くまもん

 元保護司 田尻幸子先生書簡集


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田尻幸子先生

履歴:水俣市出身  熊本県立第一高校卒業
生前は保護司、民生員として、永年にわたり更生、福祉活動に携わってこられました。
その間40年にわたり「熊本自営会」(更生保護施設)に、魚や肉などの食材を自筆の手紙とともに毎月提供されておられました。
これらの活動に対し、熊本市長賞、水俣市長賞など多くの感謝状が寄せられております。
ここに、その時のお手紙をご紹介致します。



2024/02/29 掲載

「縁」の不思議さ  平成十八年一月号

 新年おめでとうございます。
「一年の計は元旦にあり」と申しますが、皆さんもそれぞれの目標を定めての新年のスタートを切られたことでしょう。この世で人間だけが目標を持ち、自覚して自分の将来に取り組むことが出来る存在です。
 私も毎年、今年こそはと計画・目標を立てるものの、予測の出来ぬ事態に遭遇し、そのことに目を奪われ、心乱れ、疲弊、挫折いたし、迷いが多くなり、なかなか立ち直れぬ間に、時は慌しく流れてゆき、目標達成を果たせない。その繰り返しで早七十五歳のおばあさんになってしまいました。二度と取り戻せない過去を惜しみながら、懲りもせず「ようし」「今年こそは」と、消えそうな命の残り火を掻き立てるように、老いの身を励ます正月です。無我夢中だった若い頃の失敗等々、年を重ねて初めて解ることも・・・。老いたからこそ今日一日の大切さをしみじみ思うのです。この世に生を受け、いのちを戴き、一人の人間として成長してゆく歳月の中で、どれ程多くの人々に出会うことでしょう。
 人様と出会う「縁」の不思議さ、有り難さ。この出会いの「縁」は即ち、出会った人々の「心」を戴いているのであり、「やさしさ」「思いやり」「きびしさ」等々、人々の心が「私」に希望と勇気を与えてくれ、私達は励み、努力、感謝、思考等、多くの教えを受けて生かされているのですね。
 決して一人で生きているのではない私達なればこそ、どんなささやかな「目標」であろうとも疎かにせず、一歩一歩と日々精進努力してゆかねばならぬと思うのです。
「正月」は、老いてゆくにつれ新鮮に感じます。今年もまた多くの人々に生かされていることに深く感謝し、一年の目標は、先ず今日一日の目標を大切に暮さねばと思います。
 皆さん、思い切った日を「元旦」として、「心機一転」いたし、すがすがしく頑張って参りましょう。


2024/02/02 掲載

痛みに学んだこと  平成二十二年二月号

 寮生の皆さん、お元気ですか。
 早朝の寒さに首を縮めて、仕事場に通いますが、道筋の白梅に春を感じ、今日も一日、自分の仕事をしっかりと果たさねばと、我と我が身を励まします。
 年を重ねると、体力と気力のバランスがおかしくなり、重ねて物忘れも手伝って、なかなか計画通りに仕事が捗りません。「仕方ない、老いたのだから。」と自分に言い訳をして、「老い」の責任に転化してしまう私を恥ずかしく思う昨今です。
 先頃の腰の激痛で歩行困難になった時、ともかくその激痛の治療に懸命でしたが、ようやく治りかけたとき、今度は治りかけていた「リウマチ」が悪化して、両手が腫れて、これはまた大変な痛みに堪えられず、熊本の国立病院に走りました。
 担当の医師が検査結果を見て、「こりゃいかん」と驚かれて、私をじっと見据えられました。私は心が冷え込みました。腰痛の折、早くこの痛みを止めたいと、「腰」の薬ばかり服用して、リウマチの薬を服用するのが疎かになっていたのです。この私の迂闊さを、リウマチの先生に告げることができませんでした。一生懸命に治療して下さる先生に申し訳なくて・・・。
 そして、いくら名医に診断を受けようとも、先ず自分の体は自分が責任を持って名医の指示をしっかり守ること、これが自分の責任ではいかと、先生に申し訳なく猛反省いたしました。先祖から累々として受け継いで戴いた命と体です。心を込めてこの体を働かせ学んでゆかねばと、しみじみ思いました。
 医学の進歩で難しい病気も完治する有り難い時代です。この度の重なる激痛は、まだ生きている証拠だ。有り難いとよくよく反省いたし、身も心もしっかりと大切に努力すべきだと、身勝手に生きていてはご先祖様に申し訳ないと猛反省した、リウマチや腰部の激痛でした。
 この便りを書いていましたら、「自営会だより」が届きました。新しい年を迎えての寮生の皆さんの今年の抱負を読ませて戴きました。一人一人の抱負は、すべて私の抱負でした。
 誠に「体調の整った活動的な年」とは、自分自身の我欲を捨ててきちんと生活されてこそのこと。これは、私が身勝手な心で自分の健康を悪くしてしまったゆえの有り難い言葉でした。
「一日一日を大切に過ごす」これもまた、私にぴったりの教えの言葉でした。我欲に負けて分別なき行動では、健康も心も乱れてしまいます。寮生の皆さんのそれぞれの抱負を何度も読み返して、私の大切な一年の抱負とさせて戴きたいと思います。本当に有り難うございました。
 そんな抱負を持って励まれる皆さんを支えて下さるのは、ご指導下さる寮の先生方であり、皆さんの健康に留意して、毎日の食事を調えて下さる調理の先生のお蔭なのです。
 決して自分一人で生きている社会ではありません。多くの人々に支えられていることに、常に感謝の心を忘れず、一生懸命にお励み下さい。私も、皆さんの「抱負」を目標に頑張ります。
 まだまだ寒い風が吹きます。風邪に注意して下さい。
 先生方、調理の先生への感謝を忘れずに、各々目標に向かって学んで下さいませ。


2023/12/30 掲載

老いの姿に学ぶ  平成二十二年一月号

 寮生の皆さん、遅れ馳せながら新年のご挨拶を申し上げます。
 数年ぶりの雪景色に首を縮めましたが、庭木に積もった雪の美しさに見とれてしまいました。
 自然とは、人間共の小さな思惑にお構いなく、四季折々の風景に変化して、私達にも、動物達にも、植物にも生命を与えてくれるのですね。一月十日は、当市の成人式にて、私も市当局よりご招待を受け、成人式に出席いたしました。晴れ着姿の男女共々、健康で見事な体格の成人の一人一人が、悦びに満ち満ちていました。晴れやかな成人を眺め、これ迄に到る、それぞれのご両親達のご苦労、そしてお喜びを思い、
「決して自分一人で成人したのではない。どうか親様に感謝、社会に感謝の心を忘れずに、それぞれの人生に向かって励んで下さいね。」
と心の中で念じ、祝福しました。
 そして、「光陰矢の如し」と、自らの生きざまを振り返りました。
 昨年暮れからの多忙な作業が重なり、腰を痛め、杖を頼りの情けない歩行の有様ですが、老いて初めて知る体力減退に、これ迄少々の労働も若い者に負けじと働けたのにと、無念な思いです。
 そして今、舅様・姑様のことを、とても懐かしく想い出すのです。
 当時、社会的に老人看護等の福祉もない時代で、仕事片手に寝たきりの舅様、認知症になられた姑様のお二人の介護は大変でした。
 仕事を終えた年の暮れは、正月準備もそこそこに、舅様の散髪・髭剃りが大変。慣れてそれも上手になり、手際よく終えての入浴ですが、これには少々苦労。舅様は背負えず、敷き布団のままヨイショヨイショと廊下を引っ張るのです。老人入浴の為に広く作った風呂場で、舅様をゆっくりと入浴させ、次は姑様です。認知症なので、シャンプーをクリームと思い顔につけたりと、てんやわんやでしたが、お二人共にさっぱりして、髪も整えて・・・。
 今思えばよくやってきた、男並みに手足も強かったなあと、自分の両手足を眺め、除夜の鐘を懐かしく聴いています。
 今、老いて知る体力・気力の減退ですが、身体は小さいけど、手も足も、耳も目も、実によく働いてくれたと、少し褒めてやります。そして今、舅様も姑様も、私の為に老いの姿で人生を学ばせて下さったのだと深く感謝するのです。
 まだまだこれからが本当の人間としての学びの日々と思います。人の老いる姿、正直に生きること等多くのことを教えて下さった舅様・姑様、これからも色々教えて下さいませと、お二人の位牌に手を合わせ、念じる毎日です。
 まだまだ寒い日が続くでしょう。くれぐれも風邪に注意してお励み下さい。健康の為に食事を調えて下さる調理の先生、ご指導下さる寮の先生方への感謝を忘れずに。

2023/12/1 掲載

「いのちの時間を、貯金する」  平成二十一年十二月号

 寮生の皆さんお元気ですか。あれよあれよと思う間に、今年も半月足らずとなりました。皆さん達はどんな一年間でしたか。
 私は生来の慌て者ゆえ、失敗が多く、今年こそは何事もよく考え、落ち着いて行動いたし、人様に迷惑をかけぬようにと、自らに言い聞かせていたのですが、結局はその約束事を半分も果たせず、無為に過ごしてしまった一年となりました。心が痛みます。
 誰しも一日を二十四時間という時間で生きているわけで、「時間」とは一人一人にとって「寿命」のことなのですね。生まれた時は、各々予測のつかぬ長い時間を持っていますが、成長するにつれ「いのち」の時間を、貯金することなしにひたすら使い続けています。特に私も若い頃は「まだまだたっぷりと自分の命の時間、つまり貯金はある。」と、無駄使いしていました。老いた現在もまた、うかうかと時間を浪費しています。
 私達には一人一人それぞれに与えられた使命があります。小さな仕事も使命、難しい学問の仕事も使命です。「使命」とは「命を使う」と書きますように、一人一人、自分に与えられた命を使い切ることが大切だと思います。この社会の中で自分はどんな生き方をして、命を正しく使うか。日常学ぶことはこれが根本であり、自分に与えられた能力を精一杯に活かして努力すること、励むこと、これが各自に与えられた「使命」だと思います。  誰しも解らぬことは一杯あります。解らぬことは学んでゆくより方法はないのです。失敗してもいい。何度でも教えを受けて学んだらいいのです。
 人は老いたくなくても、年毎に老いてゆくのです。私事ながら、最近の物忘れの多さや間違いの多さが無念でなりません。若い頃からもっと一生懸命に学び、励んでおくべきだったと後悔しきりですが、若い頃の生きかたの心がけの悪さゆえであり、一生懸命に「使命」を果たさなかった報いだと、今頃気付くありさまです。
 皆さん、私のように老いて後悔しないように、日々一生懸命に自らの「使命」を精一杯使い切り、一日一日を大切に励んで下さい。
 風邪が流行しています。健康なればこその「命」です。充分に注意して、年の瀬を過ごして下さい。ご指導くださる寮の先生方、皆さんの健康に留意して食事を調えて下さる調理の先生への感謝を忘れずに・・・。よい正月をお迎え下さい。


2023/10/29 掲載

心棒を育てる  平成二十一年十一月号

 寮生の皆さん、お元気ですか。あちこちの紅葉の見事な景色をテレビで観ながら、人智では作り出せぬ美しさに感動しています。
 私共の仕事場の前の岡に大きな柿の木があり、今年も鈴なりの実が赤々と夕日に輝き、その見事さに、思わず「有り難う」と手を合わせて祈り、眺め入るのです。
 木々の花々も、葉も、その実も、各々の木の「根」がしっかりしていればこそ、毎年こうして花咲き、実を実らせるのですね。「根」は、花や実にとって、大事なものです。しかし、この大切な「根」は、土に覆われていて、見ることが出来ません。「人間の心」も、木の根と同じように人間にとって非常に大切ですが、しかし、「心」を目でみることはできません。
 「心」とは、感じたり、思ったり、判断したりする「働き」であり、物欲、我欲を捨て、今、生かされていることに感謝して、学び、努力することにより、しっかりした「心」が育ってゆくのだと思います。
 実は、私も八十歳近くなり、せいぜいゆっくり暮らせるだろうと、「楽」を求めていたのですが、何の何の、年と共に能力も衰え、ゆっくりどころか日々の仕事に手間取り、失敗が多くなり、満足に自分の仕事ができなくなりました。つまり、若い頃、我欲に負けて仕事を怠り、真剣に仕事に取り組まなかったこと、仕事を重んじなかった心の横着さのために、仕事に励むという大切な「心根」が育たなかったのです。亡母の晩年の口癖であった「少年老い易く、学成り難し」が、今身に染みて心によみがえります。亡母の教えを軽軽しく受け止めていたことが恥ずかしく、申し訳なく、反省の日々です。
 いくら求めても、若い頃には戻れません。今やっと、亡母の教えを受け流していた、横着な私の心根の浅さを恥じるのみです。これほど老いるのかと思うくらいに、物忘れも多くなりました。何度も若い人達に教えを受けながら、仕事の足手まといにならぬよう、とにかく一生懸命に自分の責務を果たすのが精一杯の毎日です。
 皆さん、どんなに財を積んでも「若い日」に戻ることは出来ません。今やっと「学ぶこと・努力すること」の大切さを、この年になり思い知らされています。
 一人一人の大切な人生。私のように、老いて後悔に苦しむより、若いうちに自分の目標を決めて一生懸命に励み、努力して下さい。今日一日が大切です。そして、「一日」は、人々に等しく与えられた大切な「一日」なのです。各々の目標に向かって、我欲に負けずお励み下さい。
 今日は、七・五・三のお祝いの日。愛らしいお子さん達を眺めながら、この手紙を書いています。ご指導下さる寮の先生方、食事を調えて下さる調理の先生への感謝の心を忘れず、お励み下さい。風邪に気をつけて下さい。

2023/0926 掲載

オリンピックに教えられたこと  平成十二年十月号

 十月になりました。オリンピックも終了しましたが、それぞれの選手の真摯な競技態度に、感動の連夜でした。
 時間にすれば誠に短い競技を果たすのに、選手達は、何年間も過酷な練習を積み重ねてきたのですね。金メダルに輝いた橋尚子選手ですら、練習の最中に、このまま家に帰ってしまいたかったといわれていましたが、その弱気に打ち勝つ精神力には、頭が下がります。
 さてさて私は、一生を終える時、とても金メダルなんて及びもつきませんが、せめて、 「一生懸命、日々、正直に生きて参りました。」と、胸を張って次の世代の人達に言い残せるように励みたいものです。オリンピックの感激の中で、たくさんの教えや発見をさせて頂いた選手の人々に、ありがとうと言いながら、閉会式を見ました。
 寮生の皆さん、転んだり、つまづいたりしても、また起き上がって、勇気を出して、自分の目的の道に向かって歩いて参りましょう。


2023/8/27 掲載

「いのち」の食事  平成二十一年九月号

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、朝夕の涼風が心地よい季節になりましたね。
 私は毎朝、仏前に手を合わせ、六時二十分頃には家を出ますが、車を走らせながら毎朝出会うウォーキングをしている人々、また、稲の稔り、山あいにかかる朝霧・・・海には漁船が朝日を受けて白波を立て、沖に出ている・・・毎朝右に左に自然の変化、人の動きを見やりながら、今日も元気に仕事に向かえることに感謝しての一日の始まりです。
 稲の穂も重く下がり、柿の実も色づき、山野はまさに稔りの秋。朝日に輝く田畑や山の木々、海の産物に、その恵みに手を合わせます。
 私達は、自分の体を支える為の食事をいたしているのですが、この食事が摂れなくなれば、体は弱り死んでしまうでしょう。日に三度の食事をするのが普通であり、体のエネルギー源として大切なもので、お腹がすけば、人に聞かなくとも解るので大体一日三度の食事をして、自分の身体を維持しています。身体を維持することは、犬や猫でも同じで、空腹になれば餌を求めます。
 ところで、私達は動物と異なり、人として、もう一つ大切な食事をとらねばならぬと思います。これは大切な食事ですが、空腹になったとはなかなか解らず、ついつい疎かになりがちです。それは現在、今、自分の身体は決して自分で作った身体ではなく、先祖代々から戴いた「いのち」であることです。この「いのち」は一人に一つ。それこそ大切な「いのち」であり、決して粗末にしてはなりません。
 自分の「いのち」が大切ならば、人様の「いのち」も等しく大切であり、お互いに心を調えて、人として正しく生きてゆかねばなりません。身体を支える為に、日々食事をするように、「いのち」の日々の食事は、学ぶことと思います。
 どんな小さなことでも、解らぬことは一人で思い悩まず、先生方に教えを受けることです。これが「いのちの食事」でしょう。御彼岸を迎えて、改めて御先祖から戴いた一人一人の命を大切に、体を支える食事同様、命・心を育ててゆく為に日々学び、努力することを御先祖さまに誓いましょう。


2023/07/30 掲載

寮生からのお礼状  平成二十一年八月号

 テレビのニュースで梅雨明けが報道され、いよいよ夏本番といった感じになってきた今日この頃ですが、田尻幸子先生は、どのような毎日をお過ごしでしょうか。
 私は、社会の不景気のあおりを食って派遣切りに遭い、住む所をなくし、就職活動もうまくいかず、ついには人様に迷惑をかけると分かっていて、お店で売られている食品等を盗むという窃盗犯罪に手を染めてしまいました。
 今の世には、私のような人が沢山いますが、私は人として間違った道に足を踏み入れてしまいましたが、寮の先生方など周りの人達の力でやり直すきっかけをあたえてもらいました。
 よく「人は一人では生きてはいけない」などと耳にはしますが、自分自身がそのような状況に陥らないと、その言葉がどのような意味をもった言葉なのかを、深く知ることはなかったと、今回のことを通して知りました。
 世界には日本の失業率、不況に比べれば、もっともっと貧しい国があります。それに比べれば、私は本当に幸せ者です。今回、この自営会で知った田尻先生や寮の先生方のお蔭で、私も七月中旬頃から一ヶ月ほどではありますがお仕事をもらうことができ、その時は本当に嬉しかったことを覚えています。
 この手紙を書いている今現在は、また新しい仕事に就くための就職活動中で、昨日面接を済ませ、後は合否待ちといった感じです。
 今回の面接で落ちてしまったとしても、チャンスがある限りアタックし続け、自立して日常生活を掴み取りたいと思います。
 近頃のニュースでは、未だ天候の悪い日が続き、地震や雨などで土砂崩れが起き、家が崩壊したり、雨の激しいところでは行方不明者が出て、不幸な出来事が相次いで起きたりもしていますが、田尻先生もお身体や周りの出来事には十分注意して健やかな毎日をお過ごし下さい。
 私達寮生も、少しでも早く自立できるよう毎日頑張ります。
 

2023/06/30 掲載

戦争体験から学んだこと  平成二十一年七号

  夏本番、暑くなりましたね。皆さんは何回目の夏を迎えますか。私は七十九回目の夏です。
 夏にはそれぞれの思い出があることでしょう。私も小学生の頃は毎日の海水浴、夜は近所のおばさん達も寄り集まり、花火大会で楽しいものでした。
 六年生頃になると、先の大戦で日本の情勢も悪くなり、空襲を受け、防空壕に逃げ込み、体を縮めて爆弾の炸裂の音に身を縮めて怯えたものです。女学生(現在の高校生)になりましたが、夏休みも返上して勤労奉仕の日々。日本中の男性達は、兵士として戦地に赴き、国内は老人と子供達になってしまいました。
 学校に行っても勉強どころではなく、各学年に別れて農家や工場等の勤労奉仕に明け暮れました。老人ばかりになった農家の田植え、茶摘み、芋植え等々の農作業の初体験は、それはそれでいい勉強であり、汗を流して励みました。
 農家の貴重な労働力である「馬」も、戦地に召し取られて馬小屋は空っぽとなり、戦場で荷役馬として活動させられたのです。馬も兵士と同じく出征したのですね。私は女学校で寮生活をしていましたが、食糧不足で寮のテニスコートを畑にと必死で耕し、芋や大根等を植え、食糧を補ってきましたが、毎日芋と菜っ葉の入っただんご汁ばかりで、寮生のほとんどが栄養失調になり、「脚気」を患い、辛い日々でした。夜は電力不足で薄暗く、それを私達は、「ローソク送電」と名づけていましたが、本も読めぬ不自由に苦労したものです。
 また勉強したくとも「ノート」すらなくて、どんな小さな紙切れも大切にして、ザラザラの藁半紙の広告紙の一枚も無駄にせず、裏面をノート替りに使用していました。鉛筆も、短くなれば紙を丸めて継ぎ足しし、ギリギリまで使用しました。
 そんな不自由が身に染みて現在も新聞等の広告紙の裏面をメモ用紙として大切に利用しています。また鉛筆も、どんなにチビても永く捨てきれず、我ながら誠に貧乏性だと苦笑します。すくすくと背丈の伸びた孫達に見下されながら、
「おばあちゃんはね、カライモと菜っ葉の大根汁で育ったからチビなのよ。」と言い訳していますが・・・。
 しかし、あの粗末なだんご汁の味は懐かしくてなりません。平和な現代、有り余る物資、便利な生活が出来る毎日を有り難いと思いながらも、むざむざと捨てられている残飯や、生活用品、余白の多いノート等を見ると、ついつ「勿体無いなぁ」と心が痛んでしまいます。
 人生の前途、志半ばで戦地に赴いた学徒出陣の大学生達。老父母、妻子を残して国家の為にと出征し、無念の戦死で散った多くの若人達のお蔭で、今の日本のこの平和があるのです。夏になれば天を仰ぎ、その御人達の冥福を祈る私です。
 また、蛍が舞うその光を見れば、戦死した若者・兵士達の魂が、故郷恋しと還ってこられたのだと手を合わせます。
 あの苦しい日々の一日も、今平和な日々の一日も、等しく一日は二十四時間です。爆弾に怯えることのないこの安らかな日々。平和です。「平和」とは、人生最高の宝です。
 この平和の一日を、お陰様でございますと感謝しつつ、互いに憎しみ合わず、争わず、たった一つの命を大切にして、真っ当に生きてゆかねばとしみじみと思います。
 皆さんも、このようにどれだけ多くの人々に生かされ、守られているかをよくよく考え、自分の目標に向かって一生懸命に励んで下さい。失敗してもいい。何度でもやり直せばいいのです。
 百段の階段を登るのも、足元の一段からです。一段一段と登ることです。遠い昔、無念の戦死を遂げた青年たちの分までも頑張って、志を果たして下さい。平和な日本を守ることです。


