命に対して申し訳ないことだと思います。
 誰しも過ちはあるものです。だからこそ、日々「人生生涯大学」で学び、汗を流し、【命】を正しく使う体と心を養うべきと考えます。若い頃、いくら働いても、うだつの上がらぬ情けなさに、他人を羨み、不平不満を漏らす私に、亡姑が笑顔で申しました。
 【人はね。一生終わって身の自慢だよ】と。その時私は、一生この辛い苦労をするのかと思ったのですが、最近になり、やっとこの亡姑の言葉が解りました。
 【苦労】とは、何でしょう?
 有り難い試練、学びなのですね。【苦労】が忍耐・知恵、そして人への思いやり等々、多くの教えを与えてくれ、人を育ててくれる授業だったのだと。【人生生涯大学】で学び、答えが解るまでずい分と長い歳月が必要だったのだと思いました。
 この先まだまだどんな難題が出てくるでしょうか。コツコツと難問に取り組むのみです。そして、
【我以外、皆教師也】で、教えを受けねば。花は無心に咲きます。誰に見せる為でもなく、自らの命を精一杯生かして咲くのです。無欲なればこその美しさなのですね。花にも学び、花にやさしさを感じるのは、うれしいことです。
 皆さんこの春から一緒に人生生涯大学の一年生として、共に元気で、楽しく、勤しみ、励んで参りませんか。
 桜の開花ももうすぐですね。健康に注意してください。



2017/2/1 掲載

「節分の鬼は何処にいる」 平成十五年ニ月号

 三寒四温で春が近づきますね。
 我が家の庭に、余りにも貧弱ゆえ、切り捨てようと考えていた梅の木に、数年ぶりに蕾がたくさんついて、節分の翌日に、パッと一輪が開花。思わず「ありがとう」と声をかけました。
 そして、何が「ありがとう」なのか不思議でしたが、雪が舞った寒気の日も、蕾はしっかり耐え抜いて、花になりました。香り高く、凛とした一輪に感動したのが、「ありがとう」だったのです。
 自然界の草木にしては、当たり前の営みでしょうが、私たちもまた、自然界の中で生かされている命です。些細な事に弱音を吐く私は、切り捨てようとしていた貧弱な梅の木の辛抱強さに我が身を恥じました。
 節分に「鬼は外!」と豆まきしながら、鬼は何処にいるのかと思っていた子供時代・・・。最近やっと鬼の正体が解りました。我欲に振り回される醜態な我が心こそ「鬼」であったと。つまり「鬼」は自らの身中の虫なのです。
 冬の終わりと春のはじまりの節分の日を、私達は、身内の厄介な鬼を追い払い、正しく生きるけじめの日といたさねばなりません。物言わぬ梅の木です。暑さ・寒さに耐え抜いて自らの生命を守り、花を咲かせたのです。
 知恵を戴き、考える能力を与えられた人間ですもの、各々の生命を大切に、一生懸命努力いたしましょう。
「鬼も悟れば 仏となり、 仏も迷えば 鬼となる。」
 善も悪もすべて、自分の心がけ一つです。




2016/12/21 掲載

「未年」に寄せて 平成十五年一月号

 一月も二十日となり、気の抜けた新年のご挨拶となって、まことに申し訳ありません。
 私事ですが、正月早々風邪に倒れ、途中回復したと思ったのですが、再び熱発し、これこそ情けない寝正月でした。この数十年、熱発したことのない私は、「阿呆!」と言われる程元気に働く日々だったので、我ながら驚いたものです。
 私の風邪に対する心構えも悪かったであろうし、こうなったらじっくり風邪と向き合い、完治の日を待つことにしました。
 体のバランスが崩れると、味覚も悪くなり、何を食べても不味いもので、たとえ大根の一切れでも、健康体なら最高においしい食事が出来る。やはり健康は、人間の心と体の基本なのだと痛感しました。
 皆さん、常日頃よくよく自己の健康管理に心がけて生活してください。
 さて、今年は「ひつじ年」。病床で読んで知ったことですが、インドや中国では、八千年も前から家畜として飼育され、人々に親しまれた動物なのですね。
 「羊」という文字を組み入れた「義・善・美」という字は、私達には理想の言葉ですね。「義を以て正しく、心を美しく、善で他に奉仕する。」・・・羊には、素晴らしい意味が含まれているんですね。
 また、十二支の「未」には、「未だ不十分」の意味があり、心美しく、羊のように優しく、善行で他に奉仕、努力しても「まだまだ、だめだ、未熟だ。」と厳しい自己反省が、「未」の一字に篭められています。
 年を重ねると人は、経験や知識を積み、賢い人になってゆくと、私は思っていたのですが、私自身の体験で、幾つになっても毎日の、その瞬間瞬間の出来事が、常に新しい経験であり、学びの場であると解り、人生の終わりの日迄、「未」だ勉強なのだと知りました。風邪で寝込んだ日々も、いろいろな人間の道を少し教えられた大切な風邪の日でした。皆さん、どんな不遇の時も、辛い場合も、すべて自分の人生訓として素直に受け、よく考えると、明日への希望も湧いてくるでしょう。
 ところで、私は、昭和六年の「未年」生まれです。若い「未年」の人々に学び、人様に迷惑をかけぬよう心がけてゆかねばと思います。
「老いて学べば 死しても朽ちず」と、改めて心を定めた一日です。




2016/11/24 掲載

「報恩感謝」 平成十四年十二月号

 今年も残り少なくなりましたね。
 例年のことながら、この一年間どんな暮らしをしてきたか振り返ってみても、余り進歩なしだったと反省するばかりです。しかし、大きな事故、病気もなかった、それだけでも大変有り難いことであったとも思うのです。
 唯、不況社会の中で、仕事が順調に捗らず、八方塞りになったとき、その時点では、随分辛い思いをしましたが、それは、忍耐を培い、物事を考えることをおしえてくれた教訓ともなりました。快適とは言えぬ貧家も、風雨を凌ぎ、明日への活力を養う宿だと有り難く思います。
 尾籠な話ですが、誰しも食べれば排便するのが動物の生理、つまり健康体です。もしこの作用が出来なくなったら、体調は悪化します。一年間、自然体で健康を維持してくれたのも、毎日御世話になった我が家のトイレです。年末は、この一年間の感謝を込めて、念入りにトイレの掃除をいたします。
 皆さん、社会に復帰する大切な日、それが、例え一宿一飯にしろ、自営会で先生方と出会い、寮生の皆様と交流し、食事ができて、ゆっくりと寝ることが出来た・・・。有り難いと思いませんか。生きてゆくということは、こうして多くの人様の支えを戴いているのです。
 そして、自然の大地、木、花、動物達、すべてが一生懸命に生きて、知らず知らずの間に私達を慰め、楽しませてくれます。幸せとか不幸せとかは、自分の心の持ち方次第です。予備(スペア)の無い私達一人一人が、自分の命を大切に一生懸命、正直に生きてゆくことが、社会への、人々への大切な恩返しです。(春夏秋冬、一年間無事に生かされて参りました。ほんとに有難う。)と思うのです。
「報恩感謝」・・・この言葉が私の一年間の締め括りの気持ちです。
 皆さん、新しい年を元気に迎えましょう。




2016/10/26 掲載

「一歩一歩正しい道へ」 平成十四年十一月号

  寮生の皆さん、御元気ですか。紅葉した落ち葉が余りにも美しく、何枚か拾い集めてきました。十一月、急に寒くなりましたね。
 寒いといえば、エベレストの山の寒さは想像もできませんが、十一月三日にテレビ放送された、七十一歳でエベレストに登られた内田敏子さんのお話に感銘を受けました。細い体の優しいお声でした。急いで書き留めた内容です。
「山に登りたいから行くのです。しかし、その気持ちには苦しみもあります。山に登る道中は、苦しみの方が多いのです。自分の体力に合わせて 一歩、また一歩と、前に足を出します。頂上の最後まで、自分の足を一歩一歩前に出すのです。一緒に登る人に迷惑をかけてはならぬ。だからこそ、日頃体力保持の努力に励みます。我が儘で身びいきで怠けると、足は一歩も前に進めません。」
穏やかな表情で語られる内田敏子さんの、細い、七十一歳の体には、常日頃自分を厳しく管理される心棒の強さが秘められているのだと感服しました。
 ところで、昨夜は、かぼちゃのだんご汁の夕餉で体を暖めながら、戦時中は、このだんご汁が最高のご馳走だったと懐かしみました。
 内田敏子さんも私と同世代の女性、戦後の貧しい日本の再起に、一心不乱に働きぬかれたお人です。そして、今日も尚自分を甘やかすことなく、心身を律しての毎日。偉いと思います。
 物資が豊かになった現代社会では、金力、権力、または人の世評、甘言に眩惑され、ついつい人間性の真実を見誤ってしまいがちです。内田敏子さんのように、辛くとも自分の意思を強く持ち、我が身の身びいきをせず、一歩一歩正しい道へと進めてゆかねばと思います。
 命ある限り、自然の中で、人々の中で、親・兄弟、それぞれの御蔭を戴いて生かされている私達です。今日一歩、そして、明日もまた一歩、しっかりと足を上げて歩みだしましょう。そして改めて私も、
「人惑を受くることなかれ。」
 この言葉を皆さんと一緒に学んで参りたい。頑張りましょう。
 風邪を引かぬようにご注意ください。




2016/9/27 掲載

「突然の訪問客」 平成十五年十月号

 爽やかな秋晴れが続きますね。
 のっけから変なお話をいたします。
 一昨日のことです。日暮れが早くなり、夕餉の支度に心急ぐ思いで事務所を片付けていましたら、突然の来客。主人が対応していましたが、どこか見覚えのあるお人。
 それは、十数年前、主人が民生委員の頃のある事業所の職員さんで、わたしもまた、保護司活動の折、一、二度お会いしたことのある御仁でした。
 たっぷりした体格だったのに、すっかりやせ細っていらっしゃったので解らなかったのです。
 その人の時ならぬ来訪の事情は、次の通り。
「当市でも屈指の実業家であった友人を信頼し、保証人となったが、事業に失敗、高利の借り入れだったため追い詰められて、当の本人は姿を晦まし、会社には連日取りたて人が押しかけ、それが原因で退職させられる羽目になり、退職金も借入金に抑えられ、土地、家屋、畑等も一瞬にして失ってしまった。家族もバラバラになり、一人きりで、アルバイト等で食べ、逃げ回る毎日だが、その職も失職。
役所の友人、親戚達に多大な迷惑をかけた・・・」との話。
 最近ニュースでよく知ることですが、まさか目の前にそんな人が飛び込んでくるとは。声も出ぬ程の驚きでした。無表情に、うつろな目でその人は、「二、三日分の食費を」と懇願。常日頃何のかかわりのないわたしたちの所に、しかも、十数年ぶりに訪れることは、余程のことか。背に腹は変えられぬとはこのことか・・・。人の変わりように絶句しました。
 私達も、結婚以来苦難の連続で、「忍耐せよ・辛抱せよ」が主人の口ぐせ。
秋の夜長に古着物を仕立て直して、自分の服作りをすることが習慣になってしまった私は、「一度でいいからデパートで服を買ってみたい。」と大笑いする性分となりました。却って、亡母の着物で、亡母への感謝が深まりもします。
 悪人でもなかったその人の会社勤務時代の姿をやっと思い出し、ほんの少しの心の奢りか、心のゆるみが、この有様に追い込まれたのだと、七十三歳にして誠に大きな、大切な人生学を与えられたものです。
 主人の「辛抱せよ・忍耐せよ」が、時には辛いものでしたが、大切な生き方であると、つくづく思い知らされました。そして、こんな私をよく指導してくれる主人に感謝したものです。
 「愛は、凡そ事忍び、凡そ事信じ、凡そ事望み、凡そ事耐えうるなり」
 キリストの教典「コリントの書」ですけど、私には難しいことは解りません。
「愛は事忍び、事耐うるなり」の忍・耐は、我慢することであり、これこそ神の愛、寛容・慈悲だと思います。物事の原因と結果を明らかに知り、納得し、結果が、苦悩・悲しみのマイナスをプラスに変える努力。「愛」は「憤らない」のです。
「愛」は、苦悩に出会った私達への、神の「愛」です。苦難の受け取り方、これが人間の成長を支えてくれ、また、希望をも与えられると思うのです。
 もちろん永い永い年月がかかるかもしれませんが、大きな大きな神の愛・慈悲を有り難く受け止めて、今一度、今自分の姿・心を省みて、頑張る心を培ってゆきましょう。
まだまだ人生学の途中だとつくづく教えらえた一日の出来事でした。我欲・利に負けて、人を傷つけることなく、コツコツと努力を重ねましょう。