2023/05/30 掲載

水が出た!  平成二十一年六月号

 お元気ですか。月に一度の便りも、学問のない私は、身近な出来事ばかりでごめんなさい。
 つい先頃まで、当地の名産である「サラダ玉葱」の収穫・出荷でにぎわっていた畑に、水が満々と引き込まれ、田植えが始まりました。正確な季節の進行に合わせて、私も正確に年齢を重ねているのだと思いつつ、早朝出勤です。
 六月は雨の月。じめじめした雨でも、私達すべての生命の水となる雨です。特に「水」とは深い関係のある私達の仕事ゆえに、「水」の恩恵を深く思いながら、毎日働いているのです。
 五十年も前のこと、製氷工場の増設と、冷凍・冷蔵倉庫を新設することとなり、それには機械操業に大量の冷却水を必要とし、水道水では、莫大な経費を要する為に、井戸を掘ることになり、当時、宮崎県の井戸掘り名人と言われていたボーリング技師に依頼、三人の技師でのボーリングが始まりました。
 しかし、契約期間が過ぎても水は出ず、工場の操業も近まるのにと、亡夫は再び銀行に借入金を申し込み、工事を続行、相次ぐ多額の借入金に、世間知らずの私は、これで水が出ないならばと不安で、心細くなり、思わず実家の母に電話してしまいました。
 私の泣き言を聞いていた母は、
「しっかりしなさい。お父さん(亡夫のこと)の仕事を支えるのですよ。水は必ず出ます。神頼みと思うだろうが、夜明けに起きて、お父さんと二人で井戸掘りの地点に御神酒を供え、二人でお祈りしなさい。」と申しました。
 神頼みとは白々しいと不服そうな亡夫に頭を下げて、夜の明けぬうちに二人で井戸掘りの地点に御神酒を供え、真剣に念じ、祈りました。もちろん、この私達の行為は、舅様、姑様、子供達にも話しませんでした。
 その日もボーリングが始まり、三人の技師さん達も汗みどろです。昼前になり、技師さん達にお茶・食事の用意をしていましたら、突然技師さん達の「出たぞ」の叫び声と共にゴーッという水の音。私は家から飛び出しました。泥水が吹き上げていました。私は体中が震え、涙が、これも井戸水のように溢れ、流れました。亡夫は声もなく、吹き上がる泥水を見つめ、舅様、姑様も、手を合わせて祈っていらっしゃいました。
 早速熊本大学の教授に連絡し、掘り出した岩石類や水質の検査を依頼しました。後日、岩石も水質も、深い地層の良質な水であるとの鑑定書が届きました。
 母が御神酒を捧げ祈りなさいと申しましたのは、亡夫や私の不安な気持ちを落ち着かせる為、そして、辛抱強くやり抜きなさいとの母の教えであったのだと思います。と共に、この噴き出す水は、これこそ一生懸命に努力して作業して下さった技師さん達の技術と熱意で水が噴出したのだと思いました。以来今日まで、一日も枯れることなく、こんこんと美しい水が湧き出ています。
 亡夫が他界して三年目、天国から安心して水の音を聴き、機械の音に満足していることでしょう。機械を冷却して工場の外に流れる水は、近所の人々の洗い物等にも利用され、喜ばれています。私も朝早くこの水を工場一円に水撒きして清掃します。
「父の日」の六月、子供達に「どんなお父さんだった?」と尋ねましたら、「信念の強い、辛抱強い人」と、異口同音に答えました。そして、
「ぼくたちには厳しかったが、お客様には優しい笑顔の人だった。」とも答えました。
 粗忽者で失敗の多い私は、厳しく叱られ通しでしたが、辛抱強く私を指導してくれた亡夫に感謝、感謝です。二男と共に、精一杯働く日々。これもまた多くの人々のお蔭でもあるのです。
 特に六月は「水」の月。私共の生活用水は、行政で設備管理され、安全な「水」として各家庭に届きます。皆さんも一人一人が心がけて「水」を大切に使い、風呂桶一杯の湯もむざむざと無駄にしないようにして下さい。「水」は多くのことを私達に教えてくれます。
 石の上にポタリポタリと落ちる水滴も、いつか石に穴をあけるのです。皆さんもどうか辛抱努力し、何事も我が身の為と思い、頑張って下さい。学んで下さい。
 

2023/05/01 掲載

ガンバレコールで二男が変わった  平成二十一年五月号

 五月の空に、大木の楠の青葉がゆさゆさ揺れています。
 五月は、子供の日・母の日があり、親が子へと生命を継ぐ、とても大切な月だなと思います。
 昨日のこと、当地の中学校の校長先生が、自らわざわざ「体育会」の案内状を届けにきて下さいました。当年、五十四歳になる二男が卒業した懐かしい中学校です。しかし、二男にとっても私にしても、運動会はとてもとても苦痛な行事でした。障害を持って生まれた二男は、字を書くのもとても困難で、「走る」などとんでもないことでした。級友に手を引かれて何とか通学だけはさせて戴いたのですが、運動会は、何時も全員が走り終えてもまだ、ヨロヨロしながら、なかなかゴール出来ない。私は涙で苦しくてたまらない・・・。
 そんな二男に、生徒全員が「ガンバレ!」の大声援。やっとこさでテープを切った二男に、「バンザーイ」のコールが響き、先生方も大きな拍手で二男を抱き留めて下さいました。もしあの時、二男も私も運動会から逃げ出していたならば、あの喜びはなく、無残な人生であったでしょう。
 運動会以来二男も、「僕もやれば出来る」と、勇気が生まれました。私もまた、二男を庇うことだけに心を痛めていたことを深く反省しました。あの運動会の生徒全員のガンバレコールが、先生方の大きな拍手が、私達親子の人生の「宝」となっているのです。
 決して、決して、自分一人で生きているのではない、多くの人達から「生かされている私達の命」なのですね。くよくよと嘆き悲しみ、世を恨みさえしていた私の愚かさ。すべてが、私達親子に与えられた運命なら、それが神様の思し召しと思い、前向きに努力せねばと教えられた運動会のガンバレコールでした。
 皆さんも、さまざまな苦境に出会い、辛い日々もあったでしょうけど、決して決して自分一人で生きているのではない。社会の中で生かされている自分の命。この辛さは、神様の思し召しで、試練を与えられているのだと、逆に感謝して努力するべきです。苦は楽の種、楽は苦の種」とは、古人の教えです。多くの人々から助けられ、生かされていることに感謝して参りましょう。

2023/03/29 掲載

寮生からのお礼状  平成二十一年四月号

 拝啓 朝夕の寒さも次第に緩み始め、過ごし易い季節になったかと思えば、最近は初夏を感じさせるような日中の暑さです。如何お過ごしでしょうか。
 田尻先生には今月も食材をお送り頂き、誠に有り難うございました。先生のお蔭で私達寮生も、日々美味しく、かつ健康によい食事を戴いており、大変感謝しております。
 私は幼い頃から複雑な家庭環境の中で育ってきました。実弟の難聴、父方の祖母から突然告げられた姉の存在、その祖母による母へのいじめ、その結果両親は離婚、母と弟と三人で頑張っていこうと思っていた矢先の母の再婚、そして八年前母が他界・・・。
 母が再婚したのが高校一年の時ということもあり、この頃から私自身も変わってしまい、自分に甘さが出始め、とうとう罪を犯してしまいました。その為義父とは絶縁、実弟ともほぼ絶縁状態に至っています。
 今、一番後悔しているのは、母の死に目に会えなかったこと、母との最期が喧嘩別れだったことです。一番の理解者であった母を裏切り、罪を犯してしまったのです。
 人は一人では生きていけません。実際に熊本自営会の先生方をはじめ、たくさんの方々に助けられています。こんな自分でも更生できる機会を与えてもらっていることに日々感謝し、一日も早く自立し、支えて下さっている方々を、もう二度と裏切らないよう、健全な生活を送れるよう頑張りたいと思います。
 私事で長くなりましたが、くれぐれも御身体には気をつけられて下さい。


2023/02/28 掲載

寮生からのお礼状  平成十三年三月号

 拝啓 暦の上ではもうすでに春ではありますが、朝夕の冷え込みはまだまだ厳しく、冬の名残りが感じられる今日この頃でございます。田尻先生におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
 先日は私達寮生の為においしい物を沢山頂戴いたしまして、本当にありがとうございました。寮生一同に成り代わりまして、心より厚くお礼申し上げます。
 私は今月七日からこちらでお世話になっているものでございます。田尻先生より、私達寮生に戴いたお手紙は、何度も何度も繰り返して読ませて戴きました。
 あのお手紙の中に「楽は苦の種、苦は楽の種と知るべし。」という水戸黄門様の言葉が引用されておりましたが、実は私の大好きな言葉であります。僅か十五〜十六文字の短い文中に、「人生の楽に対しては謙虚に生きよ、苦労に対しては、やがて訪れる春を信じ、希望を持って生きよ。」という温かい人間愛に溢れた黄門様の人生哲学が凝縮されているように思えるからです。
 今テレビでは、アメリカ軍空爆によるアフガニスタン難民の支援問題が、連日報道されております。日本はもちろん、国連加盟国の多くが、難民救済の為尽力することを声高らかに宣言したとか。申しあげるまでもなく、こうした国々の動向は広く評価されるべきで、とても尊いものだと信じます。正義の象徴として華やかなスポットライトを浴びることも充分に理解できます。
 だけど世の中には、田尻先生のように、余り話題にされることもなければ眩しいスポットライトを浴びることもなく、ただ人知れず地道に社会奉仕を続けていらっしゃる方々が沢山おられることも、私達は絶対に忘れてはなりません。
 田尻先生、私には両親も兄弟もおりません。ですが、「味方」は沢山いて下さいます。一面識もない者たちへ、陰ながら応援して下さる田尻先生や主管の先生をはじめとする自営会の先生方です。先生のお手紙に書かれてありましたように、いつも感謝の気持ちを忘れず、自分を大切にし、絶対に人生を諦めたりしません。それが私を支えて下さった皆様へのせめてものご恩返しです。
 心のこもった贈り物を本当に有り難うございました。田尻先生もどうかお身体を大切にされ、素晴らしい七十回目の春をお迎えいただき、益々ご活躍下さいますよう心から祈っております。

2023/02/01 掲載

宝子  平成二十一年二月号

 我が家の小さな庭にも、山茶花や香り高い白梅が咲き、春がやって参りました。春は入学・卒業等と、親も子も嬉しい季節ですね。
 私も三人の子供に恵まれましたが、三番目に生まれた男の子が病弱で、原因不明の眼の病で、歩行困難やら激しい頭痛等で苦しみ、あらゆる病院に駆け込んで治療を受けた歳月でした。激痛に一晩中泣き叫ぶ子を背負って、何度親子心中をと思い詰めて、海に走りこんだことでしょう。
 今、その息子は五十四歳。体は大きくなりましたが、どうしても人並みに、満足に文字・文章が書けません。しかし不思議なことには、数の計算や記憶力は、きっちりと頭の中に整理されているようで、老いて物忘れや数の計算が鈍くなった私を助けてくれます。こればかりは不思議です。
 すべての医師から治らぬ病気だと突き放され、この子は一生満足に字も書けぬ、文章も作れぬと、親としてその辛さ、悲しみは計り知れず、息子に心の中で詫び続けて参りました。
 最近ふと、暗算が出来るならパソコンでも習ったらと思いまして、
「パソコンを習うと文章が書けるよ。」と息子に薦めてみました。意外にも息子は喜んで早速パソコン教室に通い始めました。一日の我が社の労作業を終了してのパソコン学習に、眼が痛んだり頭痛がしたりしないかと心配しましたが、自分の体調に合わせて学んでいます。これまで引っ込み思案であった息子が、パソコンの力を借りて、新しい発見をし、自分で文章が作れると自信と気力を得ているようです。
 私もまた、人並みの分別もなく、知力にも乏しい不遇の子と諦めていたのですが、人間とは不思議な潜在能力があるのかなと大発見で、何事も最後まで諦めてはならぬと息子から教えられています。
 我が子といえども、親が思うようになるのは、生まれた時に我が子に付ける「名前」ぐらいのもので後は子供の主体性、健康、そして生きていることへの感謝の気持ちを育ててやるのが、親の責務だと教えられます。皆さんも、戴いた命・体を大切に、苦境こそは最高の自分への試練、人生訓として励み、努力して下さい。私も八十歳近くになってやっと、不遇の子と嘆いた息子こそ、愚かなこの私への、神がお与え下さった宝子、授かり子だと思えるようになりました。
 神様は決して人々に無駄な命、無駄な歳月をお与えにならない。一人一人が、励み、努力し、感謝の心を育てるように導いて下さるのですね。
 進学、卒業の春。社会面は厳しい世相ですが、この時こそチャンスです。皆が同じ厳しさを背負っていればこそ努力、精進するのみですね。
 風邪に気を付けて下さい。


2023/01/01 掲載

舅様、姑様に学んだこと  平成二十一年一月号

 遅れ馳せながら新年のご挨拶を申し上げます。
 新年を無事に迎えられたことは、寮生の皆さんが日々一生懸命に励まれたからこそであり、私も皆さん達のことを考えて、弱音を吐いてはならぬと日々勇気づけられての一年間・・・。こうして新年を迎えることが出来たこと、寮生の皆さんに感謝一杯の元旦の朝でした。
 光陰矢の如し、私も八十歳近くになり、母、舅様、姑様、そして夫と、次々に世を去り、身辺も淋しくなりました。老いてみて初めて解るさまざまのこと。特に舅様、姑様が共に老いて寝たきりの状態となられ、当時は老人介護も充分でなかった為、仕事に追われていた私も、御二人の自宅介護に苦労しましたが、さぞさぞご不自由なことであったろうと、今更に行き届かぬ私の介護だったことが悔やまれてなりません。
 しかし御二人は、いつも和やかな顔で、特に認知症になられたお姑様を、寝たきりの舅様が優しく声をかけ、助け合っての御姿は、とても和やかであり、笑顔であり、特にお舅様は、私に、「有り難うございます。」の優しい御声。今も心に残っています。そして御二人共お元気な時から決して人様の悪口を言われませんでした。優しい御二人の笑顔は、深く心に残っています。
 私も姑様達の年齢に近づき、初めて姑様達は、人としての一番大切な教えを私達の為に残して下さったのだと気付くのです。
 どんなに不自由な体になっても、舅様のように心優しい老い方が出来るのであろうかと反省した元旦の朝。そして今、こうして元旦を迎えた有り難さを、亡き夫、舅、姑様達に深く手を合わせ、感謝いたしたことです。
 日進月歩の社会に、記憶力も行動力も鈍り、すべてに追いつけぬ情けない有様ですが、自分の思考力を嘆くよりも、先ず若い頃の何倍も習うことだと思います。努力するより方法はなく、やるより方法はないのですね。
佐藤一斎(江戸時代の儒学者)の教訓「老いて学べば、死しても朽ちず」を元旦の誓いとしました。

 教えの全文は、 「少にして学べば、壮にして為すあり
 壮にして学べば、老いて衰えず
 老いて学べば、死しても朽ちず

   これは、皆さんにも良き教訓だと思います。お互いにこの教訓を心の隅に入れて、今年一年、共に励んで参りましょう。


2022/11/29 掲載

へばるな、へこたれるな  平成二十年十二月号

 お元気ですか。もう数日で一年が終わりますね。皆さんはどんな一年でしたか。健康で、自分の目標に向かって頑張りましたか。恥ずかしながら私は、日毎に老人呆けが進み、社会の進歩、変貌に対応出来ず、右往左往の有様にて、失敗多く、随分と周りの人々に迷惑をかけ、また助けられての一年間でした。一日の終わりに両手を合わせ、合掌し、今日一日無事であったことに感謝し、また静かに心を調えます。

  右の手の悲しみを
  左の手がささえ左の手の決意を
  右の手がうけとめる

 これは、高田敏子さんという御人の詩です。私にとって合掌は、自分の心を整え、反省し、感謝し、また自らを励ます、一日の大切な締め括り、そして安らぎの時間です。今日一日どれ程多くの人々の優しい思いやりと助けのお蔭で生かされてきたことかと感謝する合掌です。
 皆さん、一人一人に平等に与えられた二十四時間を、それぞれの目標に向かって精一杯に励んで参りましょう。
 私もこの一年間、寮生の皆さん達に、どれ程勇気と励みを与えて戴いたことか・・・。
 へばるな、へこたれるなと、何時も皆さん達のことを思い、自らを励まして参りました。本当に有り難うございました。なんとかこうして元気で暮らせるのも、寮生の皆さん達のお蔭と、お礼を申し上げます。

 皆さん達と共に、元気で、無事に新年が迎えられますようにと心から念じます。
 どうかどうか、希望ある新年をお迎えください。


2022/10/31 掲載

聞くべし、見るべし、やるべし  平成二十年十一月号

 つわぶきの黄色い花達の上に、紅葉した桜の葉が舞い落ちて、自然の草木の美しい彩りに見とれてしまい、思わず手を合わせて、有り難うと申しました。四季折々の自然の美は、一人一人が気付かないようでも、一人一人に心の安らぎを与えてくれているのですね。
 葉が落ちた桜の大木には、もう春に咲く花芽が膨らんでいるのです。この桜の大木は、やがて百歳近いであろうと感動しながら・・・。桜の大木より若いはずの私は七十七歳。もうすっかり身も心も老化して、急速に物忘れも多くなりました。今整理したノートが見当たらないとか、今日の予定の仕事を忘れたりとか・・・。事務作業にも、もたもたと手間取る有様で、我ながら情けなく、恥ずかしく、また無念です。
 この自然界の草木に、少しでもその生を戴きたいと自らを励ましてはいるのですが・・・。何十年も同じ作業に従事しているのに、若い人の何倍もの時間を要したり・・・。体だけは、自然に現場の労作業に対応してくれますが、若い者のように手早く動くのは困難な状態ながらも、若い者の邪魔にならぬよう働いている毎日です。
 社会の進歩と共に、業務も日進月歩で、事務関係の報告書等も、新企画の通達が参ります。慣れた事務を改革するにも、老いの頭は混乱してしまい、なかなか整理出来ません。恥も外聞もなく何度も質問し、指導を受け、人様の何倍もの時間を要しながら、やっと正解だと書類を書き上げたときは本当にうれしいものです。もう歳だからと諦めてはならぬ。若い頃の何十倍もやり直して考えてゆけば解かる問題なのですね。
 人生はやってみなければ何事も生まれず、何事も解らず、前進もできず、また喜びもありません。もう歳だからと落胆したり、引っ込んでしまっては、生きていることに対してとても失礼なことだと思うのです。親から戴いたこの体、この命です。人様のように素晴らしい能力はなくとも、人様の何杯も努力すればいいと思うのです。それが、先祖、そして「親」への最高の恩返しではないでしょうか。
「老いて学べば、死しても朽ちず。」この佐藤一斉の教えを心に刻み、くじけず、老いた体と頭を精一杯に働かせ、励むのみの日々です。人生やってみなければ。年齢に関係なしです。何事も先ず「聞くべし、見るべし、やるべし。」です。失敗しても、失敗の原因を考えて、再びやりなおせばいいのです。
 今日もまた、老人呆けと戦いながら、仕事場に行きます。皆さんも「聞くべし、見るべし、やるべし。」の心意気で励んで下さい。


2022/09/29 掲載

事中徐緩  平成二十一年十月号

 台風一過で爽やかな秋空になりました。十月は、私には子供のころの懐かしい思い出があります。それは、「十月は達磨さん忌ですよ」と、亡母に手を引かれての寺参りです。
 私には達磨忌の意味も理解出来ず、亡母が「だるまさんの起き上がり小法師」を買ってくれたのが嬉しく、また「だるまさんの貯金箱」も買ってもらいました。小遣いを辛抱して、少しずつ貯金するのが楽しみでした。
 大人になり、「起き上がり小法師」や「貯金箱のだるまさん」は、人としての道を説かれた偉大な禅宗のお祖師さまのことで、「達磨大師」と尊崇される法師様だと知りました。
 達磨大師の数々の教えの一つに、「事中徐緩」があります。生来、私は慌て者で、前後の考えもなくセカセカ、イライラする落ち着きのない性分で、分別なく行動して失敗ばかりしております。しかし、その行動は、自分のみならず周りの人々にも大変迷惑をかけてしまうのです。達磨大師の「事中徐暖」の教えは、「ゆっくり、落ち着いて、慌てるな」・・・。まさしく私の為の大切な教訓です。
 小さな仕事ながら、日々、予定なく飛び込む要件に、二つ三つの仕事が同時に重なることが多く、その度に慌てます。何時、如何なる時も、相手様の要件に的確に対応されるよう、常に心の準備・整理をしておくのが大切ですが、「忙しい、忙しい」と慌ててしまいます。
「忙しい」とは、心を亡ぼすことであると習いましたが、やがて八十歳に手の届く現在もまだこの有様で、てんやわんやの落ち着きのない私です。気持ちの準備・整理が出来ていないのです。今日こそはと思っても失敗します。
 しかし私は、老いても、何度転んでも、「だるまさん」のように起き上がれるように心棒を真っすぐに、心正しく努力せねばと自らを叱ります。
 子供の頃なかなか重くならなかった「だるまさんの貯金箱」を懐かしく思い出し、何事も一朝一夕には完成するものではないと、今教えられます。皆さん人間ですもの、失敗もあり欠点もあるものです。しかし、諦めず、「だるまさん」のように七転び八起きで、落ち着いて「事中徐暖」とわが身を戒めつつ、自分の人生の目標に向かって努力して参りましょう。
 寮の先生方との出会いもまた皆さん達の大切な宝です。この宝をしっかり身につけて感謝し、「事中徐暖」、心急がず、慌てずお励み下さい。


2022/08/29 掲載

「ある ある ある」  平成二十年九月号

 お元気ですか。稲穂も重く垂れ、稲刈りが始まりました。まさに稔りの秋ですね。
 つい先頃、田植えで苗を等間隔に植えるのは、苗に太陽の光を等しく当てる為だと知り、感服したものですが、まさしく太陽の光、風、雨と、この恵みを等しく受けて、見事な稲穂になったのですね。
 もちろん、農家のお人達の日々の手入れ、農作業のご苦労ありてこその豊作です。誠に一粒のお米も無駄にしてはならぬと、食事の度に手を合わせて感謝します。現代は、不自由な品々はない程に、多種多様な物品に囲まれて便利な暮らしが出来る社会です。
 まだ私が三十歳を過ぎた頃、ニュースで衝撃を受けた御人を想い出しました。昭和四十三年、七十二歳で亡くなられた中村久子さんのことです。中村さんは、両手、両足のないお体でしたが、こんな詩を残されました。時折この詩を読み、反省している私ですが・・・。
 その詩は・・・

 ある、ある、ある、さわやかな朝
「タオルをとって頂戴。」
「オーイ」と答える良人(おっと)がある。
「ハーイ」という娘がある。

 歯を磨く。
 義歯の取り出し、顔を洗う。
 短いけど、指のない、まるい、つよい手がある。なんでもしてくれる。断端に骨のない、やわらかな腕もある。
 ある、ある、ある
 みんなある
 さわやかな秋の朝

 両手、両足のない中村久子さんが、「ある、ある、ある」と詩を書かれる。中村さんが短い手で裁縫・炊事をされるお姿をテレビで拝見した時の感動を、今もはっきり記憶しています。
 私はどうでしょう。五体満足なのに、「ない、ない」の連発です。雨を凌ぐ小さい家もある。そこそこの服も着ている。それなのに、新しい服を欲しがる。工夫もせずに、便利な道具を求めたがる私です。
 「ある ある」と中村久子さんは、両手両足なくとも、五体を精一杯に動かして、知恵を出して考えて、自分の役割を全うされています。この心こそ「足るを知るは、最上の財」の教え通り。久子さんの生活、心は安らかなのです。私には久子さんが神か仏かと思えるのです。
 今日、この秋の彼岸の一日、無事に仕事が果たされたことを、先祖の仏壇の前で手を合わせて感謝いたし、一歩でも半歩でも中村久子さんのような心平穏な人になれるよう誓ったことでした。
 お互いにご先祖から戴いた命、そして体を精一杯に動かして努力し、工夫して仕事に精を出して参りましょう。
 今、彼岸花も見事ですね。花達は置かれた土地の上で精一杯に咲き、私達を和ませてくれます。

2022/07/27 掲載

水、このかけがえのないもの  平成二十一年八月号

 今年の夏はなんとなく不穏な天候が続くなあと思いながら、気合の入らぬ入道雲を見上げています。
 過日「自営会だより」が届きました。皆さんも「職業講座」や「心の講座」で、さまざまの社会学、人間学を学んでいられますこと、嬉しく思います。
 特に私が「ああよかったなあ」と思いましたのは、「浴室の改修」の記事でした。新しい浴槽で、身も心も一日の疲れが洗い流されて、気持ちよく一日を終えることが出来ますこと、何よりの幸せですね。これもまた、多くの社会の御人達の善意や、寮の先生方のご尽力があればこそ、皆さん達はこうして社会の人々に守られている。誠に有り難いことですね。
 ざんぶりと浴槽に身を浸す時、一日が無事であったことに感謝。これ以上の幸せはないと思いませんか。
 ところで、ざんぶりと浴槽に身を浸す「湯」、つまり「水」ですが、これは無料ではないのです。熊本は良質の「水」に恵まれていますが、私達の生活水として各家庭等に届けられるまでには多くの過程と経費を費やして「安心」の水として届くのです。
「水」は決して「天からのもらい水」ではないのです。私は、洗濯するにも必ず風呂の残り湯を利用し、水の節約に心がけています。皆さんも、入浴の際にはむざむざと湯をかけ流さず、大切に湯を使ってください。一人で湯桶一杯の湯を節約したら、寮生全員節約する湯量は、どれだけになるのでしょうか。また、一ヶ月間では、どれほどの湯量の節約とエネルギー消費の節約になるかと考えます。
 大変けちん坊な話になりましたが、これは何事においても、物を大切に、無駄な浪費をしない心がけだと思います。
 これも随分昔の話ですが、阪神・淡路大震災の時、水道も断水して被災区域の人達は久しく水が出なくて苦労されました。幾十日ぶりで水道が復旧したのですが、その時の新聞に投稿された読者の川柳に、
「蛇口から 水が出るよと 拝む母」
の一句があります。平安な暮らしの中では解らぬ厳かな「水の尊さ」を思い知らされます。夏の暑さの中、不自由なく蛇口から出る水の有り難さ、水の貴重さを忘れぬよう、大切に水を使用いたしましょう。
 新しいお風呂で一日の無事を感謝し、明日への希望と勇気をもって、皆さん達の一日も早い自立の日が参りますように心から念じております。
 寝冷えに注意してください。


2022/06/30 掲載

私にとっての盆供養  平成二十年七月号

 暑くなりましたね。常日頃は仕事に追われて心せわしく過ごす日々ですが、お盆が近くなりますと、先祖はもとより、共に暮らした今は亡き家族のことを妙に思いだします。
 お盆は、常日頃忘れがちである人間本来の心に目覚める貴重な時期だなと思います。
 私事ながら、今年の夏は殊の外多忙で、朝は六時から工場に出て、夜は十時に夕食です。昨年迄は、病気がちながらも主人が仕事の助言・指導をしてくれ、安心して働いていたのですが、今年は現場作業から事故処理、お客様の対応等々、主人の仕事であったはずの様々の問題も、すべて私の仕事になってしまい、大変な試練の一日一日に、寸分の暇もない毎日が続きます。
 一日の仕事の無事終了を、仏壇の亡夫の位牌に報告します。仕事に厳しかった亡き夫も、毎日事故なく順調な仕事の報告を、きっと喜んでいてくれるだろうと思い、事故に躓かない日々も、夫が守っていてくれるからであろうと感謝して一日が終わります。
「盆近し 一人一人の 位牌拭く」
の句がありますように、この世では全く会えなかった先祖の位牌を、新しい布で拭きながら、このご先祖様達のお蔭で今の私の命があるのだと有り難く、「お蔭様でございます」と声に出して手を合わせます。
 ご先祖もそれぞれの時代の中で子を産み育て、天地災害にも耐えながら一生懸命に命の限り働かれたことでしょう。そして今、この私にその命が受け継がれていることを想い、決して自分一人の命ではないのだ、ご先祖の魂を汚してはならぬ、日々学び、励んでゆくことこそ、一番の先祖供養であり、恩返しだと思っています。
 ふと、遠い遠い昔、もしや寮生の皆さんのご先祖と私の先祖は、兄弟だったかも知れない等思ったりしながら、だからこそ見知らぬ他人様も、また友人達も、決して憎しみ合ったり傷つけ合ったりしてはならぬ、互いに助け合い、励まし合ってこそ、先祖への恩返しだとしみじみ思います。
 年に一度の盆供養は、先祖の為ではなく、私達の利己的、自分本位の考え方生き方を反省する、自分の為の大切な盆供養の日だと私は思います。皆さんも、静かにゆっくり手を合わせて、我が身を振り返る静かな盆供養にして下さい。
 さて、話は変わりますが、先日、漁船に砕氷を積み込みました。早朝の獲れたての小さいコノシロを戴いてきました。漁師さん達も夜明けから大作業の連日です。ピチピチの小さい魚を仕事の合間に調理して、三杯酢漬けを作りました。まだ手が不自由で、しかも多忙だった為、調理も下手、味付けも下手で、皆さんの好みに合いますやらと思いつつお届けします。夏バテしないよう、健康に留意してお励み下さい。
 月日の過ぎる早さを、この年齢になりしみじみと思い知り、もっと若い頃に、体力のある年代に、励み学んでおくべきであったと後悔する私です。こんな老いた人間にならぬよう皆さん精一杯お励み下さい。

2022/05/27 掲載

水の尊さ  平成二十年六月号

 今日も雨かと梅雨空を見上げながら青空が恋しくなってしまいますが・・・。
 岩手・宮城内陸地震で災害を受けた地域では、田植えが終わったのに、苗の成長に大切な川の水が止まってしまった。カラカラに乾いた田んぼの様子をテレビニュースで知り、胸が痛みました。農家の人々は、さぞお辛いことでしょう。天地災害の怖さ、無常さを思います。
 満々と水を引き込んで育つ稲の苗。苗は水で育つ。水は稲の命なのですね。見事に整然と同じ間隔で稲の苗は植えられています。それぞれの苗に、太陽の光が等しく当たる為だそうです。
 毎年きれいに田植えした後の水田を感心して眺めていたのですが、それは「太陽の光」を受けさせる為であったのだと、古来から農法に感服したことでした。たっぷりの水と太陽の光が、万物の生命の源であると思いますと、我が儘に、じとじとした梅雨はもううんざりだと、罰当たりな愚痴をこぼした私を恥じています。 と同時に、日頃の私の水の使い方が、如何に横着であったかと反省しました。栓さえひねれば、どんどん出る水道の水です。お風呂に入る時もまた然りです。何と考えなしの水・湯の使い方であったか・・・。さぶざぶと何杯も体に流していました。これからは、湯船の湯も大切にと考えたことです。水が止まった災害地の農家の人達の苦悩を思って胸が痛み、水の節約を誓ったことでした。
 皆さんもお風呂で使うお湯を、一人一人が一杯だけでも節約したら、全部でどれだけの水量になることか。これが一ヶ月でどれだけの水量になることか・・・。米のみならず、作物を育てる命の水です。無駄にせず、湯も水も大切に心がけて使いましょう。
 梅雨時の食事を作られる調理の先生も、食中毒の心配等、大変なご苦労だと思います。調理の先生に手を合わせて感謝し、食事を戴きましょう。またご指導下さる寮の先生方への感謝と共に、先ずは自分自身の弱気に負けぬよう、努力し、お励み下さい。
 体調に気を付けて梅雨を乗り切って下さい。

2022/04/30 掲載

試練の激痛  平成二十年五月号

 瞬く間に五月も過ぎてゆきますね。一番爽やかな季節に、私は入院する羽目になってしまいました。当地で治療を受けてきたのですが、激痛は改善されず、日毎にやせ衰えてゆく私に、子供達が心配して、熊本の専門病院に担ぎ込んでくれました。
 人間の身体とは不思議なものですね。もうすっかり駄目だと、少々投げやりになっていましたが、医師の適切な診断・処方を受け、少しずつ元気を取り戻しています。
 この数カ月間の、体を切り刻むような激痛が消えてゆきました。五月晴れの空に飛び交う鳥達を病室の窓から眺め、「ああ、生きている。」と感動してしまったほどです。随分と永い間、「痛い」、「苦しい目にあったな」と、ついつい以前の担当医を恨んでしまいましたが、医師も神様ではない、精一杯の治療はして下さったのだろうからと思い直して、新しい病院での検査・治療に身体を預けました。
 考えてみますと、こんなにゆっくりと一日中ベットに身体を横たえて、テレビを見たり、青空を眺めたりしたことは、生まれて初めての贅沢な入院生活でした。
 そして、しみじみ思いましたのは、昨年十月他界した主人を精一杯看護できたことです。それまで私は、とても元気でしたから・・・。もしあの時、私がこんな激痛に苦しむ身体であったら、主人の看護はとてもできなかったでしょう。神様は実に心優しいご配慮で、私達人間を守って下さるのですね。
 七十六年間無我夢中で働き、生きて参りましたこと、どれほど多くの人々に支えられ、助けられてきたことかと、あれこれ想い出し、病室では毎日手を合わせる感謝の日々でした。
 一応退院しましたが、これから熊本の病院への通院が始まります。これ迄健康で働くのが当たり前として、病苦ある人々への心配りがなかった私を恥じます。人間、生老病死は逃れられない運命です。激痛の夜も、生きているから痛みもあると耐えましたが、幸い名医に巡り合えたのもきっと神仏の思し召しであろうと、必ずもう一度元気になって、先祖から戴いたこの命を、社会の人々への恩返しに使ってゆかねばと、我と我が身を励ましています。
 一人一人の命に上下はありません。皆さんも自分の意の通りにならぬことや、辛い日もあるでしょうが、これが人間勉強、試練と受け止めて、辛抱努力して下さい。
 皆さんと共に私も、まだまだ勉強せねばならぬと反省した入院の日々でした。


2022/03/29 掲載

寮生からのお礼状  平成十九年四月号

 田尻先生初めまして。ここに来て先生のお便りを読ませていただきました。また食料品などをお送り下さったこと、本当に有り難いことと感謝しております。毎月のこととお聞きして、なかなか出来ることではないと尊敬の一言です。先日早速カツ丼を作って戴きました有り難うございました。
 その後腕の痛みはいかがですか。無理をなさらず、少しずつ治して下さい。
 私は今年四十八歳になりましたが、四十歳くらいの時に、パニック障害という病気にかかってしまい、その為にいろんなことに支障があって、この病気のせいだけではないと思いますが、それから何をやってもうまくいかず、気ばかり焦って、人には言えない辛い日々が続きました。失った物も大きな物でした。今思えば自分の心の弱さからこうなったのだと反省をしております。でも、今はこんな病に負けるものかと頑張っています。病は気からといいますが、今は症状は出なくなりました。
 今からは前向きに考え、失った人や仕事を取り戻すつもりで、一つ一ついい意味で上に上がっていきます。先生のお手紙にもあったように、病気や怪我、そして、人には言えない悩みなどある人の中にも、一生懸命生きている人がたくさんいることが、この年になって分かった気がします。
 自分の事ばかりで申しわけありませんが、これからの人生、人に迷惑をかけず生きてゆくことをいつも頭に置いて、何事にも一生懸命取り組むつもりでおります。
 田尻先生も、お身体にはくれぐれもお気をつけられて、いつまでもお元気でいらして下さい。私は母親を早くに亡くしましたので、先生のお手紙を読んでいると母親の顔が浮かんできて、懐かしく感じました。
 本当に有り難うございました。それでは失礼致します。


2022/02/25 掲載

「いただきます」と「御馳走さま」  平成二十二年三月号

 寮生の皆さん、お元気ですか。春が駆け足でやって参ります。
 この季節は、入学・卒業等々人生の節目の季節です。
 私の家の前は、当地の中学校で、毎朝三年生の生徒さんが男子・女子を合わせて六名、それに先生がお一人加わり、校門近くの曲がり角に並び、登校してくる生徒さん達に「おはようございます」と笑顔で朝の挨拶を交わし、校門に入ります。
 車社会の時代となり、田舎になればなる程交通機関は各自の車での通勤となり、車ラッシュの朝の時間帯の上級生等の出迎えは、生徒さん達の交通事故防止でもあるのです。
 寒い日も、雨の日も、校門の前に立つ上級生さん達に、私も心の中で手を合わせます。と同時に、現代の車社会とは及びもつかなかった私の学生時代を重ねてしまいます。
 田舎から熊本の女学院に入学し、その「寮」に入寮しましたが、戦争の為、食事はカライモのだんご汁と大根菜等々実に粗末で、学ぶことより空腹に苦しむ時代で栄養失調者も多く、悲惨でした。それらが身についてしまい、現代の豊かなご馳走には尻込みしてしまいます。
 野菜にも、肉・魚にも各々の命があり、このすべての命を食しながら、私達自身の命が支えられています。その「命」をどう使うか、それが各々の「使命」というのでしょう。
 食事の前には誰しも「いただきます」と手を合わせ、食材の命に感謝の合掌です。食後も再び手を合わせて、「御馳走様」と感謝の気持ちを表します。「馳走」の文字は、「馳」も「走」も食事の為忙しく動き回ることを意味します。それに「様」をつけて、食事を作って下さることへの感謝で手を合わせるのです。
 魚や野菜等の「いのち」を戴くことに感謝の「いただきます」と手を合わせ、食後の「ご馳走さま」と手を合わせるのは、食事の準備の為、せわしなく動き回るご苦労に対する感謝の大切な言葉だと思います。
 今、この豊かな海山の食材に恵まれている有り難さを忘れずに、また、一生懸命に食事を作り、汗を流して下さることへの感謝を忘れず、また多くの食材の「いのち」を戴くことへの感謝も大切に、「いただきます」と「御馳走様」は、大切な私達の体、命を支えて下さる大事な言葉だと思います。
 今、平和で豊かなこの国に生まれ育つ有り難さを忘れずに、そして又、自営会に入寮していることも、各々の皆さんの人生の大切な御縁だと感謝して、一生懸命に御励み下さい。
 字が乱れて申しわけありません。少々リューマチが痛み出して困っています。リューマチも春なのでしょうね。
 風邪に気を付けてお励み下さい。