2016/9/27 掲載

「汝、何のために そこにありや。」 平成14年9月号

 九月、スポーツの季節ですね。
 昨日、近くの中学校の生徒さんが、運動会の招待状とともにプログラムを持ってきてくれました。学童のいない家庭を、毎年招待してくれるのです。日焼けして溌剌とした男子生徒の姿に、うれしくてなりませんでした。
皆さんは、どんなスポーツが得意ですか。
 私は、運動会には深い思い出があります。
 今年四十八歳になった二男は、知能も体も障がいを持って生まれました。運動会の日は、大雨になれと天を仰ぐ、暗い気持ちの私でした。
 真直ぐに走れず、ヨタヨタ姿の二男。貧血しそうになり、私は涙一杯で倒れ込みました。
 その時、「ウアーッ!」という大声援が耳に入りました。校長先生を始め、全校生徒が「頑張れ、ガンバレ!」と手をたたき、大声で二男を応援しているのです。
 たった一人で二男が、まだよろよろと走る中、その大声援は、秋空に響き、やっとゴールにたどりついた二男に、皆がバンザイと叫びました。
 雨が降ればいいと思う私の卑屈な心を恥じました。
 その日から私は、前向きに生きねば皆に申し訳ないと思い至りました。人並みではなくとも、二男には「笑顔」がある。社会の人々、お友達、先生に支えられているから、「感謝」と「笑顔」を忘れず生きてゆかねばならないと、二男に言い続けて、やがて四十年。それはまた、私の歪んだ心にも言い聞かせ続けた四十年でもあります。
 それぞれの生まれ育ちこそ違え、一人ひとりの命は、皆等しく尊い。この世に、誰一人として無駄な人間はいないのです。何といっても健康は宝です。健康な体である幸せを無為にしてこなかったか?
 今一度自分の生きざまをふり返ってみましょう。「汝、何のために そこにありや。」と問い直してみましょう。秋の彼岸にご先祖を偲び、先祖から受け継いだ命を粗末に生きてはならぬのです。
 運動会の爆竹が秋空に響きます。皆さん、スタートラインに立ち、ゴールをめざしてゆきましょう。転んでも転んでも起き上がって下さい。ガンバレ!ガンバレ!と私も応援いたします。



2016/7/25 掲載

「生けるしるしある」ことに感謝して生きる 平成14年8月号

 今日は立秋。でもまだまだの暑さですね。
八月は終戦の月。広島・長崎の原爆投下から、もう半世紀以上の日時が経過。今、日本は、めざましい文化国家になりました。
 国を守る為に戦地に赴き、悲惨な戦死を遂げ、また、罪なき国民も、原爆で命を失ってゆきました。家も焼かれ、父も家族も死に絶えて、焦土の中で泣き叫ぶ子供。放心した人々の姿が思い出され、胸が痛みます。
 しかし、国民は、空腹に耐え、荒廃の中から国の復興の為に頑張ってきたのです。
豊かになった現在、毎日ニュースで知る犯罪の多さは、人々の「心の焼け野原」というべきか、「精神荒廃」と言うべきか。不安に思います。
 無念の死を遂げた同胞。死者は還らず。私達は、この同胞の供養の為にも、「生けるしるしあり」と感謝して、心を正して努力してゆかねばと思うのです。
八月三日、四日付の熊日新聞で、自営会の記事を読みました。寮生の皆さん達の苦悩、社会復帰への辛さも深いことでしょうが、自分の生い立ちを恨んだり、悔やんでばかりしていては、半歩の前進もありません。世の人々誰一人として、百点満点の幸せ者等いる筈はない。「幸せ」とは、自分の心の持ちようで言う言葉だと思います。
「窮して変じ、変じて通ず。」
苦しみや困難に当たれば、まず、自分で切り拓く工夫をせねばならない。空腹だからと人様に食べてもらっても、自分は満腹にならぬと同じで、逆境にあれば、耐え抜く自分を作り上げることです。心を素直にして、考えを改めて、生きてゆく意味を学ぶことです。
 道は遠いかも知れない。しかし、必ず道は開かれる。平穏な心の人間になる、それが幸せ者だと思います。先生方に教えを乞いながら、迷わず自分の人生を立て直してゆく努力に励んでください。世の中には、皆さん達に頑張れ、頑張れと声援を送る人達がたくさんいることを忘れないでください。



2016/06/23 掲載

「天は黙って物を育てる」 平成14年7月号

 七月になりましたね。
梅雨の晴れ間、稲が青々と伸びた水田の上を、赤トンボが乱舞していました。インターネットとか、パソコンとか、便利な世の中になりましたが、稲も、赤トンボも、昔から変わらぬ自然界の法則通りに育ち、命を育んでゆくのですね。
 「天は黙ってものを育てる。」
誠に、すべての生き物は、目に見えない宇宙エネルギーに依り、一切の命が息づいている。感謝の言葉もありません。
 昨日、腰痛リハビリの為病院に行きましたら、広い待合室に、七夕飾りが立てられていて、色さまざまの短冊の一枚に
 「おにいちゃんがはやくげんきになりますように。」
と幼い文字で書いてあり、兄を思う弟のやさしい真情に胸を打たれました。私も、入院患者さん達の快癒の早からんことを、七夕に祈り、まだまだ二本の足で歩ける我が身に改めて感謝いたしました。
 七夕祭が来て、赤トンボが飛び始めると、先祖供養のお盆が来ます。先祖代々、宇宙の天の恵みの中で生かされて、受け継いできた我々の心と体。決して疎かに暮らしてはなりません。
感謝を忘れ、何時の間にか心の中には、自分中心の「我」という汚泥が降り積もっている。それを洗い流すことを、七夕の星に誓いましょう。