2022/01/27 掲載

裸で生まれ、裸で死んでゆく  平成二十年二月号

 まだ吹く風は冷たいけど、道すがら他家のお庭のしだれ梅や山茶花の美しさにうれしくなり、春が近いと感じます。
 私事で申し訳ない話ですが、主人が他界して五カ月近くになりましたが、予測のつかぬさまざまの事態に多忙を極めました。
 一人の人間が社会の一員として働き、その生涯をまっとうした時、これほど様々の法律の道順を整理してゆかねばならないのかと驚きながら、教えを受けつつ、一つ一つの事務処理を進めて参りました。年齢のせいか物忘れに悩まされ、各種の事務作業に接しても誤り多く、何度もやり直しで苦労続き、大変な勉強の日々です。  永年、現場作業、事務作業等、主人の指導・命令でそれなりに勤めてはきましたが、疲れているのにとか、やれ面倒なことだとか、内心不満たらたらの私の仕事ぶりで、主人から厳しく叱責される日々でした。
 「何事も慌てず、よく考えて、よく調べて仕事を果たせ」と注意されながら、主人の言葉を上の空で聞き、失敗の多い私でした。今、一人になり、すべてが私の肩にのしかかります。どんな小さなことでも大切な仕事であると反省します。
 今仕事を進めるにも、尋ねたくとも指導者がいない。失敗しても叱る主人がいない。叱る人がいないことは、実に辛いことです。心もとないことです。注意され、叱られて、人は成長してゆくのだとしみじみ思い知ります。
 こんな私、子供達、両親を養いつつ、苦労、努力の歳月を重ね、この工場も、ささやかな家も、すべて主人が築き上げた「もの」です。それなのに主人は、誠に無一物で、丸裸で死んでゆきました。
 考えてみますと、私達は「自分」という肉体すら自分で作ったのではない。この世に縁を戴き、それぞれが丸裸でこの世に「生命」を受けたのですね。「本来無一物」なのですね。裸で生まれ、裸で死んでゆく。今思えば、主人は生きていることに感謝し、その命を一生懸命に働かせることに喜びを見出す、それが信念だったのでしょう。  今、叱責されていた一つ一つの言葉を想い出しながら、恥も外聞もなく書学生のように学び、人様からも教えを受けながら、一日の務めを果たしています。
 余りにも遅過ぎることですが、それが、ご先祖や亡夫への供養と思い、悔い改めて働く毎日です。皆さんも、戴いた一人一人の命を大切に、努力して下さい。
 失敗しても七転び八起きです。唯、起き上がる為には、心棒が素直で、真っ直ぐでないと起き上がれません。これも心の勉強です。一緒に励んでゆきましょう。


2021/12/27 掲載

「正月」は「正す月」  平成二十年一月号

 お元気ですか。新年だ、正月だと、平日と変わらないのに、一月は心改まるもので、仕切り直しの一月も残り少なくなりましたね。
 ところで、「一月」をなぜ「正月」と呼ぶのでしょうか。昔から言い馴れてきた「お正月」を不思議とも思っていませんでしたが・・・。
 一年の初めの月。何事も大切なのは、出発の心構えであり、これまでの一年間の生き方の不正を正し、歪んだものを正す。日頃の生活を省みて間違いを正し、正しい生き方をすると誓う月。まさしく「正す月」なのですね。つまり「正月」です。
 こんなことは各自の考え方ですけど、こんな風に考えると、「正月」の意味が素直に解る思いがします。
 皆さんも、それぞれの思いで「正月」を迎えられたことでしょう。私達は、どんなに年を重ねても一日一日が初体験の日です。若い時は未熟で失敗するが、それを忘れず努力し、修正してゆかねばならぬ。
 しかし、私は七十七歳、老いて益々失敗が多くなり、物忘れも甚だしく、どれだけ人様の教え、助けを戴いていることでしょうか。若い頃の何十倍も時間を費やしてやっと一つのことを整理する状態ですが、年を重ね、老いてゆけば、必ずその生命には終わりがある。しかし歩みはのろくなっても、失敗は多くなっても、一生涯自らを正しつつ生き抜かねばなりません。
 誰にも等しく「正月」がやってきます。私も皆さんと共に自らを反省し、自らを正す。これが最後ということはないと自らを励まして、磨いてゆかねばと思います。
 皆さん、今年一年努力してゆきましょう。自らを「正し」てゆきましょう。


2021/12/15 掲載

亡き主人へのレクイエム  平成十九年十二月号

 お元気ですか。一年も終わりに近づきましたね。
 毎年思うのは、もう年の瀬か、一体この一年間、何をしてきたのか?ということです。同じ作業の繰り返しだっただけだな・・・と思います。しかし、今年は大変な一日となりました。
 十月七日、主人が慌しく天国に旅立ちました。その瞬間から同じ作業ながら会社の業務等々が、すべて私の肩にどんとのしかかりました。
 一生懸命看病した主人の姿もなく、その声を聞くことも出来ません。主人が働き抜いた会社・仕事場を受け継いでゆかねばならぬ。その思いで、悲しいとか、涙するとかの心地にもなれず、早朝から夜まで駆け回っています。
 今やっと、仕事に対する、主人のゆるぎない信念、そして正直さ、強さに思い至りました。これ迄、ただただ主人から命じられる侭に、まるで操り人形のようにハイハイと仕事をしていた私は、仕事を軽んじていて、よく失敗したり間違いをして、主人から顎の骨が折れるほどにぶたれたことが度々でした。叱られる意味すら解らず、それを学ばねばという誠意すらなかった私です。今、その日頃の心がけの悪さが、私を狼狽させ、心身の疲労困憊状態に追い込んでいます。
 不平・不満を言っていた私の不埒な心がけを、今主人の位牌に詫びます。この世相の厳しはい中、吹けば飛ぶほどの会社をよくも支え抜いた主人の信念、意志の強さに敬服します。今日も常と変わりなく、いやそれ以上に私を励まし、仕事を与えて下さる周りの人々の優しさは、正直に、常に笑顔で相手様を大切に仕事を果たしてきた主人のお蔭だと改めて感謝します。
 寮生の皆さん、世の中は決して自分一人で生きているのではありません。多くの人々のお蔭で支えられ、生かされているのです。「天」の神様は、主人の命を召し上げられ、不勉強な私に厳しく試練をお与えになったのだと思います。
「少年老い易く、学成り難し」と申しますように、これまでの不勉強を悔いる私に教えたかった主人の言葉は、「老いて学べば、死しても朽ちず」ということだろうと思います。初心に返り、解らぬことは学びましょう。恥ずかしくてもいい、若い人達にも教えを受けましょう。体力は落ちたけど、失敗を恐れず何度も学び返して働きましょう。
 改めて、一人一人の命の尊さ、そして人々の厚い情けを戴いて生かされていること、だからこそ一日を無駄に生きてはならぬことを学んだ、有り難い年の瀬でした。何時の日か天国で、胸を張って、主人に有り難うございましたと、お礼言いたいと思います。
 寮生の皆さん、何よりも健康ありてこその命です。風邪をひかぬよう心がけて下さい。


2021/10/26 掲載

思いやりという宝物  平成十九年十一月号

 朝夕冷え込む季節になりましたね。
 我が家の小さな庭は今、黄色の「つわの花」が真っ盛りです。
 私はどういうものか、高価な花より「つわの花」とか「ほととぎすの花」等が大好きで、手入れもしないのに季節を忘れず、それぞれに花を咲かせてくれます。今年も、この花達を眺めることが出来たと、一年間を無事に生かされてきたありがたさに毎朝手を合わせ、つわぶきの花達に「ありがとう」と感謝しつつ、仕事に出かけます。
 これは随分と前の、或る少年のお話ですが、男兄弟の弟が病気で急死いたし、兄さんが弟を悼んだ弔詞です。
「出会いがあれば必ず別れがあるというのを聞いたことはあったけど、こんな形でこんなに早くその時が来てしまうなんて、これからの僕にとって何よりも辛く、苦しいことです。この辛さを打ち負かしてくれるのが、弟との思い出です。
「ファミコンを片付ける」とか、「お菓子をどっちが多く食べた」とか、くだらぬことが原因の喧嘩の繰り返しでしたが、今となってみると、弟が悪かったことは一度もありませんでした。一緒にテレビを見たり、笑ってトランプをしたり、その時は当たり前のことでしたが、貴重な思い出となってしまい、僕の一番の宝物です。この先、どんな高価な物を手にしようとも、この思い出に比ぶれば、何でもない。
 また、弟は僕に、もう一つの(宝物)を遺してくれました。その宝物は(思いやり)です。僕は、この(宝物)をこれから肌身離さず持ち続けたいと思います。弟よ、有り難う。」(原文のままです)
 思いもよらぬ突然の弟の死は、兄に、生きてゆくものはどうあればいいかを見つめさせ、幾度の喧嘩も、弟が悪かったことは一度もなかったと、心を開かせます。それまで考えたこともなく、(当たり前のこと)として過ごしていた命の尊さを思い、「思いやり」の宝物を遺してくれた弟に感謝を述べているのです。
 皆さん、私達、生きとし生けるもの、たった一回きりの人生だからこそ、大事に生きねばならないのです。
「たった一人しかいない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かせなかったら、人間に生まれてきた甲斐がないじゃないか。」(山本有三「路傍の石」より)
 我が家の庭のつわの花はつわの花として、松は松として、その「生」を一生懸命に生きています。私達は今、人間という得難い命を戴いていればこそ、正直に、ひたすら努力を重ねつつ励まねばなりません。
 自営会の先生方、調理の先生、また、寮生の皆さん達同志の出会いも貴重な人生の御縁なればこそ有り難く感謝して、すべてに等しく与えられた一日、二十四時間を、皆さん一人一人がそれぞれの心で、精一杯に励み、活かして、人としての完成を目指して頑張りましょう。
 風邪を引かぬよう心がけて下さい。健康もまた宝物です。


2021/9/22 掲載

亡夫の一周忌  平成二十年十月号

 紅葉した木々の美しさに、思わず「秋の夕日に照る山もみじ・・・」と、小学生当時の唱歌が懐かしく思い出され、つい声に出して歌ってしまいました。
 帰宅時、天草灘を染める赫々とした大きな夕日に感動し、思わず「有り難うございます。」と祈ってしまいました。自然の美は、飾らぬ、四季折々の見事な景観で人々の心を癒し、喜びを与えてくれますね。
 さてさて私事ながら、亡夫の一周忌も過ぎ、背中の荷が軽くなった思いですが、その日はとても多忙で、てんてこ舞いの作業に追われました。きっと亡夫が、「励めよ励めよ」と、天国から私達を一生懸命に働かせてくれたのでしょう。
 生憎と長男も出張中であり、帰国後飛んで帰省いたし、揃って寺詣でいたしましたが、長男も亡夫そっくりに白髪が多くなった。やはり親子だと眺めやりながら、ふと長男の大学入試当時を思い出しました。
 ある日、入試勉強中の長男に亡夫が尋ねました。
「お前は何の為に大学に行くのか?」
 長男は即座に父親を見て、
「お父さんのように、お母さんを朝から晩迄一日中男の労働者のように働かせていては、お母さんが哀れだと思う。僕は大学を卒業したら、大きな企業に就職し、結婚したら嫁さんを大事にして、労働をさせたりしない。その為に大学に行くのだ。」と答えました。
 亡夫はいきなり長男の顔面を拳骨で打ちすえ、長男を睨みつけました。こんな凄まじい亡夫の表情を見たことがなく、息が詰まりました。
「何を言うのか!お母さんを働かせて何故悪い。俺は両親を養いつつ、お前達を学ばせ、これ迄どんなに厳しい時も、一日たりとも遅れず国や市の税金をきちんと納めている、立派な日本国民だ。そんな甘っちょろい考えなら大学に行くな!」と。
 仁王立ちした亡夫の気迫に、長男を庇うこともできませんでした。
 それから長男の、学ぶ心構えが変化してゆきました。大学を卒業し就職、すぐに海外勤務を与えられた長男への餞(はなむけ)の言葉は、「これから企業人として、さまざまの多くの厳しい取り引きをせねばならぬだろう。大小を問わず商談に及んでは、どんな相手様からも褌一枚もらってはならぬ。」という言葉でした。
 何時の間に取り揃えたのか、亡夫は「海外に飛ぶ飛行機の中で読むように」と申して、私にはさっぱり解らぬ経済等、経営学等の専門書を数冊、長男に渡しました。私も長男に申しました。
「これから社会人になれば、お酒も飲むであろう。お酒は必ず自分のお金で飲みなさい。」  なんとも情けない、私の餞の言葉でした。
 長男も亡夫の教えを守り、コツコツ働いているようです。時の過ぎる早さに慌て驚きつつ、長男、長女、二男と、よくよく亡夫に似た性格で、大人になってくれました。これだけが私への最高のプレゼントであったと、三人の子達を眺め、改めて亡夫に感謝いたしました。何時の日か天国に召されたら、胸を張って亡夫に会えるように励まねばと思った一周忌の一日でした。
 慌しく上京する長男が私に申しました。
「何事も解らぬことは人に聞き、教えてもらいなさい。ゆっくり落ち着いて、慌てず働いて下さい。」長男は、生来の慌て者で失敗の多い私を戒めて、帰郷しました。今、長男や長女から助けられる、教えられる老女になってしまいましたが、亡夫の魂を汚してはならぬと心を新たにした、有り難い一周忌でもありました。
 十月は「達磨忌」の月です。ダルマさんも、心棒が真っ直ぐでなければ起き上がれません。心を素直に、真っ直ぐにして、「ゆっくり、落ち着いて、慌てるな」の達磨法師の教えを心に刻み、働いて参りましょう。
 寮生の皆さんの、身と心の健康を念じつつ、ペンを置きます。




2021/08/26 掲載

「手入れ」の有り難さ  平成十九年九月号

 日中の残暑に辟易しますが、夕暮れの涼風にホッと安らぎますね。
 稲も稔り、穂先が重く垂れた田の中に、麦わら帽子をかぶった案山子が立っています。今年も豊作だと、うれしくなります。
 通勤の行き帰りに車窓から眺めるだけの稲田の風景ですが、ついこの前田植えで、青田だったのにと稲の生長に驚きます。
「米」の字を分解すると、「八十八」となる。見事な稲穂に育てるまでお百姓さんは、八十八回の手入れをされるのだと、子供の頃に聞いた覚えがあります。雨につけ風につけ、田んぼに出ては草取りや害虫駆除等々、手入れを怠ることなく農作業に励まれてこその豊作です。手入れを怠けていては、稲は草に埋もれ、害虫に蝕まれて一粒の米も稔らないでしょう。
 人間とて同じです。この世に生を受け、成長と共に私達はどれ程多くの「手入れ」を戴くことでしょう。両親はもとより、学校の先生、友人、職場の人達、社会の人々、病めば病院のスタッフの人達と、数限りなき日々の「手入れ」を戴いています。この有り難い「手入れ」を、私達はしっかりと受け止めて、自分自身を成長させてゆかねばなりません。
「一日作(な)さざれば、一日食わず」とは、百丈禅師の有名な御言葉ですが、それは、「働かざる者食うべからず。」の命令ではなく、私は自分の「手入れ、つまり、学び努力すること、励むことを怠っていては、とても食事を戴くことは出来ないと言う反省、慎みの心だと思います。
「手入れ」を戴く人々への感謝を忘れず、努力を重ねて稲穂の如く頭を垂れて自分を成長させること、それが、先祖や社会への恩返しでもあります。
 一日汗を流して励み、そして手を合わせ、お米に感謝して頂戴しましょう。


2021/07/29 掲載

千の風になって  平成二十年八月号

 暑い日々、北京五輪での各国の選手の競技も終わりましたね。金・銀・銅のメダルの為に、また、自国の為にと活躍するそれぞれの選手の真剣な競技を観ながら、この瞬間にかける選手達の日々の努力が、如何なる厳しさであったろうかと、勝敗は別にして、出場するすべての国の選手達一人一人に拍手を送りました。
 誰しも同じいのちを戴きながら、各自の人生を真剣に歩んでいる。オリンピックの為に、この選手達もさぞやの苦闘、自分との戦いの日々であったろうと、胸が熱くなりました。
 さて、私はとうであろうか。一日一日をひたむきに一生懸命に生きたであろうか。この七十七年を振り返り、恥ずかしい思いです。
 八月のお盆も終わりました。私にとって今年は特別なお盆でした。亡夫の初盆で、お寺に参りましたが、お寺に今年天国に召された人々の名前が記名されてあり、仏になられたこのお人達も、生前は一生懸命に働き、生きてこられたのであろうと手を合わせてお参りしました。
皆さん、「千の風になって」という歌をご存知ですか。
 私のお墓の前で泣かないで下さい
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹き渡っています
 秋は光になって 畑に降り注ぐ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
 夜は星になって あなたを見守る。・・・(略)
 私の大好きな、心に染みる歌です。
 特に今年は、亡夫の初盆だった為か、思わず口ずさむ歌です。今も仕事場に入ると、古ぼけた机の前の古ぼけた椅子に座って、じっと私の仕事振りを亡夫が見ているような錯覚を起こし、工場の機械の調子が悪い時や事務作業に迷った時は、つい声を出して尋ねようとする、まだ亡夫に頼りきりの私なのです。今更ながらこれまでの自堕落な私の、仕事に対する心構えの悪さに反省しきりで、これからが試練だ、これからが勉強だと、毎朝仕事場に出ては、自らを励ましています。
 慌て者の私は、後先を考えず行動し、失敗が多く、相手様にも大変ご迷惑をかけますが、その度に教えられたり、お許しを戴いたりで、本当に周りの人様のお蔭で一日の仕事が終了されるのです。しかし、もう少し学ぶべきと心を諌めます。
「千の風」の歌詞のように、亡き人達は残された家族をいろんな思いで教えたり、守ったり、導いたりしてくださるのだ。だからこそ生きている私達は、自分をごまかしたり怠けたりしてはならないと思うのです。
 肉体は借り物。いつかは私達も死を迎えますが、決して自分一人で生きているのではない。自然の光、風、雨、そして周りの人々の優しい思いやりで生かされているのです。
 オリンピックの選手競技に、その日々の努力を学び、また、お盆行事で、生きている命の尊さ・有り難さを教えられ、本当に有り難い八月でございました。
 皆さん一日一日を大切に、くじけずに、自分自身の為にコツコツと励み、努力してください。


2021/06/28 掲載

会社の業務を引き受ける  平成十九年七月号

 梅雨明けとなり、ホッといたしましたが、予期せぬ新潟中越地震のニュースに驚き、胸がつぶれる思いです。一生懸命に働いて、平和な家庭を築いていた御人たちが、一瞬にしてすべてを奪われ、その悲しみはいかばかりかと察しながら、この上はどうか病気等が発生しないよう、一日も早い復興を念じるのみです。ところで、私は最近物忘れ多くなりました。亡き姑さまが、
「あれは何処に置いたかな?」とウロウロされていた姿を想い出し、私も姑様に負けじの呆け老人になりつつあります。それに比べ、歩行も侭ならぬ身となった主人は、頭脳の方は衰えを見せず、しっかりした認識と判断でベットの上から私を動かしてくれます。体調が良い時は、自転車に乗せて事務所に連れてゆきます。古ぼけた自分の椅子に腰掛けて、机の前に視線を落とす時はとても安堵した悦びの表情です。ああ、これが主人の戦場だ、一生懸命に働いてきた命の場なのだと思います。看護しながら何度も自宅と仕事場を往復する疲れも吹き飛ぶ思いです。
 つい先頃のこと、主人から、
「会社の業務一切お前に任せる。」と申し渡されました。私は心の中で(こんな小さな会社だ。業務ぐらい簡単なものだ。)と、そんな軽い気持ちでした。何十年も唯主人の命令通りに走り、いたって呑気に、無責任に働いていた私は、時折、こんなに朝から晩まで駆け回されながら、小遣い銭の一文も呉れぬ主人に不満すら持っていたのです。
 さて、仕事を任された私は、一ヶ月でパニック状態になりました。そしてやっと、主人の厳しさが解りました。自らを戒めねば経営は出来ません。人様の信用を得てこそ、経営は成り立つのです。身勝手で放埒な考えでは、一日たりとも社会の中で働いてゆくことが出来ない。私は今迄長い年月、主人を、ただ厳しいばかりの「ケチな社長」と不平たらたらで、命じられた仕事も充分に果たせず、また、真剣に仕事を覚えようともせず、集金すら失敗して叱られ、また行けばいいだろう等、横着な私でした。
「お金」とは、ただの「お金」ではない。私達働く人間の「真心」なのですね。主人が一円たりとも無駄にせず、厳しかった心根がやっと解り、頭が下がります。
 夜、主人に一日の業務報告をする時、私はヒヤヒヤします。主人は、経理だけではなく、工場の機械の調子も問います。工場の心臓である機械の目配りを指摘されます。今迄主人の厳しさに不平不満の多かった私は、七十五歳の手習いで一生懸命です。これこそ罰当たりですが・・・。物忘れも多く、我ながら悔しいのですが、若い頃の何倍も学ぶより道はありません。学ぶことは無限です。
 皆さん、私のように慌てる老人にならぬよう、今の内に一日一日を自分の目標に向かって学んで下さい。それがまた、社会人としての責務ある生き方だと思います。
 恥さらしの便りになりましたが、お互いに頑張りましょう。


2021/05/28 掲載

寮生からのお礼状  平成二十年六月号

 田尻先生、いつも私達寮生を愛しんで下さる温かいお便り、本当に有り難うございます。私、この度五月二十八日に仮釈放になり、当自営会にお世話になっておりますKと申す者です。初めておたよりをさせて戴きますが、先生への返事を書くことの栄誉を賜り、嬉しく筆を走らせています。甚だ拙文ではございますが、どうぞお目をお通し下さい。毎月の先生が送って下さる海の幸、山の幸、大地の幸、本当に有り難く思っています。これらの食材で出来た料理を、寮生皆感謝しつつ舌鼓を打っています。この度、私が先生への手紙を書くと決まった時、寮生の皆が、
「田尻先生のお蔭でいつも新鮮な食材で料理をおいしく戴いて感謝の気持ちで一杯です。有り難うございますと、是非宜しく伝えてほしい。」と、口々に申していますので、この旨を合わせてご報告申し上げます。
 先生のお手紙にありましたように、私も、太陽の光、空気、水は「ただ」という気持ちでおりました。今、日本のみならず世界各地で人災の上に天災が重なって、大きな災害が起こっています。それらは、人類のエゴによる地球環境破壊が原因大でしょうね。
 災害に遭って亡くなった人は、本当に不幸だったでしょうが、その中で何も分からず、アッという間に亡くなった人々はまだ救われたと思います。その反対に、土砂に埋もれ、倒壊家屋の下敷きになって、かろうじて生きていた人々も、だんだん空気がなくなり、命の元である水もなく、死の恐怖に怯えながら亡くなった人々の気持ちは如何ばかりだっただろうかと思うと、私の胸も痛みます。
 先生が仰るとおり、たっぷりある空気と水を、何の考えもなくただ貪り食っておる私は、何と罰当たりなんだろうと恥ずかしくなりました。私も今後節水に努力いたします。
 私事になりますが、私は熊本刑務所で二十年の刑を務めていました。仮釈放の話があった時、残り六ヶ月位だから満期でもいいと思い、断るつもりでした。私が罪を犯した当時、ヤクザの組に属していて、一般市民の迷惑も考えず、善意も信じず、ただヤクザの仲間、不良交遊者のみを信じ、頼っている生活をしてきましたが、その仲間たちに手痛い裏切りに遭い、失意の中で受刑生活を送りました。そのような理由で、社会復帰後は、私の残り少ない人生、面白おかしく生きようと、心の半分以上は思っていたのです。
 でもそんな時、私の唯一の娘とその婿、そして三人の孫達が、一日も早く帰っておいでと言ってくれ、また刑務所の職員方の励まし、保護観察官や自営会の先生の面接で励まされ、説明されて、熊本自営会を引受けとする仮釈放を受けることになりました。
 当会の先生方にお聞きしましたが、熊本自営会は、田尻先生をはじめ、心ある市民の先生方の善意でもって成り立っていると知り、心新たに感謝しています。
 今迄決して信じなかった他人の善意を知り、その善意でもって今の私が生かされているということを思うと、改めて感激して、私でももっと頑張らねば!と思います。
 これから私も精一杯頑張って、人を信じ、人から信頼される人間になろうと努力いたします。
 残り少ない人生ですが、まず娘一家を安心させ、そして世の中に少しでも恩返しできるように努力するという目標を、田尻先生、当会の先生方のお蔭で見出すことができました。本当に有り難うございます。
 まだこれから半年お世話になっていますので、より一層のご指導の程宜しくお願い致します。
 末筆になり、甚だ失礼に過ぎますが、先生もご体調悪しきとのこと、お気を確かに持たれて十分に養生なさって下さい。先生のご快癒を寮生一同心よりお祈りしております。
 田尻先生のご幸福とご健康を、いつもいつも祈念致しまして、筆を置かしていただきます。



2021/04/25 掲載

「いただきます」の意味  平成十九年五月号

 五月は「子供の日」と「母の日」があり、新緑もぐんぐん伸びて、まさに命の生まれ育つ五月ですね。
 先日、数年ぶりに学校時代の級友に会いました。旧友は足腰を痛め、杖をついてすっかりお婆さんになっていました。戦時中食糧がなくて辛かったこと、勉強するにも、ノートの紙すらも不自由だったこと、アメリカの飛行機の機銃掃射に逃げ回ったこと等の懐かしい昔話。しかし、お互いしぶとく生きてきたねと感謝したものでした。すでに他界した級友もあり、さすがに七五歳ともなれば「おばあさん」だよねと、杖を片手に不自由に歩く級友に、
「老いてもまだまだ学ぶことの多い人生だ。戴いた命を大切にね。」と励まし合って別れなした。
 現代は溢れるほどの食品が店頭に並んでいて、戦時中の食糧難を考えるともったいないと思ってしまいます。私達は、当然のことですが、食前に「いただきます」、終わったら「ごちそうさま」と手を合わせます。一体誰に手を合わせるのでしょう。神仏への感謝の思い、または食事を調えてくれた親達への感謝もありますが、何より大切なことは、食べようとしている食物そのものに対して手を合わせているのですね。魚・肉・米・野菜等、どれをとってもそれぞれ与えられた命があります。その命の尊さに上下はありません。
 自然界の動物も、穀物も、天地の摂理に従って命のやりとりをしています。茶碗の中の米粒も、つい先程迄は稲の実であった。それがご飯粒になり、私達の血となり肉となる。天地自然の大きないのちの循環と不思議ないのちのうねり、これは人間の作業だけでは、稲の実とはなれぬ。自然の太陽の光、風雨ありてこそ、稲も野菜も動物達も育ってゆくものですね。お互いに同格の命をいただいて、生かされている私達の命です。
「いただきます」「ごちそうさま」の合掌こそ、お互いの命を尊敬し、感謝しているのです。こんなことを考えていましたら、人間は身勝手なはからいを持って生きていて、必要以上に食べたり、飲んだり、より以上に美味なるものを求めたりして、体調を悪くさえしてしまいがちです。
 おたがいの命に手を合わせ感謝して、身も心も健康でありたいものです。遠い先祖から受け継がれ、この世に生まれてきた自分の命、日々節制し励んで参りましょう。




2021/03/30 掲載

長崎−孫娘との旅  平成二十一年四月号

「時、人を待たず」で、もう新緑の季節になりましたね。卒業式、入学式と、一つ一つの人生の階段をしっかりと踏みしめて元気に成長する子供達の姿に、「怪我なく学ぶのよ」と心の中で応援します。
 さてさて、我が家にも突然東京から、今年大学を卒業した孫娘がやって参りました。 「社会人ともなれば、なかなかおばあちゃんとも会えなくなるので」とのことで、加えて長崎見物をしたいと申します。学生時代、世界の古代歴史を学び、諸外国の歴史研究に飛び回っていたようです。日本の玄関口として古くからの諸外国との交流で異文化を取り入れた長崎の街の歴史を学びたかったのでしょう。
「長崎」は、特に亡夫の故郷です。亡夫は東京の大学に在学中、先の大戦で「学徒出陣」いたし、九死に一生を得て終戦を迎えたものの、故郷長崎の街は原子爆弾で破壊され、亡夫はすべてを失ってしまいました。
 特に、長崎大学の医学部に進学した一番の親友の被爆死をとても悲しみ、その友人が健在なら、今頃は多くの人々の病を治療し、苦しみから救っていたろうにと、無念の思い深く、以来亡夫は故郷「長崎」の話題を口にしなくなりました。今頃は天国で、優しい学童達との再会を果たし、語り合っていることでしょう。
 孫娘は、事前に長崎の歴史や町並み等を余程しっかりと調べていたのか、敵確な行動で時間の無駄なく長崎の街を巡り、まるで長崎市民のような動きに、私は後ろからついて行くのがやっとこさでした。
 夜は稲佐山に登り、美しい長崎の夜景を堪能。私は水俣から大切に持参した亡夫の写真を胸に捧げて、「貴方の故郷、長崎の夜景ですよ。孫娘が連れてきてくれましたよ。ゆっくり眺めて下さいませ」と語り掛けました。孫娘はびっくりした様子でしたが、誠に有り難い長崎の一夜でした。
 亡夫が一生懸命に働き抜いた工場も、それぞれの機械が老朽化し、度重なる故障、修理に追われ、疲労困憊の日々で、不安と辛さで愚痴ばかりの私でしたが、亡夫は古い工場よりも、こんな素晴らしい「孫という宝」を遺していてくれたのだと手を合わせて感謝。長崎の一夜は、孫から、気力と勇気と希望を与えられました。
 孫は大村飛行場から東京へ、私は電車で、それぞれの帰途に着きましたが、この度は孫娘から教えられたことの多さに、老いた老いたと愚痴ばかりであった私を恥じ、どんなに老いてもどんな苦境に直面しても、「学ぶべし、やるべし」と反省いたしました。
「老いて学べば死しても朽ちず」―まさに佐藤一斎の教訓は本物の人生。この世に生を戴いた有り難さを噛みしめて、老い果てるとも、一歩でも半歩でも自分の能力を活かして前進し、命を全うせねばと思い至りました。
「楽は苦の種、苦は楽の種」古人は素晴らしい言葉を残してくれました。「苦」ありてこそ発見する大事なこと、そして喜びです。七十八歳の今、孫娘に教えられた小さなこと一つでも、私には有り難く、勇気を与えられました。
 皆さんもどうか、戴いた自分の「生命」を一生懸命に働かせ、学んで下さい。



2021/02/28 掲載

保護司の真情  平成二十一年三月号

 暖かくなりましたね。
 季節の移りの早さに、老化した足では追いつけぬと、焦りさえ感じながら・・・。それでもやはり春はいい季節ですね。
 私事ながら、四十年間の保護司としてどうにかその任務を終えさせて戴いたのは、昨年の五月でございました。最近しきりに後輩の女性保護司さん達から、「懐かしいので是非お会いしたい」と、度々のお誘いを受けながら、多忙にてそのような時間もない思いでしたが、二男が「仕事のことは心配せずにいってらっしゃい」と送り出してくれました。
 後輩の保護司さん達にお会いして、一度に私も保護司気分に返ってしまい、楽しく昔話が弾むうちに、「田尻先輩の、対象者に接する熱意には、何時も驚かされていたし、あの熱意は何だったのだろうかと思い続けていました。」と尋ねられました。保護司は誰しも、誠意と熱意で努力しつつ、その責務を果たしているのですけど、私が一生懸命になれたのは、きっと不遇に生まれた二男のことがあったからだと思います。
 原因不明の病気で生まれてから、すごい斜視、いつまでも首が座らず、歩行も不十分、言葉も不明瞭、毎夜激しい頭痛に苦しみ、泣きとおす二男を背負って、幾度も海に走り、親子心中を思い詰めた、狂った母親の私でした。
 しかし、暗い海を見ながら、老いた舅様、姑様の看護のこと、まだ幼い長男・長女のこと、一生懸命に働く、今は亡き夫のことが浮かび、親の責務も果たさず親子心中とは大罪人だと幾度も思い返した私でした。なんと身勝手な浅はかな行為であったかと、狂っていた私を想い出し、今も辛いものです。しかし、辛くとも悲しくとも、誰しもこの世に生まれた一人の命。親として一生懸命に育てるのが責務と自らを叱責し、今日まで頑張って参りました。
 運動会でヨタヨタと走ることも出来ぬ息子を、友達が、先生が、一生懸命に応援し勇気づけて下さり、少しずつ成長して参りましたのも、すべて多くの人達の思いやりと支えでした。「五体満足」で生まれた我が子をむざむざと非行少年に、また犯罪者に落とし込むのは、さまざまの要因もありましょうが、身勝手な母親の子育ても原因ではないかと・・・。経験から私は常に、相対する少年達よりも母親を諭し続けてきたように思います。
 もちろん子育てには、父親の責務も重要であり、両親揃っていることだけでも、こんな有り難いことはない。一生懸命の我が子を、その命を守り育ててゆくのだと励まし、語り聞かせて参りました。
 それに「健康」。これに勝る「宝」はないのです。五体満足で健康な子を粗末に育てぬように、親もまた一生懸命に励むのよと言い続けた歳月でもありました。
 そんなことを、久々にお会いした現役保護司さん達と語り合い、励ました一日でした。
皆さん、自分の命は自分だけのものではない。他から生かされている大切な命だと自覚し、感謝し、精進して下さい。小学一年生の入学式のような新しい気持ちで、この春をお励み下さい。



2021/01/27 掲載

「今」を生きる  平成十九年二月号

 お元気ですか。暖かい冬ですね。
 この世に生を受けて七十五年になる私ですが、これだけの年数を過ごしてきましたのに、また、毎日の仕事は決まっていますのに、毎月の日数、時間をきちんと考えて働き暮らすことが下手で、常にあたふたと落ち着かず駆け回るばかりの有様です。
 今年こそは、ぬかりなく計画を立て、一日一日の仕事を翌日に持ち越さぬようにと自らを戒めたのです。もう一ヶ月が過ぎましたが、予定通りに仕事も捗らず慌てています。そして、自分に言い訳ばかりしています。「突然の主人の病状悪化で看護に追われた」とか、「予定外の仕事が舞い込んだ」とか。
 一日は二十四時間と定められているのです。これ程正確なものはない。だったら、突然の出来事等も予定に入れて、本来の自分の仕事を、毎日一番に取り掛かるのだと、改めて自分に言い聞かせているのですが。
 皆さんも毎日目標を立て、計画を果たしていらっしゃることでしょう。私のように、アッと気が付いたら七十五歳。体力も落ちて・・・。この歳月を一体何をしてきたのかな等と、後悔なきよう毎日を大切に生きて下さい。誰しも人は必ず老いるのです。
 昨夜主人を看病しつつ入浴させましたが、肌色も少しばかり良くなり、両手両足の筋力も回復の兆しが見え、主人の気力・忍耐を、子供を褒めるように喜んだものです。人間の生命力の不思議さに驚き、決して何事も諦めてはならぬと思いました。
 物事に疎い私の為に、神様が主人の姿を通して人間の生きる気力、命の尊さ、生かされていることへの感謝の心を忘れるなと教えて下さったのだと思っています。
 それぞれに、さまざまの境遇の中で生きている私達です。明日は何が起きるか解らない。今日一日を精一杯励むことです。
 皆さんも自らの生命に感謝し、ご指導下さる先生方の恩を忘れず、また、健康を保つ食事を整えて下さる調理の先生に感謝してお励み下さい。



2020/12/29 掲載

神の試練  平成十九年一月号

 お元気ですか。皆さんに新年のご挨拶もいたさぬ間に、もう二月が迫って参りました。
 お正月の気分とは誠に清々しくて、心改まるもので、一年の始まりとして得難い新鮮な心地と共に年を重ねてゆく・・・。当たり前のことながら、お互いに死に向かっている。第一歩の正月なのですね。皆さんもそれぞれに自分の目標、希望を胸に、心新たな元旦だったことでしょう。
 常のことながら、今年の始まり、一月のスケジュールを手帳やカレンダーに書きこみながら、よくぞ主人八十三歳、当方七十六歳と、二人でひたすら働き、生かされてきた歳月に感謝したものですが・・・。まるでどんでん返しの芝居のように、病弱の主人が突然に悪化、その看護に振り回された一月となりました。
「もうこれで主人の人生も終わりかな。いやいやまだ諦めてはならぬ。本人も辛いだろうが、私も精根込めて支えるのだ。まだまだ捨てる命ではない。この苦痛に打ち勝とう。」
 私は次々に与えられる神の試練を、かえって有り難く思った程です。火事場の馬鹿力でしょうか、動かぬ主人の体をヨイショと抱え上げるのも上手になり、・・・これも、今日まで工場で男同様に荒仕事に励んできたからからこそへこたれないのだなと、自分の馬鹿力をひそかに自慢しつつ、夜を徹しての看護の正月風景でした。
 こうして、新年一月のスケジュールは果たされず、相手様に迷惑をかけたりもしましたがこれは後日恩返しせねばと思います。神様は、本当のスケジュールは主人の命を守り、看護することだよと教えられたのだと思います。
 皆さん、何よりも健康が一番です。健康である為には、日々の心がけが大切です。
 人生は「生老病死」これが私達の当たり前の人生の道です。失敗したりつまずいても、またやり直せばいいのです。
 今年一年の皆さんの健康を念じます。



2020/11/28 掲載

過ぎ去れるを追うことなかれ  平成十八年十二月号

 今年も残り少なくなりましたね。
 十一月二十六日、皆さん達とお会いできましたこと、とてもうれしゅうございました。大切な休養日に、私の面目ない話、人生失敗話に耳を傾けて下さった皆さん達の、優しく真面目な表情が忘れられません。
 あれよあれよと七十五年の歳月を確かに暮してきましたが、事業の苦難や、生来の粗忽者である私の失敗も多く、人様に随分と迷惑をかけたり、家族を困らせたりの連続です。その度に、失敗を許し、手を差し伸べて励まして下さった人々、そして家族達。どれ程多くの人々の善意に生かされてきたのであろうかと、しみじみ手を合わせます。
 人は、才知・才覚があればこの上ないことですが、理想通りに事が運ぶものでもなく、明日は何が起きるか解らないのが人生です。
 先の大戦で大学生だった主人は、学徒出陣で戦場に赴き、終戦にて生還いたしたものの、空爆で家も焼失いたし、病んだ両親を助け、ひたすらに働き通して参りましたが、昨年脳梗塞で倒れ、入退院の繰り返しで、手術した脚も完治せず、歩行も不自由な体になりました。
 学生時代は短距離の選手で、全国大会にも出場したという自慢の足です。さぞや無念であろうと、主人の心中を思えば、私も悲しんでばかりはいられません。
「人生、明日のことは何が起きるか解らない」と亡母が申しておりましたが、全くその通りです。私もメソメソしてはおられない。主人の手足となり、二人三脚で残された命を一生懸命に生きてゆかねばならぬと、勇気を奮い起こしています。
 元気だった昔のこと、それはすでに、捨てられた過去であること。「過ぎ去れるを追うことなかれ」の教えを噛みしめます。来年こそはと意気込んでも、「勇み足」になるやも知れず、明日のことは解らない。この辛い体験を教訓として、「今、今日、まさに作(な)すべきことを熱心になせ。」と心に言い聞かせます。
 皆さん、人は必ず老いてゆきます。「生老病死」これは人間の歩む道です。主人と共に、老いて、病んで、初めて解った命の尊さ、大切さを語り合いながら、「いただいたこの命をお互いに大切に、一生懸命に励みましょう。」を合言葉にいたしております。皆さんも、どうか希望を持って自分の人生を切り開いて下さい。
 老人夫婦の繰言になってしまいましたが、皆さん達の将来が、どうか健全でありますようにと心から念じます。


2020/10/31 掲載

「名工」草西先生のこと  平成十八年十一月号

 十一月、もう一年の十一ヶ月を暮してきたのかとびっくりします。せわせわと毎日追われるような、落ち着きのない暮らしぶりに、我ながら情けないことと思います。 十一月二十三日は、「勤労感謝の日」です。「勤労を学び、生産を祝い、国民互いに感謝しあう日」です。
「働く」とは、「人が動く」と書きます。「働く」とは、ただ日給・月給をもらってくればいいというものではないと考えます。「働く」ことは、各々の「人生そのもの」です。物事を成就させ、人生を充実させる為に必要不可欠なことは「勤勉」です。
 私達は自分一人では生きてゆくことが出来ません。常に誰かのお世話になっている。そのお世話になっていることを、誰かに、社会に返してゆく。みんなが身を惜しまず働くことは、人様や社会に尽くすこと、御世話になった恩返しをしてゆくことなのです。
 ところで、十一月十八日の熊日新聞に「現代の名工」の記事がありました。なんと「草西武夫先生」が名工に選ばれていました。草西先生は、保護司として皆さん達の仕事面のこと等、一生懸命に御世話をして下さる、日頃から熱意・誠意のある先生だと大変尊敬していました。
「この仕事は、努力を重ねた分だけ報われる。大工になって本当によかった。」と、草西先生は仰っています。しかし、永い年月、半分以上は苦難・苦悶の連続であったろうと想像します。失敗してもくじけず学び、コツコツ修練を重ねられた歳月。すごい先生だと今更に敬服いたします。
 皆さん、草西先生と触れ合えることも有り難い人生の御縁です。一朝一夕にして「名工」になれる筈もない。草西先生のすごい生き方を身近に学ばせていただきながら、皆さんもこれからの人生の目標とし、精進・努力してください。
 皆さんと共に心から草西先生に、「おめでとうございます。」と申し上げましょう。



2020/9/28 掲載

分け隔てのない自然  平成十九年十月号

 日暮れが早くなりましたね。昨日こと、無事に仕事を終えての帰り道、左手の暮色の残る空に、まんまるのお月様。道端の駐車場に車を止めて、改めてお月様を見上げ、今度は右手に目を遣ると、何と、今にも海に沈まんとする赫々とした夕日。一度にお月様と夕日を眺められるなんて、有り難く、思わず手をあわせ、「ありがとうございます」と申しました。見事なこの月と夕日。いかなる技術者であろうとも、金満家であろうとも、人知で作れるものではない。大自然の偉大さに、唯感動です。
 私達の人生は、それぞれに順境あり、逆境ありで、決して自分の思い通りに暮らせるものではありません。今見上げる月、今赫々と海を染めている夕日は、どんな人々にも分け隔てなく尊い程の美しさで私達の心を癒し、喜び、感動を与えてくれるのです。誠に大いなる天地自然の中で生かされている有り難さに、今日一日の無事を感謝、明日も元気にと勇気が出ます。
 月は昇り、日は沈み、一刻たりとも立ち止まることはありません。私達の人生も一日とて立ち止まることはありません。そして、決して一人で生きているのではない。多くの人々に助けられ、支えられて生きている私達です。
「天には、見る目、聴く耳がある」とは、南原繁先生の御言葉と思いますが、決して自分を誤魔化さず、たとえ物事に失敗しても、くじけずにやり直せばいい。正直で勤勉であることです。
 一日の仕事が終わったら、空を見上げて下さい。秋の月と夕日は、皆さんの身と心を和ませてくれるでしょう。