2016/05/25 掲載

「自問自答」 平成15年6月号

 六月。もう一年の半分を暮らしました。雨を待って田植えが終わった処もあります。じめじめした梅雨も米作りには大切な水。梅雨ありてこそ、私達のすべての命が支えられる。これこそ慈雨です。
 六月は父の日。皆さんのお父さんはお元気でしょうか。
 「父なくば生ぜず、母なくば育たず。」
改めて自分の体を見つめてみませんか。
 父親に反抗していた少年が、
「俺はオヤジなんかに似ていないと思ってたら、足の五本の指と爪がオヤジとそっくりだった。」
と、笑顔で話をしてくれました。もう一人の少年も、咳ばらいがオヤジとそっくりだと申します。父に受け、母に育てられた自分の体を、たとえどのような事情があったとにせよ、粗末に生きてはなりません。
 「肉体」は、呼吸・飲食が出来れば維持されますが、人間である私達には「心」があります。犬ですら三日飼えば恩を知ると言います。「体」は、「心」が働く工場だと私は考えます。心卑しければ、「体」即ち工場も貧しく、立派な働きが出来なくなります。「悪」も「苦」も「喜び」も、自分の心の働きの表れ。自らの不注意、怠惰、無自覚で、父から受けた大切な「心身」を毀損してしまう、それは、罪を犯すということです。
 先ず、今日一日を大切に。弱く、負けそうになる自分に呼びかけましょう。一日を終え、布団に入った時でいい。
 「今日一日、人を騙さなかったか?人から騙されなかったか?オイ!しっかりするんだよ。」と、毎夜この調子で、「自問自答」をして、自分を励まし続けてゆきましょう。そして、自分に偽りなく、素直に、力強く「ハイ。」と自問出来る人間になれるよう努力の一日一日を積み重ねましょう。それが父母へ、また、社会への恩返しです。


2016/5/08 掲載

「お陰様です、有難う」の心 平成14年5月号

 5月は、「子供の日」と「母の日」があり、緑の若葉が繁るように、人の命も代々栄えてゆく悦びを感じます。
 皆さんは、子供時代どんな遊びをしていましたか。私の時代は、縄とび、かくれんぼ、石蹴り、まりつきと、体一杯を動かして、時を忘れる程遊び、
 「ホラ、一番星がでたでしょ!早く帰りなさい。」とよく叱られたものです。
今でも夕暮れの一番星を見つけると、「アカンベー」と舌を出して、一番星をいまいましく思いながら、慌てて帰宅したのを想い出します。
さて社会人となり、まず食べてゆく為、生活の為、必死で働きました。それこそ時を忘れて、汗を流して。しかしある時、いかに辛くとも、働くことを厭うのではないが、毎日毎日ソロバン片手に追いまくられて、催促するばかりが人生であろうかと、妙な疑問が湧いたのです。
実は不勉強であった私は、女学校をやっとこさで卒業した落ちこぼれだったのですが、恥も外聞もなく、その疑問を恩師にぶっつけたのです。白髪が増えてしまった恩師は優しい顔で、「いいことに気がついたわね。」
との一言だけで、私の疑問への解答は与えられませんでした。私は考え込みました。そして、これまでの生き様をふり返りました。
 精一杯働いてきた。すべて一人で、自分の力で頑張ってきた。病気の舅・姑の看護も、一人で立派にやり遂げたではないかと自負する私でした。ハッとしたのです。
 恩師の「いい事」の意味が、おぼろげに解ったように感じました。すべて自分の力で働き生きてきたとは、以ての外の横着な私の心根。働ける体に育ててくれたのは誰か?仕事に失敗しても、許して支えてくれたのは、誰であったか?
 私は、家の人への感謝の念がなかったのです。唯、物理的に働くロボットだったのです。人間としての心がなかった私だったのです。舅・姑の辛い看護も、老いてゆく自分の姿を、そして、看護の心を学ばせて戴く為の尊い人生訓を神様が与えてくださったのです。
 「お蔭さまです。有難うございます。」と誰にともなく手を合わせました。
 この年になっても相変わらずの落ちこぼれの生徒の私。
 「物解りの遅い生徒です。やっと人の心の大切さが解りました。これからが本当の人生の勉強をいたします。先生、私がほんものの卒業証書を戴くことが出来る日迄、どうか達者でいて下さい。先生から卒業証書を戴きとうございます。」と恩師にお願いしました。恩師への約束成就・・・。心を調えて励まねばと思います。
 皆さん、「子供の日」に、子供に返り、人生の目標を立て直し、頑張りましょう。現実は厳しい。厳しい世相に苦労するのは、自分一人ではないのです。皆一生懸命なのです。
 「お陰さまです。ありがとうございます。」の感謝、恩を忘れぬ心で生きて参りましょう。
終生勉強を忘れずに。



2016/3/25 掲載

「不遇こそ得難い人生訓」 平成14年4月号

 四月になりましたね。四月は入学式の月。一生涯の中でさまざまの出会いがあります。皆さんも、初めてのお友達、先生達との出会いを思い出しませんか。
 さて、私事になりますが、三人の子供に恵まれて、長男・長女は共に健康で、小学校、中学校と成長の度に入学式が楽しいものでした。
 しかし、三番目の息子は障がい児として生まれ、入学式は一転して辛い式となりました。病気がちながら、何とか中学校に進学したものの、人並みに勉強も運動能力もない我が子が情けなく、PTA副会長の役職も恥ずかしく、苦しくなって、思い余って校長先生に 「このような子供をもつ親として、PTAの副会長等とても果たせません。」 と訴えました。
 静かに私の泣き言を聞かされた校長先生は、私をしっかり見据えながら、ゆっくりと、
 「貴女は、子供が満点を取ってくる子なら、副会長を引き受けるお母さんですか。」
と仰いました。私は熱い鉄の棒で背中をガーンと打たれた思いで、滂沱の涙に顔が上げられませんでした。
 校長先生はもうご他界されましたが、四月になれば、校長先生の言葉を私の人間としての入学式として心に刻み、発心いたします。
 皆さん、健康体ですか。五体満足であることが、一番幸せなのです。障がいを持った息子は、愚かで誤った私の心を正すために、神様がお授けになったのでしょう。
 どんな苦境に生まれようとも、縁有りて戴いた命は、一人一人が尊い。命を大切に生きる。素直に生きる。心正しく強く生きる。私はこの息子がいなければ、生涯高慢でろくでなしの人生で終わったと思います。息子のお陰でお諭しくださった校長先生にめぐり会えたことに、手を合わせます。
 不遇こそ、得難い人生訓です。まだまだ精進が足りぬ私ですが・・・。
 「人間に生まるること 難し
やがて死すべきものの
いま生命あるは 有り難し」
 皆さん、四月を新しい出発の月として胸を張ろうではありませんか。自治会の先生方、調理の先生、そして、寮生の皆さん達、すべてが我が師と思い、一日一日を大切に、感謝して励んでください。


2016/2/23 掲載

「心に太陽を」 平成15年3月号

 風はまだ冷たいけれど、野辺の草木は萌え出で、小鳥は囀る。まさに春・弥生ですね。
 凍っていた大地に草木がいよいよ生い茂ろうとするさまを讃える昔人の、床しく、やさしい心情を物語る「春・弥生」。美しい言葉ですね。
 春を待ちて、生きとし生けるもの、すべての命のめざめに感動するのは、今も昔も全く変わらず、だからこそ「いのち」の不思議さに驚かされます。「目覚め」とは、「気づく」こと。眠りから目覚めて、一日の活動が始まるように、春は、自分自身に気づく季節です。
 皆さんには、余り関心のない行事でしょうが、女性にとっては3月は「雛祭り」の楽しさがあります。私が物心ついた頃、我が家は、貧乏のどん底。家財道具一つ無い小さな部屋で、母が画用紙に描いた雛人形を、竹の棒にはりつけて、古ぼけた畳の縁に立て、「雛祭り」の歌を教えてくれました。子供心に、本当に、心に「あかりをつけましょ ぼんぼりに」の如く、明るく、楽しく。
 以来、この歌を口ずさむと気持ちが和みます。昨今のきらびやかな「雛祭り」等、及びも付かず、竹の棒のひな人形は、私の心に深く刻まれ、人生の心棒になっています。
 大人になって解ってきたことですが、人の世は、自分の思い通りになることは誠に難しく、社会変動にも左右されつつ、四季以上に、極寒あり、酷暑ありです。貧苦を苦ともせず、時に応じて工夫を凝らし、明るく強く生き抜いた母の姿。明治生まれの古い母ながら、今風に言えば「心に太陽」を持った、いや、「太陽を持つこと」に一生懸命努力した気丈な女性であったと感服するのです。
 皆さん、不況なこの時代、社会復帰しても就職侭ならずと、落胆・苦労の連続でしょうが、これは、皆一緒です。皆同じ事だからこそ「いざ」という日の為に、くじけず学ぶことです。自分の人生ですもの、コツコツと努力すれば、耐える心も養われ、不自由な中にも知恵が生まれ、工夫も生まれてきます。
 必ず春は巡りくるのです。自分で春を呼び寄せるのです。ものは考えようと申しますが、仕事のない日は、自分の勉強の日と考えるのです。愚痴、不平、欲望に心を曇らせぬよう、常に「心に太陽」を失わず、頑張りましょう。


2015/12/16 掲載

「1月1日・・・心機一転出発の日」 平成14年1月号

 新年おめでとうございます。

 皆さんは何回お正月を迎えましたか。お正月は何回迎えても嬉しいものです。
 「一月一日」という日は、まさしく「一」というはじめの数にスタートする新年の第一歩です。これまでの歳月を振り返りますと、躓きや失敗の数々は、すべて、自らの気持ちの過ちであったことを反省いたし、一から 人生勉強のやり直しをせねばならぬと新しい誓いを立てます。

 同じ日の繰り返しのようでも、「一月一日」は、これから正しく生きる覚悟、そして希望、感謝の心構えの「心機一転」をする大事な出発の日なのですね。
 皆さん、お互いに自分の目標を立て、弱音を吐かぬように、一日一歩、しっかりと前進いたしましょう。

 皆さんの今年一年間が、健康でありますよう、年の初めに心から念じます。


2015/10/27 掲載

「自分に嘘をつかず、正直に生きる」 平成13年11月号

十一月になりましたね。
 秋も深くなると、夜空の月が冴えてきます。人々は、それぞれの思いで月を眺めることでしょう。
 私も月にはひとしおの気持ちがあります。
 父・祖父と、家の大黒柱が相次いで逝き、またたく間に家業が傾き、使用人も次々に去ってゆく中、家業を支えてくれていた叔母共々に家を追われて、汚い小さい部屋に移り住みました。
 子供心にも余りにも侘しく、ボツンと月を見上げていた私に、
 「お月様はね、私達を見守って下さるのよ。だから、人に嘘をついたり、人を騙したりすると、盲人になるのよ。」
と、叔母が言い聞かせました。
 長じて知ったことですが、私達を騙して屋敷を奪った人は、本当に盲人になっていました。驚く私に、叔母が、
 「誠に、天には見る目、聴く耳があるのだ。」
と申しました。
 この事実は、偶然の出来事だったかもしれませんが、正しく生きねばと教えられました。
 最近になり、あの苦難を与えられたからこそ、頑張りの心が育てられたのだと感謝の念で一杯です。しかし当時は、耐えがたい苦しい暮らしに、ついつい世を恨んだり、騙した人を憎んだりと、心が曲がってゆく私でした。そんな私を見かねて、常に叔母は、
 「復讐は、天に任せよ。汝はベストを尽くせ。」の教えの言葉で、私を諭しました。
 月を見上げると、叔母の言葉が胸に迫ります。何時の日かこの月のように、くもりなき澄んだ心で、天国の祖父、両親、そして、恩ある叔母に会えるように、これからもベストを尽くして励みますと、月に手を合わせて念じました。
皆さん時折は童心にかえり、月を眺めて見ませんか。決して自分一人ではない。いつも誰かが見守ってくれている。支えてくれている。多くの人々に生かされている私達です。
自分の心に嘘をつかず、正直に、自分なりに精一杯生きて参りましょう。