2020/08/30 掲載

「縁」あればこそ  平成十八年九月号

「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますように、朝夕の冷気、草陰の虫のすだく声に、身も心も安らぎますね。今年の稲も豊作。まさに稔りの秋。これこそ天地自然の恵みに感謝一杯です。
 日頃の多忙に追われて、自分自身を見つめる落ち着きもなく、今朝もバタバタと仕事に出ようと、ふと庭の隅に目をやりましたら、何と彼岸花が咲いていました。ああ、今年も咲いてくれたと感動してしまいました。誰に見られようかとも思わず、こうして毎年咲いてくれます。
 家を建てた折、古い家の庭からこの彼岸花の球根を掘り起こして持ってきたもので、もし木の枝にでもぶら下げていたら、こうして毎年花を咲かせることは出来なかったでしょう。土に埋められ、太陽の光と熱、雨や落ち葉の栄養分等、諸々の「縁」を戴いて命を芽ぐませ、花を咲かせるのですね。
「縁」とは誠に不思議なものですね。この世に生まれたのも父母ありての「縁」。小学校に入学すれば、全く知らなかった子とお友達になる。仕事をすれば、仕事仲間との「縁」を得て共に助け合って働いてゆく。この世は決して自分一人ではない、さまざま「縁」によって生かされている私達です。
「袖すり合うも他生の縁」と申しますように、行きずりに触れ合うだけの人との交わりも、きっと前世からの因縁があるからでしょう。
 こうして寮生の皆さんに便りを書かせて戴くのも、有り難い「縁」であり、この「縁」を大切に思い、皆さん達のこれからの人生が健やかでありますようにと念じているのです。
 寮の先生方ともまた大切な「縁」を戴いて、皆さんは励み、また、調理の先生とのご縁があればこそ、毎日の食事を戴くことが出来る。不思議でもあり、有り難いこの「縁」に感謝して、皆さん一人一人が、新しい人生を歩んでゆかれますように。
 朝夕の冷えに、風邪等ひかれぬよう、体調に気を付けて下さい。




2020/07/30 掲載

何事も善意に受け止めよ  平成十九年八月号

お元気ですか。暑い日が続きますね。赤トンボが飛んでいます。熊本在住の娘が、お寺参りの為お花を持ってきました。私も仕事が終わってから一緒にお寺参りをいたしました。御先祖のお蔭で今の私が生きている。有り難うございますと、一人一人の位牌に手を合わせました。
「何事も善意に受け止めよ。」この言葉は、亡母の唯一の教えでした。笑顔の中にも真面目に私を見つめて話してくれた「何事も善意に・・・」の声が甦りました。歳月は過ぎても、まだ亡母の導きを受けている私です。
 それは、二男を出産した時のこと。障がいを持ってうまれてきた二男に私は打ちひしがれて、すっかり心が捩れ、暗くなってしまいました。そんな私を見かねて亡母は、あちこちの病院に二男を抱いて、私と一緒に走り回って支えてくれました。でも私は、昼間二男をおんぶして外に出ることすら苦痛で、毎日この不遇を、世を恨みました。
 そんな私に亡母は、
 「何事にも最善を尽くせ。何事も善意に受け止めよ。」と諭しましたが、障がいの子を産んだのに、それを善意に受け止められるかと心の中で反発し、その言葉が理解できませんでした。
 しかし、あちこちの病院を駆けめぐるうちに、世の中にはもっともっと厳しい不幸を背負っている人が多いこと、障がいに負けず一生懸命に生きている人々のいることを知り、そうだ、日頃から傲慢に暮していた私に、神様が二男をお与えになったのだと思うようになりました。私よりもっと辛く無念なのは、障がいを背負った二男なのだ。この子の命を精一杯生かしてやらねばならぬ。「恨む」とか「悔やむ」とかにくよくよしていられるかと思いました。
 成長するに従い、二男は、病院通いは続けながらも、人並みにはならずとも、何とか小学校に通い始めました。お友達が二男の手を引いて通学の手助けをしてくれる。近所のおじさん・おばさんも、当たり前の事としてやさしく接してくださる。二男を背負って親子心中しようとした私は、誠に鬼であったと反省。人々の当たり前の親切に感謝しながら勇気づけられ、二男と共に私も成長してゆきました。
 亡母に「お蔭様で二男も元気で我が家の工場で働いています。と報告し、改めて亡母に深く手を合わせて寺を出ました。
 私たちは、社会の中で社会の人々のお蔭で生かされています。ならば、二男も自分の能力で出来ることで恩返しをせねばと、老人家庭や病気で歩行不自由な人たちの「ゴミ捨て」の手伝いをするようになりました。
 大きなこと、立派なことは出来なくてもいい、社会の人々に感謝して生きてゆくことが大切なのですね。
今やっと解った「何事も善意に」という亡母の言葉と、亡母の笑顔に深く感謝です。
 皆さんも、ご先祖から戴いた大切な命を大切に励んで下さい。
 寮の先生、調理の先生に感謝して、一日平穏に暮らせることの有り難さにも深く感謝し、体調を悪くしないよう心がけて下さい。




2020/6/26 掲載

七夕願う  平成十八年七月号

 大変な暑さですね。日頃多忙に追いまくられて、庭は雑草が生い茂り、荒れ放題。今朝、夜明けに草取りをしました。
 朝露で足元はじっくりと濡れながら、草陰の虫の音にうれしくなり、久方ぶりに自然の中にいる自分に感動さえ覚えました。ほんの僅かの草取り後、まだ人も少ない田舎道を車で出勤。今度は赤トンボに出会いました。何とも言えぬ自然の豊かさ、恵みに感謝しての朝の始まりです。
 七月といえば、七夕祭の笹竹が、あちこちで眺められたものですが、最近は余り見かけなくなりました。子供の頃はお星様に願い事をあれもこれもと欲張りながら短冊に書いたもので、必ずその願いはお星様がかなえて下さると信じて、笹竹にしっかりと結びつけたものです。子供心には真剣で、大切な七夕の行事でした。
 今、七十五歳の老いの身になった私ですが、七夕様の星への願い事が成就するためには、自らが一生懸命に努力してゆかねばならぬこと、お星様に一生懸命に頑張りますと誓いを立てることなのだと思い到りました。何ともお恥ずかしいことです。何と頓馬な人生を過ごしてきたことかと、星空を見上げてお星様に詫びました。もし今、もう一度お星様に願い事を短冊に書くことが許されるならば、「健康でありますように」と書くでしょう。永い歳月、健康を保つことの厳しさを身に染みて思い知らされました。不慮の事故・災難はともかくとして、ついつい自分を甘えさせ、我が儘な暮らしで不健康を招きます。
 健康維持は、日々の並々ならぬ心がけ、努力、忍耐であり、弱い自分の我欲との戦いです。 星空を見上げながら、今更この歳月を取り戻すことも出来ず、無性に情けなくなりましたが、今からでもいい、素直になって、自分の欠点を修正してゆきましょうと心を新たにした七夕でした。
 皆さんもそれぞれに目的、希望、願いがあるでしょう。何よりも自分の人生です。たとえ失敗しても、健康があればやり直しも出来ます。健やかな体・健やかな心で、日々を朗らかに素直な心で暮らしてゆきましょう。困り果てた時は、寮の先生方に教えを受けましょう。何事も自分の為と努力しましょう。
 寮の先生方のご指導に感謝致しましょう。調理の先生も、皆さんの健康管理の為、一生懸命に食事作りをして下さいます。そのご苦労に感謝を忘れずに。
寮生の皆さん達と仲良く、また社会の一員として励んで下さい。




2020/6/25 掲載

無事が何より  平成十九年六月号

 お元気ですか。一年も半分が過ぎますね。
 当地の名産の玉葱の収穫で賑やかだった畑が、もう水田となり、早苗も根付きました。穏やかな水面は、空や山、木々の姿を映し、折々の風に早苗も揺れ、水田の景色も揺れ動きます。水田に思わず手を合わせ、今年も無事でこの美しい水田風景を眺めることが出来たことに感謝します。自然は、一年中雨や風、太陽の光によってすべての生命を支え、守ってくれるのですね。
 毎日通い慣れた道。自然の風景が、もし一年中同じであったらと、ふと考えました。きっと私達は、喜びも発見することなく、気力を失うのではないかと思います。
 雨の恵みで木々も緑に輝き、日が照れば植物も花開き、実を結ぶ。空飛ぶ鳥達も木の実を啄ばみ、天空を飛びまわる。春夏秋冬、それぞれが私達の命を支え、喜怒哀楽を与えてくれる。誠に天地自然の恵みは、私たち生命の源ですね。
 季節はそれぞれに別のようですけれど、冬を耐えて花は開き、初夏の薫風で新緑は輝き、梅雨は山野の草木の命を養い、真夏は太陽の光を存分にあたえ、それぞれの稔りを促進させ、人や動物の糧となる実を結ばせます。冬はまた、自然の植物の力をじっくりと養う期間。季節は別々のようでも、こうしてきちんと繋がり合って、支え合っているのですね。
 私達も日々、喜怒哀楽、さまざまの問題にぶつかり合って生きています。父ありて、母ありて、この世に生を受け、どれ程多くの人々から支えられ、生かされてきたことか。決して自分一人で生きているのではないのです。
 先日、数年ぶりに昔々の女学校の同窓会に出席いたしました。若いつもりでも杖をついて歩く友人もいました。それに、早くも天国に召された友人達が年毎に多くなり、心が痛みました。今こうして旧友に再会出来たことに感謝一杯、これからの互いの健康を念じたものです。戦時中の食糧難を語り合い、よくぞ生き延びたものよと、天国の恩師に手を合わせました。
 今日一日無事に暮せたことが一番有り難い。だからこそ一日一日を大切に、自分に正直に生きてゆかねばならない。それが多くの人々に生かされてきたことへの恩返しだとしみじみ思いました。
「田んぼの早苗」が黄金色の稲穂になる季節もすぐにやってきます。私たちの血と肉となる、命となる「お米」になります。稲の生長に負けないように、私達も風雨や苦難に負けず、励みましょう。
 水田の水も豊かな熊本の町。日々の暮らしに欠かせぬ「水」も宝物です。大切に使いましょう。



2020/4/30/ 掲載

亡母の教え  平成十八年五月号

 五月は野も山も草木がぐんぐん伸びて、若々しい勇ましさを感じます。
それに「子供の日」、続いて「母の日」もあり、五月は生命の芽生える月ですね。
私もまだ若い等と呑気に考えていましたら、何時の間にやら亡父が他界した年齢に近づいています。今更に、何とて孝養いたさず、親不孝者であったと亡母に詫びます。
 育ち盛りの頃は戦時中で、芋の一つも貴重品であり、それもなかなか入手できず、亡き母は箪笥の中から自分の大切な着物・帯等持ち出して田舎の知人を頼りに、その着物と、野菜やわずかな米とを交換し、リュックに背負って汗だくで帰ってくるのです。さぞさぞ辛い日々であったろうと、私も年を重ねてやっと母の辛苦を思い知るのです。貧しくとも、空腹であろうとも、母は、「武士は食はねど高楊枝」等と申して、涼しい顔をしていました。
 そんな亡母の言葉を、今も三つだけしっかり覚えてます。
一つは、「人の悪口を言うでない」です。私が友達や隣人の悪口でも言いますと、人の悪口・雑言は、天に向かって唾を吐くも同じで、自らにその唾は落ちてくると諭しました。
二つは、「愚痴をこぼすな」です。何事も気に入らぬと、不平不満の愚痴を言う私に、口を尖らせて愚痴を言う姿は、自分の品位を落とすばかりだ。気に入らぬ事もよくよく考えてみなさいと注意。
三つは、「何事も善意に受け止めよ」と教えられました。
 子供心には亡母の教えが理解できず、貧しくて辛くて腹ペコで何が善意だ、善意に受け止められるかなんて内心不満でしたが、社会人になり少しずつ亡母の言葉が解るようになりました。失敗も、また辛さも、すべて我が身の有り難い学問の一つであったのだと。人間としての道であったのだと。
 永い歳月を経て、やっと亡母の言葉を有り難く大切に思うようになりました。
 皆さん、母から、いや、先祖から受け継いで戴いた一人一人の命・体です。先生方に教えを戴きながら、世間に恥じぬ人として励んでまいりましょう。それが「母」への最高の孝養だと思います。




2020/3/25 掲載

「すべてを素直に受け止めて」  平成十八年四号

 お元気ですか。
 心待ちにしていた桜の花。今年は一段と美しいなと眺めながら、どうか来年も無事でこの桜と会えますようにと欲深く念じるのも、我が身の老いを感じたからでしょうか。
 自然界の営みは一刻の休みなく、さまざまの命を誕生させ、また枯れさせてゆく。まさに生と死は、切っても切り離せぬ存在。生死一如ですね。
 一、年をとりたくなくてもとってゆく(生)
 一、衰えたくなくても衰えてゆく(老)
 一、病気にかかりたくなくとも病気になる(病)
 一、死にたくなくとも死んでゆく(死)
 この四つの言葉を身に染みて感じたのが、昨年の出来事。私事で恐縮ですが、昨年主人が病で倒れたからで、「死」こそ免れましたものの、これが人間の姿「生老病死」でした。
 若い頃から健康で、一生懸命に働き通した主人の病は、歩行困難、言語不明瞭等々、その症状に私が混乱、仕事と家庭のリズムが狂って疲労困憊、食欲不振となり、毎日点滴しながらやっと体力維持の状態。魂の抜けた私に気力と喜びを与えてくれたのが、この桜の花でした。青い空に満開の桜を見上げ、自然界の不思議な力を感じました。
 そうだ、私もこの花、草、虫や小鳥たちと同じ自然の生き物だ。同じ命を戴いているのだ。花は何も言わず、ひたすらに美しく咲いている。くよくよと思い悔やむ私が情けなく、恥ずかしくなりました。桜だって厳しい風雨を受けて、それでもこんなに美しく咲く。精一杯自分の命を輝かせている。
 私は全てを素直に受け止めようと思い知らされました。病も、当たり前の人生の道ではないか・・・自分の今出来る限りの力を出して、主人を支えてゆこう。それが生きてゆくということなのだと桜に教えられ、急に目の前が明るくなりました。
 つばめも飛んできて、巣作りを始めました。「時、人を待たず」です。暗いトンネルから抜けられたのも、自然界の生き物達のお蔭です。欲を出さず、「今」を素直に受け止めて、コツコツと仕事を果たしてゆかねば・・・。
当たり前のことなのに、やっと気がついた私です。
 みなさんも、生きてゆく日々、さまざまの出来事に出会い、悔やんだり困ったりの日もありましょう。寮の先生方のご指導は、すべて自分の生きてゆく為の大切な道標です。辛抱してお励み下さい。




2020/02/29 掲載

「休息のとき」  平成二十年三月号

 お元気ですか。あちこちから桜の便りが届きますね。何時の間に春になったのだろうかと、私はハッと我に返りました。
今少しばかりペンを持てるようになった私ですが、ある日突然、全身、特に両肩から指先迄激痛に襲われて、起き上がれなくなりました。シャツを着ることが激痛、事務整理も激痛、炊事すら出来ぬ。・・・病院に駆け込みました。診断は極度の心身疲労とのことで、今一生懸命治療中。何とかペンを持てるようになりましたが、人間の体は正直です。何だこれしきのことと、ついつい心身を酷使しすぎたようです。考えてみれば睡眠時間も毎夜二時間だったなと我ながら驚いています。
 人間の肉体・精神は「いのち」の働き場です。やらねばならぬと必死でこれを酷使し、疲労させては「命」に対し誠に申し訳ない、身勝手な過欲でした。それはかえって周りの人々に大変迷惑をかけてしまいました。
 自然界には、冬の休息があって初めて春の躍動があるごとく、人間も時には一切の取捨分別の心を止めて、休息することが大切なのですね。
 「休息」することは、怠けることと勘違いして、私は亡夫から引き継いだ仕事を全うせねばならぬと、がむしゃらの日々でした。もう若くはないことも考え、一日一度は静かに身も心も休ませなければならぬと思い至りました。この有様では私の心に春は訪れません。
 皆さん、一つだけの大切な命です。そして、その命は、周りの人々から、自然界から支えられている命なのです。考えてみますと、命は自分の命であり、自分一人の「もの」ではない。ご先祖様から戴いたかけがえのない尊い命なのです。野山に草木の花が咲くように、私達も心の花を咲かせる豊かな心を持ちましょう。
 寮生の皆さんのお蔭で、私も活力が湧きます。有り難いことだと感謝します。
寮の先生方のご指導を戴いて励み、巣立って下さい。




2020/01/30 掲載

「無駄もありて 六十路の暮を生かさるる」  平成十八年二月号

 三寒四温で春が近づきますね。自宅前の中学校に通う生徒さん達の登下校時の元気な挨拶に励まされます。生徒さん達の、事故なく健やかな成長を願わずにはいられません。
 子供達を育てる頃は、私も若かったし、少々の労働にもへこたれなかったなと、当時を懐かしく振り返ります。
 仕事片手に、舅様の看護、姑様の認知症状には目を離せず、トラックに乗せて仕事をしていたもので、毎日てんやわんやでした。
 当時はまだ老人介護の施設もなくて、冬空の星を仰いで舅様のオシメ洗いをしていたなと懐かしみ、・・・それよりも辛かったのは、病弱で生まれた二男を育てることだった等々、次々に想い出されます。
 熊本に所用で出掛けると、必ず恩師宅を訪れるのが唯一の楽しみであり、他愛もない私のお喋りを、「ふん、ふん」と聞いて下さる、唯それだけで心が安らぎ、元気が出たものです。
 還暦を過ぎても一向に成長しない教え子の無駄話。ある日、やはり恩師宅を訪れた私は、
「やっぱり学校時代の不勉強の罰当たりで、結婚以来事業の借金に追われ、寝たきりの舅様、認知症の姑様、重ねて病弱の二男に希望すら見出せず、何度となく親子心中を思い詰めたけど、なかなか死ねるものではない。寝たきりの舅様の為に、日当たりのいい家も建てたし、とにもかくにも男に負けじと、汗まみれの歳月。三人の子供も、どうにか育て上げました。先生、人生とはこんなものですか。人生とはこれだけですか?」
私は心がからっぽになったようで、吐き出すように一気に話し終えていました。
 恩師は、じっと私を見つめ、静かに、
「いい事に気がついたわねぇ。」と一言。いつもなら「いい事」とは何ですかと尋ねる私ですが、そのときの先生の真剣な眼差しドキリとして、声が出ませんでした。
 それから、仕事の折とかふとした時に「いい事」とは何のことだろうと想い出すものの、答えが解らず一年が過ぎました。
 その年の暮れ、明日は正月だと、舅様の髭剃り、散髪をして、これも上達して手際よくなり、姑様は子供同様で、ニコニコして私の後ろから掃除の手伝い。その時、ひょいと私の頭に浮かんだのが、
「無駄もありて 六十路の暮れを 生かさるる」の十七文字でした。
 これには我ながら驚きました。俳句の世界なんて及びもつかぬ労働の日々に、この十七文字は大変不思議だったし、何故か心がほぐれてきたのです。
これまで「私が、私が、」と、まるで自分一人で頑張り通して生きてきたのだと自負していた。いやこれは大変な間違いだったのだ。舅様も姑様も、人間の生き行く姿、人の命の尊さを教える為に、私の為に一生懸命生きていて下さるのだ。また、二男も、能力は人並みではなくとも、立派な命を与えられて生きているのだと。すべてが、愚かな私の為に命の尊さ・重さを学ぶべくお与え下さった、神様の有り難いご配慮だったのだと・・・。恩師への年賀に、この十七文字を書き添えました。恩師から返事が届きました。
「やっと解ったわねえ。」と書いてありました。
恩師は、「いい事」が何であるか、私が答えを出すまで、「いい事」に気がつく日迄、一年間ずっと待っていて下さったのだと涙があふれ、手を合わせて恩師に頭を下げました。恩師とは、このように深い、広い心で教え子を導いて下さるのですね。
 少し長々と書いてしまいました。寮生の皆さんも、常に多くの人から支えられ、生かされているのです。唯それに気づかないこともあり、失望したり迷ったりするものです。
 自分の大切な命は、自分の命でありながら、決して自分一人の命ではない。こうして社会の中の一人として、多くの人々から支えられ導かれている命です。戴いた命をどうか粗末にしないようお励み下さい。
 まだまだ私も、これからどんな教えを戴くか・・・。恩師はすでに他界されましたが、私の心の中に生き続けていらっしゃるのです。
 舅様も姑様も他界されました。「生老病死」の人間の姿をしっかりと教えて下さいました。本当に有り難い歳月を私は生かされているのだと感謝します。
 寮生の皆さん、風邪を引かぬようご注意下さい。