2015/9/28 掲載

「新聞に親しむ」 平成13年10月号

 十月になりました。今年は、栗、柿、梨と豊富な稔りの秋を喜んでいましたが、アメリカのアフガンの空爆のニュースが心に痛みました。
 昔話になりますが、昭和一九年の私の日記。希望一杯で目的の女学校に入学したものの、当時、日本は戦争時代で、毎日の空襲や機銃掃射の恐怖、食糧難、勉強よりも軍需工場での勤労奉仕、兵隊の服の修理、カライモ植え等々の日々、落ち着いて学んだことは書いてなく、無念な思いで読み返しています。それが、理由で学びの浅い私だと申すのは以ての外のことで・・・。以来、新聞が私の教科書となりました。
 十月は、「新聞週間」です。少々早く目覚めても、新聞は届いています。雨の日もビニールの袋に入れて、新聞は濡れずに届きます。
 少年達は、自分の体は風雨に冷たく濡れても、新聞を守り、配達してくれているのですね。「本当にありがとう。」と感謝して読み始めます。
 新聞には、政治、経済、文化、科学、それに身近な地域の情報が、ぎっしりと載っています。アメリカで起こったテロ事件以後、今まで全く関心のなかった国々のことを、新聞片手に地図を開いて、さまざまな国の名前、その国々の住民の暮らし、考え方、地質まで、多くのことを知ることができました。
 何故戦わねばならぬのか、・・・悲惨な戦争を体験した私は、世界の中の一人として、自問します。新聞は、毎日私達に、いろいろと「考えること」を与えてくれます。粗忽者で、失敗の多い私が、日頃人生訓のしている言葉が、最近の新聞に載っていました。それは、徳川家康の処世訓です。
「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心、欲おこらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は、無事長久の基。いかりは敵とおもえ。勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害、その事にいたる。 おのれを責めて、人を責めるな。及ばざるは、過ぎたるより勝れり。」
 この言葉を何度も思い返して、自らを戒めています。
 寮生の皆さん、辛い日も多いことでしょうが、罪もなく戦争に巻き込まれ、怯え苦しむ人々の身を思い、せめて平和な日本に住める幸せに感謝しましょう。そうして、争いごとを起こさない、優しい心を養うことに努めましょう。


2015/8/26 掲載

「到彼岸」 平成13年9月号

 九月になりましたね。
 昨夜の雨で地が湿り、草木も野菜も生き返っています。
 もちろん猛暑にへたばっていた私達も、心身共に癒されました。自然の恵みとは、こうして私達を育ててくれるのですね。
 九月は秋の彼岸。「農作物の実りへの感謝よ。」と、亡母が作ってくれていた「お萩」の味が忘れられません。
 だから私は、「彼岸」とは、「おはぎ」か「お団子」を食べる日だと思って育ち、「彼岸」が七日間であることが全く解りませんでした。
 「彼岸」は、正しくは「到彼岸」といい、現実の世界の「此岸」から、欲望、煩悩の河を隔てて、理想の世界の「彼岸」に到ることだそうです。つまり、身を修めて、安らかな理想の社会を作る為の方法を、「六度の行」と言います。「六度」の「度」は「渡る」の意味とのことです。
 難しい学問は知りませんが、「彼岸」には、こんな立派な教えがあったのだと驚きました。  「六度の行」を簡単に述べますと、
  1. 布施(ふせ) 自分の欲することを人に施すこと
  2. 持戒(じかい) 人間社会の規則・規律を守り、悪をせず、善行をすること
  3. 忍辱(にんにく) 不平不満をいわず、様々の障害に耐える心を養うこと
  4. 精進(しょうじん) 真面目に努力し、励むこと
  5. 禅定(ぜんじょう) 精神統一し、心を乱さず安定した情意を失わないこと
  6. 智慧(ちえ) 知識ではなく、人生を正しく見て、禍福に惑わされず、物事の真実の姿を見極める心の眼を持つこと
 この六つの教えを、「彼岸の中日」にはさんで二日、三日と学び修めてゆくのが、「到彼岸」であり、つまり、「人間反省週間」だなと思いました。「だんご」「おはぎ」等考えていた私は、本当に恥ずかしいことです。
 寮生の皆さん、この中の一項でもいいから、自分の人生の目標にして励んで参りましょう。それは、社会を安らかにする役目でもあると思います。そして、先祖への感謝でもありましょう。


2015/7/24 掲載

「思讐を超えて」 平成12年8月号

 八月になると思い出すのは、戦争の日々です。
 戦場では筆舌にお尽くせぬご苦労があったと思います。
 みなそれぞれに祖国繁栄を願って、戦場に尊い命をささげた人々。
 争うときは、敵・味方であっても、命に敵・味方はありません。
 平和のなった今、敵・味方の区別なく、戦没者の慰霊に心からに供養を致すことが、私たちの務めだと思います。
 国の争いも、個人の争いも同じこと。
 野蛮な争い心や、怨み、憎しみの心を収める努力をし、まづ相手を思いやり、この世の中は決して自分一人で生きてはいけないことを知り、皆のお蔭で生かされていることに「有り難う」の気持ちを忘れず暮らしてゆくのが、わが身も国も平穏となり、無念の死を遂げた戦没者への恩返しになるものと思うのです。
 「怨みは、怨みによって静まらず、怨み無きによって静まる」
 寮生の皆さん、汗を流し、ひたむきに努力することは、自分の為だけではなく、世の中の為に貢献しているわけで、何とうれしいことではありませんか。 

2015/6/25 掲載

「お盆〜わが身を振り返るとき」 平成12年7月号

 七月はご先祖さまの供養をするお盆の月ですね。
 日頃は多忙にまかせていますが、お盆には亡くなった人々を偲び、ご先祖から受け継いで戴いた自分の命を、粗末に生きてはいないかと静かに見つめ直します。
 亡くなった人々とは再び会うことはできませんが、私の心の中に「その心」は生き続けています。
 振り返りますと、成長と共によからぬ知恵も身につき、我利私欲の損得勘定の心貧しい自分の姿があり、これではご先祖さまも、さぞさぞご無念の筈と反省します。
 これまで多くの人達に支えられてきたことに感謝し、恥ずべき姑息な根性を打ち捨て、胸を張って堂々と生きてゆかねばと思います。
 「しっかり生きなさいよ」とご先祖様の声なき声に励まされお諭を受けたようで、私もまた、子孫の心の中に「豊かで心優しい存在」として生き続けてゆかねばならぬと、心を新たにしたお盆供養でございます。

2015/5/21 掲載

「生命のありがたさ」 平成13年6月号

 梅雨入りして、当地でも田植えが始まりました。
 六月十七日は「父の日」です。
 「父に非ざれば生ぜず、母に非ざれば育たず。」
 父母を縁として生まれてきた私達は、それぞれがいかなる環境で育つとも、その生命は皆等しく、尊いものです。
 「人の、生を受くるは難く、やがて死すべきものの、今生命あるはありがたし。」
 もし、先祖の誰かがこの命を連続させなかったら、今ここにある生命はないわけで、だからこそ、今ここにある生命は、本当に素晴らしく、ありがたいと思います。
 田に植えられた一粒の米が、雨、風、害虫等の苦を乗り越えて、秋には頭を垂れて稔り、やがて私達の糧となるように、私達も自分のたった一つの生命、一度の人生を、一生懸命に生きて、自分自身の楽しみばかりを追い求めるのではなく、何時かは人様の喜びの糧になるような人になりたものです。
 寮の先生方のご指導をよくよく学び、調理の先生のご苦労の感謝して、これが、父母の思とも思い、正直に道を歩んでください。
 「父の日」に当たり、改めて我が身を振り返ったものでございます。  

2015/4/24 掲載

「憲法の日に寄せて」 平成12年5月号

 五月の新緑の輝きに圧倒されそうです。
 ところで、五月三日は憲法記念日でした。
 日本国憲法の大きな特色は、天皇の地位、平和主義(戦争の放棄)、基本的人権の尊重、国民主権の四つで、平和憲法として優れているそうです。
 恥ずかしいことに、私はあまり法律のことが判りませんけど、ユネスコ憲章(国際連合教育科学文化機関)に、「ひとりひとりの心が平和にならなければ、真の世界平和は来ない。」とあるそうです。
 個々の人間が、欲望、憎しみ、怒りの思いを蔵していたら、家族の平和も、社会、ましてや世界の平和なんて望めないでしょう。
 私達は、両親から命を戴き、兄姉、友人、師弟等々、多くの人々と出会い、御縁を得て生かされています。
 自営会で、たとえ数日間であろうとも、寮生同志また、先生方との出会いの御縁は、不思議でもあり、とても大切な御縁だと思います。
 寝食を共にする寮生同志が、お互いに相手を思いやり、先生がたのご指導に素直に感謝して、平穏な心を育てていけば、自営会という大家族も平和であり、それが、社会に向けても平和となり、ひいては世界平和につながってゆくことと思います。
 ユネスコ憲章など及びもつかぬ他人事と考えていましたが、私たち一人一人のやさしい心がけが世界平和につながる、実に身近な問題だったのですね。
 大きいことを申すようですが、私達が世界を背負っているんだという希望と勇気が出た五月三日でもありました。
 さあ、皆さんと一緒に五月のさわやかな空気を腹一杯に吸い込んで、今日も元気に励んでまいりましょう。 

2015/3/24掲載

「雑草に教えられる」 平成12年4月号

 寮生の皆様お元気ですか。暖かくなりましたね。
 明るい陽射しの庭に出て驚きました。なんと庭一面の雑草です。
 冬の間ぽつぽつ生えていた雑草に「寒いもの、どうせ又すぐに生えるのだから・・・」と草取りを怠けていた私に私です。
 昨夏、「おばあちゃん、雑草は小さい芽のうちに抜くと楽だよ。」と、孫が言っていたのを思い出しました。怠惰私の心を見抜いて、雑草が笑っているようです。春先に芽生えるのは、雑草だけではない。人は、それに気づいたり、自らを調えようとする気力を持っている。その心は雑草より強いはずです。
 春は卒業、入学等、それぞれの人生のスタートの季節です。私も当時を思い起こし、若い人たちと一緒に発心いたし、自らを調える勇気を養ってゆかねばならない。そして、孫の言葉を守って、油断や怠惰な雑念の芽を小さいうちに一つ一つ摘み取る努力を重ねてゆかねばならない。雑草を抜きながら、雑草に教えられた一日でした。