2019/11/28 掲載

「ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ」 平成十七年十二月号

 寮生の皆様お元気ですか。寒くなりましたね。こちらでは霰が降りました。
 皆さんどんな一年でしたか。禍い事もなく、元気で暮らせましたか。一人一人が目標を持ち、それぞれの出来事を積み重ねての一年間だったことでしょう。たとえ目標達成が果たせなかったとしても、無事に日々を過ごせたことが、何よりも有り難いことですね。
 私も何時の間にか七十四年間の悲喜こもごもの歳月を振り返り、よくも無事に生きてきたもんだ、やれ有り難やと思っていた矢先、永年使い続けた右手の指二本が、くたびれ果てて、手術の羽目となり、随分痛い目にあいましたが、回復いたし、ホッとしたのも束の間、今度は八十一歳の主人が倒れたのは、まさに青天の霹靂(へきれき)でした。
 退院後、まだ足は不自由ながらも、健康管理に心がけるようになり、リハビリに励みながら自分の役職をきちんと果たすことに努力中です。
 主人の入院中は不安一杯で、看護と仕事に追われ、形相も変わってしまった私ですが、その間、一分の雑念も入り込む隙がない厳しい日々でした。業務もまた、男手が欲しい作業も、工夫してやり抜けたし、こんな荷役をよく果たせたものだと驚く有様で、これこそ火事場の馬鹿力だなと、肩で息をしつつ頑張り抜きました。
 これ迄、特に最近は、もう老いたからとか、女だからとか言い訳をして自分を甘やかしていた私を見兼ねた神様が、大きな試練を与えたのだと思います。
 皆さん、若かろうが老いていようが、人生は本当に予測のつかぬ出来事ばかり。だからこそ人は強くなる。智慧も生まれてくる。そして、一日一日の大切さがしみじみ解ってくる。と同時に、決して一人で生きているのではない。自然の恩恵、長年築かれてきた社会的基盤、人はそれらの存在に支えられ生かされてきたのだと解ってくる。どんな事態に遭遇しようとも、へこたれない意志力、事態を乗り切る正しい知恵、そして素直な心が大切。その為に自分で自分を励ますことだと思います。
 七十歳を過ぎて教えられた多くのこと。辛い思いもしましたが、試練を与えてくださった神様に感謝した一年間でした。
 今こうして寮生の皆さんにお便りが書けるのも、寮生の皆様のお蔭です。寮生の皆さんから勇気と元気を与えられた一年間。御陰様で無事に過ごすことが出来ました。本当に有難うございました。
 ますます寒くなるでしょう。くれぐれも風邪を引かぬようご注意ください。
 追伸
「ただ今日まさに作(な)すべきことを、熱心になせ。」
 主人の病気で教えられた生きかたでした。
 



2019/10/29 掲載

「教育勅語に学んだこと」 平成十七年十一月号

 朝夕は、冷え込むようになりましたね。
 昨夜、所用の帰途、街灯の少ない田舎道を心細く車を走らせていましたら、突然現れたクリスマスツリーの飾りが、一軒の家の前に輝いていました。思わず車を止め、感動して眺め入り、もうそんな季節になったと知りました。
 お子さんの為に、お父さんお母さんが、一日も早くとクリスマスツリーを飾り付けられたのかしらと、心から温かくなり、私も存分に喜ばせて戴いた夜でした。
 私共の子供時代には及びもつかなかった豊かで華やかな社会になったなと、これまでの歳月を感慨深く懐かしみました。今は物忘れの多い老婆になりましたが子供時代の記憶はしっかりしているから不思議ですね。
 皆さん、今日はその昔話を少しお話しいたしましょう。
 私共の子供時代は、大方の家庭が井戸端の手押しポンプで水を汲み上げ、炊事、洗濯(もちろん、盥[たらい]でゴシゴシ洗う)は、大変な労働でした。学校から帰ると五右衛門風呂にバケツで水を運びます。(これもポンプ押しが大変)風呂沸かしの為の薪割りの手伝いもしていました。
 小学校では、上級生になると、教育に関する教え「教育勅語」を覚えねばなりませんでした。これは、子供には解りにくい、難しい文章でしたが、ともかく一生懸命に暗唱したものです。何故なら、先生から叱られるからです。単純ですね。授業の一時間目、教室で、皆直立不動で「教育勅語」を元気よく唱和していました。当時はさっぱり解らなかった教えの言葉も、大人になってから次第にその文言が理解されるようになりました。
 その教えの内容は十二の徳目で作られています。

一、父母に孝(親や先祖を大切にしましょう。)
二、兄弟に友(きょうだい仲良くしましょう。)
三、夫婦相和す(夫婦は仲むつまじくしましょう。)
四、朋友相信ず(友達はお互いに信じあいましょう。)
五、恭倹己を持す(自分の言動を慎みましょう。)
六、博愛衆に及ぼす(広く全ての人に愛の手を差し伸べましょう。)
七、学を修め、業を習う(勉学に励み、職業を身につけましょう。)
八、知能を啓発(知識を高め、才能を伸ばしましょう。)
九、徳器を成就(人格の向上に努めましょう。)
十、公益を広め、世務を開く(広く世の人々や社会の為に尽くしましょう。)
十一、国憲を重んじ、国法に遵う(規則に従い、社会の秩序を守りましょう。)
十二、義勇公に奉ず(正しい勇気をもって、世の為、国の為に尽くしましょう。)
 以上、十二の項目ですが、こうしてみると、明治二十三年に作成されたこの教育の教えは、現代にも立派に生きる人の道の教えだと思うのです。
 日進月歩の文明機器に囲まれて、便利な暮らしになっていても、やはり一日は二十四時間、人の体は、両手両足二本ずつ、昔と何の変わりもありませんね。戦中の辛い時代を生き抜いて、ひたすら働いて、あっという間に七十四歳の老婆。これが人生ですけれど、今更に子供時代のこの考えの深さに思い至り、今後いつまで与えられる寿命か解りませんが、小学生時代に覚えさせられた教えを、有り難く、大切にしっかりと踏まえて、一日一日を暮らし抜かねばと思います。
 心はすっかり小学生に返り、一二の徳目を声に出しながら、日本の言葉は誠に美しいと感じ入ったものです。
 秋の夜長、皆さんのお爺さん、お婆さんも、当時の小学生時代に学ばれた教えです。  今日は一人勝手に老婆の昔話を書いてしまいました。



2019/9/30 掲載

 再び「縁」について  平成十八年十月号

 釣瓶落としの秋の夕暮れ、心急いで仕事を終えての帰り道、真正面に、赤々とまんまるの夕日。海面を染めて神々しい大自然の姿。思わず手を合わせて拝みました。胸が熱くなりました。私達のご先祖達も、この夕日を眺め、きっと同じように手を合わせて、
「今日も一日無事に働くことが出来ました。有難うございました。」と、天地自然の恵みに感謝して、日々の作業に勤しまれたであろうと思います。
 昨今のニュースによると、国力の示さんとするのか、化学兵器の実験が行われているとのこと。人間の知力、財力にて武器を作ることは出来ても、この素晴らしい、神々しき太陽の輝きを作ることができようか。人智の何と小さく、愚かなことかと考えてしまいます。
 日本では「錦秋」、中国では、「金色の秋」といって、収穫の秋を喜ぶと新聞記事にありました。世界中の人々がこのように大自然の恩恵で生かされている命。だからこそ各々の姑息な利益に惑わされず、世界中の人々と助け合い、喜び合って、心豊かに暮らさねばと思いますね。
 ところで、十月五日は「達磨忌」だそうです。子供の頃、目玉の大きいだるまさんの貯金箱を買ってもらったり、起き上がり小法師のだるまさんで遊んだことを懐かしみますが・・・。この達磨法師は、禅宗の初祖。大変偉い御坊さんで、立派な教えを遣わされているそうです。まだまだ私は勉強不足で、お恥ずかしいことですが。
 教えの一つに「随縁」があります。世の中は順境にあり、何時も自分の思った通りには物事は運びません。これは、その人の善し悪しの「縁」の巡り合わせによるもので、自分の力では動かしがたいものです。
 そこで、順調な時、逆境の時をあるがままに受け取り、平常の行ないを素直に「縁」に随わせて生きなさい。
そうすると、あなたの行ないは、次第に道に叶い、あなたの心も、周りも、明るく開けますよという教えです。
  皆さんが自営会に入寮され、寮生の皆さん達や先生方と出会われたことも、縁の巡り合わせであり、この縁を有り難く素直に受け止めて、自分の我が儘や身勝手を慎み、周りの人々をすべて師として学んでゆくことです。
 「よしあしを 捨てて 起き上がり小法師かな」の言葉。
 よしあしとは、自分勝手な分別心であり、自分自身の考え・行為は他人に迷惑をかけるのです。心・気持ちを中心に置き、左右(善悪)に片寄らないように、逆境で転んでも、真直ぐに起き上がれるように、素直な、常に平穏な気持ちで暮らせるように学んで参りましょう。
秋の夕日は、人々の貧富・善悪に関わらず輝いてくれます。何事も我が身の為と、辛抱努力して、寮生の皆さんと仲良く助け合って学んで下さい。
 朝夕の冷え込みに風邪などひかぬよう心がけてください。



2019/8/28 掲載

「「杖」になる」 平成十七年九月号

 お元気ですか。気がつけば、九月も残り二日間です。
 私事ながら、主人が倒れて入院以来、無我夢中の四十日余りの日々でしたが、九月八日、無事退院することが出来ました。皆様方の励ましのお蔭と深く感謝いたします。
 主人もリハビリ訓練に精を出し、「杖」を頼りに歩行も出来るようになり、自信たっぷりでの退院でしたが、一週間後、玄関先で転倒し、再び病院に運び込まれました。私は、身も心も凍る思いで検査結果を待ちましたが、幸いなことに、異常無しとのこと。主人共々胸をなで下したものですが、「杖」の有り難さ、大切さを知り、「転ばぬ先の杖」とはこの事かと、しみじみ感じたものです。
 「杖」を使って歩けるようになった喜び、「歩く事」は簡単だと思う慢心が、まだまだ不自由な体に転倒という事故を引き起こしたのでしょう。一本の「杖」と不自由な体が一体となって歩けるように、よくよく訓練せねばならぬと教えられた主人です。以来、再び躓かぬようにと、「杖」と足のバランスを考えつつ、慎重に歩を進めています。
 今私は、何の不自由もなく、考えることもなく歩いています。しかし、主人の不自由な歩く姿に、改めて、人生の躓きに備えて、日頃から「心の杖」つまり、「よき法(おしえ)のことば」を心の杖として生きてゆかねばならぬと思いました。
 行く先真っ暗で途方にくれる、そんな人生はよくあることです。そしてまた、何事にも「慣れ」「慢心」の怖さも思い知りました。何事にも慢心する事なく、一つ一つの「杖ことば」を探すこと。「習うより慣れろ。慣れたらもう一度習え。」しっかりと自分の心・体に染み込み、それが当たり前の法(おし)えとなるまで習うことです。
 この度の主人の病を看病しつつ、またこれからも続くであろう看護の日々に、私が主人の支えにならねばなりません。「杖」にならねばと思うのです。生かされている間は有り難く、たとえ不自由な体でも一生懸命生きてゆくのが大切です。
 皆さんも健康に充分留意してお励み下さい。
 



2019/07/24 掲載

「亡き人の言葉を「心の杖」として」 平成十八年八月号

  お元気ですか。暑い日が続きますね。
 八月はお盆の月。私もそろそろ亡母達が他界した年齢に近づいてきます。日頃の不精を詫びつつ、仏壇の大掃除を致します。
 盆近し ひとりひとりの位牌拭く
 この句を思い出しながら、亡母達の生前の口癖を懐かしみます。
 亡母は、「何事も善意に受け止めよ」でした。人様から謗られたり注意を受けたりすると、すぐに立腹し、不満な態度をとる私を「すべて我が身の為だ。よく反省し、我が行為・心がけを改めよ。」と諭されました。
 亡姑様は、「人の振り見て我が振り直せ」「一生終わって身の自慢」でした。人生、明日のことも解らず、さまざまの苦難あり。善きも悪しきもその人の「のさり」だ。素直に一生懸命励むこと。人の価値は一生終わって初めて解るのよと教えられました。また、亡舅様は、若い時の苦労は買ってでもせよ」でした。身近なこの母たちの三人の言葉は地味で、若い頃の私には余り納得のゆかぬ心地でしたが、年々歳々切れ間なしの苦境に立たされ、その度にこの言葉は、私の大切な「杖」になりました。戦中・戦後を生き抜いた母達の、人生の先輩なればこその人生訓です。
 以前は朝一番に工場に出て機械の大きなベルトにグリスをつけ、機械の要所に油を差したりと、男同様に力仕事に精を出したので、油まみれのゴツゴツした指になり、人様の前に両手を出すのが恥ずかしい思いでしたが、このゴツゴツの十本の指が、今日もよく働いてくれます。本当に有り難く思います。
 ピカピカになった仏壇に手を合わせ、亡母達の「言葉」が、大切な心の杖であることに感謝し、八月の盆供養といたします。
 皆さん、先祖から受け継いだ自分の命を大切に。だからこそ、人様の命も大切に。みんなでみんなの幸せを祈る事。寮生のみなさんも、仲良く助け合って暑さにへばらぬよう節制し、頑張って下さい。



2019/06/27 掲載

「社会を明るくする運動」 平成十七年七月号

 七月は一年の後半の月。特に全国一斉に始まる行事の「社会を明るくする運動」月間であり、私達保護司一同、心に鉢巻を締めての活動の日々となります。
 当地では毎年、地元の小・中学校の生徒さん達が「社会を明るくする運動」の標語作りに取り組んでくれます。選考された標語は、立て看板として、町の各所に設置され、一年間人々の目と心に触れて意識を高め、人々の暮らしを守り続けるのです。
 本当は、全生徒の作品標語を看板にしたいのですが、これには大変な経費が必要で、限られた本数になってしまい、とても残念ですけれど。
 私達は、「社明運動」の主旨に賛同して頂く為に、企業・商店・一般の人々にも呼びかけて東奔西走。今年は不況で、倒産企業や商いを閉じた商店もあったりで、心労いたしましたが思いもかけぬ救い主、善意ある人々のお蔭で目標を達成。「やはり世の中には神様がいらっしゃるのだ。」と胸が熱くなりました。こうして、子供達から大人迄、それぞれの立場で、自分の住む町を、社会を、そしてこの日本の国を、争い事のない安心して暮らせる明るい社会にするために、心を合わせ支えあっている人々の善意のお蔭で、生かされている私達なのですね。
 だからこそ、一日たりとも、あだや疎かに暮らしてはならぬと、しみじみ思い入るのです。長い保護司活動をさせて戴き、さまざまの人生訓を学び、勇気や悦びで生かされて参りました。皆さん決して一人ではないのです。
「過ぎし日を思はず。来る日を求めず。今日が一番大事」
「百段を登るも一歩から」何事も自分で歩き出さねば、一歩も進めません。自分の弱くなりそうな心を自分で励まして、努力、辛抱することです。頑張りましょう。
 今年の中学生の標語の一つに、
「やめようよ 犯罪すれば 母が泣く」
がありました。自分の命は、母ありてこそ。先祖ありてこそ。自分一人の命ではない。大切に生きましょう。
 梅雨の日々、体を大切にお励みください。




2019/05/24 掲載

「人生の苦楽は我が心にあり」 平成十八年六月号

 六月。一年の半分も残り少なくなりました。月日の過ぎる早さに驚かされます。うかうかしておられません。
 六月は「田に水を引く月」当地はほとんど田植えも終わりました。私たちはとかく我が儘で、じめじめした梅雨は不快だ、晴れがいい等と、身勝手なことばかり申します。
 私達の命を支えてくれる『米』も、まず『水田』ありてこそ育ちます。小麦・大豆等の穀物、また動物達も、水なくば成長しません。もちろん私達も、電化し発達した便利な暮らしの中、風呂・トイレ等大量の水を使用して暮らします。まさに命の水であり、自分の命が大切であれば、命を支えてくれる『水』も大切に節約して使うことだと教えられます。
 五月は、もう一つ『父の日』がありますね。『父なくば、生ぜず。母なくば育たず。』父母を縁として私達は、この世に生まれて参りました。皆さんのお父様はご健在ですか。『父』は昔から一家の大黒柱として励み、家族の中心です。改めて父の恩に感謝いたしましょう。
 人生は晴天ばかりではない。雨・風の日もあります。空から降る雨に責任はないのです。この雨を不快と受け取るか、命の水、恵みの雨として受け止めるか・・・すべての人生の苦楽は、自分自身の心の中にあるのです。世界に一つしかない自分の命です。うっとうしい梅雨もまた、命を育てる大事な人生の扉として有り難く受け止めて、日々精進いたしましょう。  



2019/4/27掲載

「寮生からのお礼状」 平成十六年五月号

 拝啓 夏本番も近づき、海へ山へ川へと、賑やかな季節になりました。田尻先生にはその後お変わりなくお過ごしのことと存じます。
 さてこの度は私達寮生の為に、キビナゴ、太刀魚、イカ、鶏胸身、無頭エビを戴きまして感謝の念に堪えません。心よりお礼申し上げます。先生の真心を無駄にしないように心に刻みます。人の真心はお金では買うことのできないものがあると思います。
 私達寮生の中には、家庭の味を知らない者もいます。田尻先生のお蔭で、少しでも家庭の味に触れることが出来たと考えます。私達も大人としての自覚を持って、一歩ずつではありますが前向きに進んでいきたいと考えています。
 また、先生のお手紙の中に、「体は命の働き場」と書かれてありました。その通りだと痛感しています。
 私達は人の意見に今迄耳を貸さず、自分勝手に生きてきた気がします。人は生きているのではなく、生かされているということを忘れず、自分を産んでくれた両親のこと、兄弟姉妹のことをいつも頭に入れて、一日一回は自分を振り返る時間を五分でもいいから持ちたいと考えています。
 最後になりますが、田尻先生に寮生を代表しまして感謝の手紙とさせて戴きます。
 田尻先生にはこれからも寮生をいろいろな角度から大きな心で見て戴きますようにお願い申し上げます。
 簡単ではありますが、これでペンを置きます。気候不順の折、お身体には十分ご自愛下さい。