2015/2/25掲載

「心に太陽を」・・・母が教えてくれたこと 平成15年3月号

 風はまだ冷たいけれど、野辺の草木は萌え出て、小鳥は囀る。
まさに春・弥生ですね。凍っていた大地に草木がいよいよ生い茂ろうとするさまを讃える昔人の、床しく、やさしい心情を物語る「春・弥生」。美しい言葉ですね。春を待ちて、生きとし生けるもの、すべての命のめざめに感動するのは、今も昔も全く変わらず、だからこそ「いのち」の不思議さに驚かされます。
「目覚め」とは、「気づく」こと。
眠りから覚めて、一日の活動が始まるように、春は、自分自身に気づく季節です。
皆さんには、余り関心のない行事でしょうが、女性にとっては、三月は「雛祭り」の楽しさがあります。
 私が物心ついた頃、我が家は、貧乏のどん底。家財道具一つ無い小さな部屋で、母が画用紙に描いた雛人形を、竹の棒にはりつけて、古ぼけた畳の縁に立て、「雛祭り」の歌を教えてくれました。
 子供心に、本当に、心に「あかりをつけましょ ぼんぼりに」の如く、明るく、楽しく。以来、この歌を口ずさむと、気持ちが和みます。
 昨今のきらびやかな「雛祭り」等、及びも付かず、竹の棒のひな人形は、私の心に深く刻まれ、人生の心棒になっています。
 大人になって解ってきたことですが、人の世は、自分の思い通りになることは誠に難しく、社会変動にも左右されつつ、四季以上に、極寒あり、極暑ありです。貧苦を苦ともせず、時に応じて工夫を凝らし、明るく強く生き抜いた母の姿。
 明治生まれの古い母ながら、今風に言えば「心に太陽」を持った、いや、「太陽を持つこと」に一生懸命努力した気丈な女性であったと感服するのです。
 皆さん、不況のこの時代、社会復帰しても就職侭ならずと、落胆・苦労の連続でしょうが、これは、皆一緒です。
 皆同じ事だからこそ「いざ」という日の為に、くじけず学ぶことです。
 自分の人生ですもの、コツコツと努力すれば、耐える心も養われ、不自由な中にも知恵が生まれ、工夫も生まれてきます。必ず春は巡りくるものです。
 自分で春を呼び寄せるものです。ものは考えようと申しますが、仕事のない日は、自分の勉強の日と考えるのです。
 愚痴、不平、欲望に心を曇らせぬよう、常に「心に太陽」を失わず、頑張りましょう。

2015/1/21掲載

「人生を切り開く」 平成14年2月号

皆さんは春と何回巡り会いましたか。
 私は今年で70回目の春を迎えます。まさに,「光陰矢の如し」です。  世間知らずの20歳で,無一文から始めた事業が,やっと軌道に乗ったのも束の間,同業の大企業進出で長年の取り引き店も次々に奪われ,辛酸を極める年月。 さらに不況も追い打ちをかけ,刀尽き,矢折れの有様。
いよいよ事業閉鎖の思案中に,当の大企業が倒産してしまいました。
「取引先に迷惑はかけられぬ,何とか宜しく後の取り引きをお願いしたい。」との申し出に,仰天しました。
商いは弱肉強食とはいえ,横暴な商法での大企業の仕打ちに涙して,恨んだ日々もありましたが,だからこそ忍耐,努力の精神が培われ,どんな小さな仕事も誠意を以て当たらねばならぬことを身に染みて教えられたのです。
水戸黄門の言葉に,
「楽は苦の種,苦は楽の種」とあります。
社会は活きています。
この先どうなる事やら,やってみなければ何も生まれてこないし,また,何も解りません。
我欲を捨て,意欲を以て「敢えて行う」の気力。そして,それを「貫いて行こう」の努力。それが慣行となり,自らを調え,自らの人生を切り開いてゆく・・・。
「もう,歳だから・・・」と諦めてはならぬのが人生と思い知り,まだまだ学ぶことがたくさんある,今やらねば,出来る時にやらねば・・・と考えます。
ずいぶん遅すぎる老いの目覚めながら,70回目の春を迎える新しい覚悟です。
皆さん,自らの生きがいを持ち,励みましょう。それにはまず健康です。

2015/12/25掲載

「1月1日・・・心機一転出発の日」 平成14年1月号

 新年おめでとうございます。
皆さんは何回お正月を迎えられましたか。お正月は何回迎えても嬉しいものです。
「1月1日」という日は,まさしく「一」というはじめの数にスタートする新年の第一歩です。これまでの歳月を振り返りますと,躓きや失敗の数々は,すべて,自らの気持ちの過ちであったことを反省いたし,一から人生勉強のやり直しをせねばならぬと新しい誓いを立てます。
同じ日の繰り返しのようでも,「1月1日」は,これから正しく生きる覚悟,そして希望,感謝の心構えの「心機一転」をする大事な出発の日なのですね。
皆さん,お互いに自分の目標を立て,弱音を吐かぬように,一日一歩,しっかりと前進いたしましょう。
皆さんの今年1年間が,健康でありますよう,年の初めに心から念じます。

2014/12/01掲載

「今日なすべきことを一心になせ」 平成13年12月号

今年も残り少なくなりましたね。
1年間が余りにも短くて,一足飛びに師走になった気がしますが,確かに,今年の桜は美しかったし,夏は特に暑かった。
つい先日は,紅葉した落ち葉を拾い集めて楽しみました。
1年間,大自然は,折々の風景で,私達の暮らしに潤いと勇気とを与えてくれたのですが,年間目標の半分も達成できなかった自分の姿に,1年間が早く過ぎてしまったと愚痴が出るのです。
しかし,周りの人々の思いやり,支えを戴き,大過なく歳の瀬が迎えられることに感謝しております。
そして,「過ぎ去れるを追うなかれ。」この釈尊の教えに気を取り直します。
新たに来年こそはと意気込みますが,いくら立派な理想や計画を立てても,命あればこその目標です。
テロ事件や戦争で,罪なきアフガンの人々が命を奪われる悲惨さに胸痛み,これでは人生の希望すらないと,無念です。
だからこそ,平和な日本に住む私は,日本の平和が世界の平和に広がるようにと,ひとりの人間として頑張らねばと思うのです。
それにはまず,自分の心を平和に保ち,「今,ここで,何をなすべきか」自らを省みて考えるのです。
失敗や挫折は人生学習であり,失敗が知恵を生み,挫折が強い人間にと鍛え上げてくれるのです。
どんな小さいことでもいい,コツコツと,自らを偽らず努力・実行することです。
「ただ今日,まさに作(な)すべきことを熱心になせ。」
この釈尊の教えこそ,人生のすべてだと思います。
せわしい年の瀬こそ,今日一日を心身集中いたし,精進してまいりましょう。
そうすれば,新しい年は輝きながら,皆様の元に訪れることでしょう。


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