2019/3/31 掲載

「社会の役に立つ人間になれ〜夫から子へ、子から孫へ」 平成十七年四月号

 寮生の皆さん、お元気ですか。「春」とは「木の芽張る」の「張る」が語源との説を読みましたが、新芽が伸び、輝き始めましたね。
 四月は入学の日。先日地元の中学校の入学式に参列しました。新入生たちも希望一杯の新芽です。保護者達はもとより、地域で活躍する人々も大勢参加し、新入生達に門出を祝福しました。子供達はこうして、学校で学び、また社会の中でも、多くの人々に守られ、支えられて成長してゆくのですね。もちろん私も、こうして育てられたのです。だから今、社会の先人達への恩返しだと、卒業式や入学式等々で子供達を心から祝い励ましています。
 ところで私事ながら孫が大学合格を果たしました。高校当時、重い病気で挫折し、苦悩していましたが、健康を取り戻し、一年発起いたしての快挙。それも「おじいちゃんが学んだ大学」を目指しての努力が叶い、悦びもひとしおでした。
「入学式で、大学の学長の『社会に役立つ人間になれ』の言葉に感動したよ」と、孫からの入学式の報告の電話でした。「刻苦光明」とは、『努力する上に努力するなら、結果は必ず光輝く』という意味。病気を克服し、努力した孫に、心からおめでとうと申しました。
 と同時に、長男の大学入試当時の記憶が甦ったのです。私共は、終戦後の混乱した貧しい日本社会で、昼夜の別なく働き通して子供達を育てました。大学受験が迫った長男を仕事の手伝いに追いまくり、人並みに学習塾へ学ばせることは、及びもつかぬ有様でした。
 いよいよ受験日が近づいたある日、主人が、
「大学で何を学ぶのか。」と長男に尋ねました。長男は、
「お父さんのように、貧乏社会の経営に苦労しているばかりでは情けない。僕は大学で学び、自分の趣味、特技を生かして、少しは楽しく生きてゆきたい。」と答えました。
 日頃から子供を叱ったことのない主人が、突然長男の顔面を激しく打ちました。
「お父さんはな、好きで苦労してこの会社を経営しているのではない。自分の趣味や、好きなことで暮らしたいとは誰しも思うだろう。お父さんは、社会の為に働いているのだ。」と。
 私もこんな厳しい主人の言葉に驚きました。そして私は、
「こんな貧乏暮らしで、何が『社会の役に立つ働き』なのか。」と内心主人に反発を感じました。しかし、したたかに打ち据えられた長男は、この時の「父の言葉」をしっかりと受け止めていたのです。その後三人の子供に恵まれ、長男も「父」となり、やがて子供達がそれぞれの大学で学び始めた時、三人の子供を前に語ったことは、
「俺は、大学受験の時、貧乏で、あくせく汗を流して働く父を詰った。しかし『「金儲け して楽をするために働いているのではない』と父に言われ、以来、父を大変尊敬している。お前たちのおじいちゃんは、そんな人だ。」と。
 孫達三人は、素直に頷いていました。
 一番の愚か者は、私だったと気づきました。貧乏暮らしに愚痴ばかりこぼしていたのは私でしたから。人を傷つけず、共に働く人々と苦楽を分け合い、支え合い、そして、少しでも豊かに暮らしてゆける社会、人々が安心して暮らせる社会に発展させてゆく為に努力する、それが主人の理念だったのです。自分の欲とか贅沢等、眼中になかった主人でした。
 孫に、長男に教えられた四月。よもや六十余年を経て、孫が同じ大学で学ぶとは・・・。 主人の心中、さぞやの喜びであろう、幸せであろうと思います。合理主義で、骨を折らず、最小の努力で効果を出すのが評価される現代社会の中、昔も今も変わりなく『社会の役に立つ人になれ』と訓示する大学に、孫もしっかり学んでほしいと願います。
 皆さんも、一人一人が大切な、たった一度の自分の人生です。歩みはのろくてもいい。つまづいて失敗してもいい。諦めず、自分で自分を励まして努力すればいい・・・そうすれば、「刻苦光明」、必ず希望の光明が輝くと信じます。 四月、皆さんもそれぞれの目標で、自分の入学式で、スタートしましょう。




2019/2/28 掲載

「弱点を克服する目標を立てる」 平成十九年三月号

 春の日差しは明るくてやさしいですね。桜の蕾も膨らみます。
「小さきは 小さきままに 花もちぬ」
 伝教大師が詠まれたように、名も知らぬ雑草のピンクや黄色の花が、互いに語り合うように咲いています。
 この小さい花達は、どうしてこんなに美しいのでしょう。きっと雑念も邪念もなく、ひとすじの気持ちで咲いているからでしょう。
「私はね、今朝もしわやしみだらけの老顔に、ペタペタと化粧したのだけれど、逆立ちしてもあなた達の美しさには勝てませんよ。せめて自らの心を磨くことに励みましょう。と、庭の小さい花達に語りかけた今朝のひとときです。
 一年間は短い。特に老いてくると一段と感じます。
 私と同年輩の人達は、それぞれの人生経験の中から、会話にも含蓄があり、判断力もあり、落ち着いた暮らしぶりに感服します。
 私は相も変わらず、一年中「忙しい、せわしい」と駆け回るだけで老いてきました。病の為に事務所に顔も出せない主人に一日の報告をしますと、必ず何か一つ二つの仕事上のミスを指摘されます。
「注意力がなく慌て者」これは、子供の頃から母達に叱られていた私の性分ですが、この老年になっても、まだその性分を直せないのです。
 春は入学・進学の季節です。もう一度小学校に入学したつもりで「落ち着いて、物事をよく考える事」と目標を立て、「注意力がない、慌て者」の性分を少しでも改善するよう努力することと、自分に言い聞かせました。
 皆さんも、何か一つ自分の弱点を見つけ出したら、それを克服する目標を立ててみませんか。一緒に励んでゆきましょう。
 これまでも、いや、これからも私の注意力の散漫が、どれ程仕事面で相手様に迷惑をかけてきたことでしょう。何時も優しく許して下さる相手様の思いやりに、「有難うございます。」と手を合わせますが、相手様は大変迷惑なことなのです。「おかげさまです。」だけでは許されぬことなのです。しっかりと心して働かねばと、気を引き締める私の入学の春です。
 皆さんも、社会の一員として多くの社会の人々に支えられています。寝食を共にして皆さんを指導される寮の先生方、毎日の食事を整えて下さる調理の先生のご苦労に、「ありがとう」の感謝の気持ちを忘れずにお励み下さい。
 



2019/1/29 掲載

「人生七転八起」 平成十七年二月号

 寮生の皆さんお元気ですか。
 寒い寒いと首を縮めていますが、南向きの山裾では、梅も椿も満開です。つい最近まで、元気ないたずら坊主の中学生達だと思っていましたのに、朝夕の挨拶も優しくなり、「高校入試です」と語る表情もきりっとしています。学生達にとっては、高校でも、大学でも、大変な試練ですね。でも、たとえ受験に失敗しても、それで人生は終わりではなく、彼らに、「人生七転八起よ」と声援を送ります。
 私は簡単に「七転八起」と励ましますが、転んで起き上がる為には、心棒が正しく座っていなければ起き上がれないのよと言い添えます。「だるまさん」も、重心が右か左かに傾いていれば、真直ぐには起き上がれないのです。受験にしろ、社会人としての仕事にしろ、その失敗挫折でいくら周りの人が心配してくれても、自分自身の心棒を正しく中心に据えておかねば起き上がれない。やはり日頃からコツコツと自分の心棒を正しく整える努力を続けなければならぬのです。学んでゆかねばならぬのです。絶望感・焦燥感に打ちのめされ、自分の無力感を体験する。悔しいと涙する。これが貴重な体験・教えです。
 皆さんも社会の中で、厳しい世相で、辛いこと・不満等も多いでしょう。しかしそれは、決して自分一人の試練ではないのですよ。誰しも失敗しつつ、耐えて一生懸命に生きているのです。行き詰ったら一人で考え込まず、寮の先生方に教えを受けて、学んで、自分の心棒を立て直しましょう。甘え、怒り、貧りで自分の大切な人生を失わぬよう、自分に厳しく励んで、正しい心棒で起き上がりましょう。
 七十三歳になった私ですが、まだまだ恥ずかしい程に失敗し、つまづく毎日です。皆さんと一緒に日々学ばせて戴き、自らを律してゆかねばと思います。頑張りましょう。
 調理の先生が、寒い朝一生懸命に作って下さる食事で、元気に、健康に励み、一日を大切に暮らして参りましょう。
 



2018/12/26 掲載

「少年老い易く・・・」 平成十七年一月号

 寮生の皆さんお元気ですか。さすがに寒いですね。
 まだ皆さんに御年賀も申していませんでした。すみません。
 新しい年を迎えることは誠におめでたいもので、何歳になっても心改まります。皆さんはまだまだこれからが本物で、人生の第一歩だと、希望一杯のお正月だったことと思います。中越地震災害でお苦しみの人々、スマトラ津波被害で悲しんでいらっしゃる人々、そんな多くの人々のご苦悩に心を痛めながら、ささやかでも当たり前の正月を迎えられたことに、唯有り難く感謝しました。
 さてさて昨年は、公私共に多忙な毎日でした。特に師走はてんてこ舞いの有様で、どうにか仕事を終了したものの、元旦に目が覚めると、右腕が激痛で動かせなくなっていました。数年前までは、これしきの労作業は、男の人に負けてはならじと、平気で働いていましたのに、「アッ、体が老いたのだ!」と愕然としました。包丁も握れぬ痛さで、どうにか雑煮を作り、正月らしき膳を整え終えたとき、不意に亡母が晩年よく言っていた言葉が浮かびました。それは、「少年老い易く、学成り難し」という言葉です。
 当時は何気なく聞き流していました私。亡母の死後三十余年、やっとその言葉が、ずしりと身に染みたのです。老いた体になってやっと解った言葉です。「まだまだ来年もあるさ」とか、「「何とかなるよ」と、仕事もマンネリ化しての長い歳月。しかし、確実に身も心も老いていたのです。何と愚かなことでしょう。唯、この老いてきた年にならねば解らぬ人間の世界があることも教えられました。これまでの何度とない失敗や、惰性で生きてきた私に、天国から亡き母が戒めの言葉を与えられていたのですね。
「理性を失うときに老いは来る。」確かに最近は、いくら、努力してもこれしきの人生等と横着になりがちでした。腕の激痛は、身に染みて私を叱り付けてくれたのですね。老いは老いなりに、歩んできた自分の人生に責任があり、枯れ果てる迄一生懸命に前進せねばならぬと・・・。そして、毎日決して昨日と同じ日ではないのだと・・・。
「日々新面目あるべし」の教えの通り、一日に半歩でも歩んで学び、発見して喜び、努力いたさねばと、我が身と心を叩いた元旦の朝でした。
 皆さんも、今の若さで、今の元気で、一日一日を励んでください。また、寮の先生方、調理の先生のお蔭で暮らしてゆけることに、深く感謝してください。




2018/11/27 掲載

「十年一事」平成十六年十二月号

 寮生の皆さん、お元気ですか。やがて一年も終わりますね。皆さんにはどんな一年だったでしょうか。
 今年は天変地異が多く、特に新潟地方の大地震は、他人事ではないと、その悲惨に胸が痛みました。営々と働き続けて築き上げた家が、仕事場が、そして家族の暮らしが、瞬時に崩壊された家族の辛さ、無念さは、計り知れません。
 天地・自然の威力の前には、人間は何と非力であろうかと天を恨む思いでしたが、やはり「人間」は強い。
多くの人が救いの手を差し伸べて被災者を励まし、被災者もまた、苦難に耐えつつ希望を失わず、再建に努力される姿、折々の笑顔をテレビで見ながら、「頑張って下さい。」と手を合わせます。これほどの災害に打ちのめされながらも、新潟の人々はめげることなく、力強く新しい人生を切り開かんと努力されるのも、常日頃から大自然の恩恵の中で生かされている命だと、天地の恩を真摯に受け止めて暮らしていらっしゃるからだと思うのです。
 ところで、私は一年を振り返り、日々の多忙に追われ、愚痴や不平ばかりであったなと反省します。職場は同じ目的に向かって皆と力を合わせ、心を一つにして個々の責務に励んでゆかねばなりません。与えられた二十四時間を大切に生かし、考えて、精一杯自らを生かす工夫、努力せねばと強く思いました。先ず、日々、自らの心を整えること、これが私の大事な努力目標です。
「十年一事」と言われるように、自らに決めたことは、たとえどんな些細な目標であろうとも、続ける努力をすることです。
 皆さんも、一年を振り返り、それぞれの思いやこれからの目標もありましょう。「過去はもうすでに、棄てられたり」です。
「過ぎ去れるを追うことなかれ」
「今まさに、今日作(な)すべきことを、熱心に作せ」の言葉の如く、思い立ったが吉日です。災害で無一物になった新潟の人々の気力、勇気に学びましょう。「十年一事」です。お互いにコツコツと励み合って、自分の目標達成に汗を流しましょう。私も、この一年間、常にこの寮生の皆さん達に元気を与えられましたことに感謝します。ご指導して下さる寮の先生方、調理の先生の一年間のご苦労に、深く感謝いたしましょう。



2018/10/27 掲載

「過去と他人は変えられぬ」 平成十六年十一月号

 日暮れも早くなり、冷え込んできましたね。
 先日地元の中学校の文化祭に招待されて参観しました。山間部の小さな中学校で、全校生が五十名。先生も生徒も父母も、総出で昼食の豚汁やおにぎり作りで、大家族のような、温かい、中学校の文化祭でした。
 夏の頃、一人の女子中学生が、社会科の自主学習として「保護司の役目と活動」について教えを受けに来ました。将来、社会の為にボランティアをやりたいとの希望を持った女子中学生でした。何度も一緒に勉強を重ね、学校で発表したところ、生徒達が、
「田尻さんの保護司の活動の半生」を劇化しようと決議したそうです。
再び生徒達と共に勉強にやってきて、私も中学生の熱意に驚いてしまいましたが、私の三十余年間の劇を作り上げたのです。
 これ迄私は、ずい分と失敗を重ねながらも、諸先生方の指導を戴いて悲喜こもごも、担当する青少年達と共に歩み続けましたが、ボランティア活動を目指して、中学時代から「更生保護」に目を向けて学ぶ生徒さんに感銘を受け、最近疲れ気味で落ち込んでいた私は、新しい息吹を与えられた文化祭の一日でした。
「誰も皆、等しい命だ。だからこそ、自分の命を大切に生きるのよ。」努力努力と語り合いながら、私こそ青少年達から教えられてきた日々を懐かしく思い出し、劇を見ながら胸が熱くなって、涙が出てしまいました。
 「過去と他人は変えられぬ」と言いますように、罪や過ち、また失敗した過去は変えられるものではなく、また、他人様も我が意の如く変えられないのです。
過去の失敗・過ちを教訓に、今からでもいい、自分で自分を変えてゆかねばならないのです。  こんな、偉そうなことを書いている私も、これ迄どれほどの過ちを重ねてきたでしょうか。つい先日も大きな大きな過ちを犯してしまいました。大切な九州大会の会議の日程を、完全に間違えていたのです。
 出発の為に長時間バスの中で待たされた他の先生方は、さぞさぞお疲れになり、不快な思いをされたことでしょう。しかし、先生方は、不平も仰らず、叱責の声もなく、笑顔で迎えて下さいました。人を許す大きな広い心を持たれた先生方に支えられ、救われた私でした。連絡の通知書をしっかり確認せず、日程を記入した十一月の活動表は、反省と戒めの為、生涯残しておかねばと思います。
「多忙」とは、心を亡くすことです。いかにせわしい時でも、平静に物事を処するように心がけねばと反省しています。
「過去と他人は変えられぬ」を噛みしめています。過去の失敗を改める為には、先ず自分を変えてゆかねばなりません。そして、他人様に正直に、素直に接してゆくことが、大切なことだと思います。  



2018/10/01 掲載

「障害を乗り越え、あるがままの自分を生きる」 平成十七年十月号

 寮生の皆さんお元気ですか。何とも清清しい秋ですね。
先頃、業務多忙で、帰路についた時は夜風がひやり。妙に外が明るいなと思ったら、目の前に迫るように、まん丸の大きなお月様が、山の端から静かに上り下界を照らしていらっしゃる。思わず手を合わせて拝みました。月も太陽も、雨風と天地自然は、何時如何なる時も、私たちの生命に恩恵を降り注いでくれるのだ、有難うございますと、疲れも吹っ飛んでの帰り道でした。
 十月四日、寮生の濱水聖市さんのお便りで、濱水さんが、両眼の網膜剥離の手術治療を受けられたとのこと。さぞさぞ辛く、心細い思いだったことでしょう。健康時には、両手、両足、目も耳もその働きが当たり前と、不自由なく暮らしていますが、もし失明したら美しい月を眺めることはできない。花も鳥も、人々の笑顔も・・・。私は何も見えない真っ暗な闇の世界で生きてゆけるのだろうか、気が狂ってしまうのではないかと思いました。
 でも、世の中には、全盲ながらしっかりと自分の人生に感謝して生きているお人も、たくさんいらっしゃるのです。常々私が人生のお手本としているお二人のお話をいたしましょう。
 一人は、数年前、全国盲学校弁論大会で優勝した、九州代表の井上美由紀さん。その弁論の要旨は、こうです。
「私は、生まれた時の体重が五百グラムしかありませんでした。五本の指はまるで爪楊枝のよう、頭の大きさは卵ぐらいだったそうで、医者より未熟児網膜症と診断され、将来、物を形としてみることが出来ないと告げられたお母さんは、我が子の不幸に、悲しくて、拭いても拭いても涙が溢れて、どうして家に帰り着いたか解らなかったそうです。
 でもお母さんは、「光」を失った私を一生懸命育ててくれました。「人に思いやりを持つこと」「何事もやろうと思ったら、出来るまで頑張ること」「礼儀作法はキチンと守ること」をしっかりと教えてくれました。
 私は目が見えないので、たくさんのことは出来ないが、でも、努力することは出来ます。今度は母に喜びの涙を流してもらいたいと思います。それは拭いても拭いてもあふれ出てくる悦びと幸せの涙です。それは、私が夢・目的を実現した時に叶うでしょう。」
 『母の涙』と題した弁論の一部です。美由紀さんの度重なる不幸は、お父さんが、美由紀さんの生まれる前に病死され、お父さんの声も聞けず、会うことも出来なかったことです。その不幸をバネにして、お母さんに、あふれ出る悦びの涙をプレゼントする為に、ひたすら努力する芯の強い美由紀さんの心は、ダイヤモンドより輝いていると感銘を受けます。
 もう一人は、テノール歌手の新垣勉さんです。皆さんは新垣さんの「さとうきびの歌」を聞かれたことはありませんか。彼は、生まれる時、お産婆さんの手違いから、薬品が目に入り失明したのです。ラテン系アメリカ軍人の父親と、日本人の母親との間に生まれたものの、両親から見捨てられて、祖母に育てられ、非常に貧しい生活でした。
 盲学校で音楽に触れて、歌を学ばれたのですが、これまでの想像を絶する苦難にもめげず、常に明るく、ひたむきな努力の日々の新垣さんの言葉です。
「私達は生身の人間ですから、どうしても利害、打算、損得、そういう世界に生きてしまいがちです。人と比べて生きる、人を気にして生きる、しかし、そんな事は全く比べる必要はない。比べようとするから、妬みとか嫉妬とか、いろいろ起こってくるのです。自分はあるがままの自分でいいのだ。自分は自分でしかない。それをしっかり持っていれば、どんなことも乗り越えていけるんじゃないでしょうか。」
 自分はありのままの自分でいいのだ。あるがままの自分を受け入れることが大切だと仰います。
 新垣さんを捨てた父は、現在行方不明。その父を恨むことなく、
「父に素晴らしい美声をもらって感謝している。叶うことなら、その父の前で、精一杯歌いたいと、夢を持っています。人生には、無駄なものは何一つありません。」と、淡々と言われます。
井上美由紀さんも新垣勉さんも、共に我が身の逆境を恨むことなく、それどころか、親に感謝し、世の中で唯一人の自分の人生をひたむきに歩み、生きていらっしゃる。
 寮生の皆さん、逆境とか不幸とは何でしょうか。もし不幸だ、辛い、と落ち込んだ時は、それを自分の試練とし、貴重な人生の肥やし、養分として努力し、考え、学びつつ頑張りましょう。
今日はこの二人の全盲の御人の話を書かせて戴きました。寮生の皆さんも、それぞれの人生を、互いに助け合い、励まし合って生きる努力をいたしましょう。解らないことがあった時、弱気になった時は、寮の先生に教えを戴きましょう。先生方は、皆さんの成長が何よりの喜びなのです。




2018/08/28 掲載

「積善の家に余慶あり」 平成十六年九月号

 先日はすさまじい台風でしたが、自営会の被害はどうであろうかと案じていました。
 皆さん達は、台風後の片付け作業に精を出していらっしゃるようで、何よりのことと安心いたしました。当方も屋根瓦が飛んだり、工場の壁が故障したりと、修理・修復にてんやわんやの中、草蔭から虫達の美しい合唱が響き、心癒され、作業も捗るのです。荒れ狂った台風の後にも、大自然の神のはからいは、私達にこんなやさしいご配慮を下さるのだとうれしくなりました。
 ところで、今朝(九月八日)の熊日新聞で、「九州初の女性市長」に当選された中尾郁子さん(六十九歳)の記事が目に止まりました。長崎県五島市長になられたのです。中尾郁子さんの父上は、「故・久保勘一・元長崎県知事」であり、中尾郁子さんは、「父上」を一番尊敬する人物だと申されます。
 私はこの記事で、「積善の家に余慶あり」ということわざを思い出しました。先祖の善行のお蔭が子孫に及ぶことを「余慶」と言います。長崎県民の幸を願い、私心・私欲を捨て、身を粉にして県政に尽くされた父上の心根、その生き方を、娘として、中尾郁子さんも一生懸命に学び、精進されたのだと思います。まさに父上の余慶があるのです。
 さて、私も、今からでいい、子や孫により善きものを残せないかと考えます。何の取り柄もない身一つの私には、人様の立派な生き方に学ぶことであり、それでも充分に身を修めることは出来ません。目先の見かけやら傍目に惑わされず、我欲で人を傷つけず、相手に思いやりを持ち、支えあって一日一日を励んでゆく、それが精一杯です。
 台風一過、彼岸の一日、澄んだ秋空のような心に返り、今命あるのは、ご先祖様のお蔭。この身、この命が神仏に生かされていることに悦びを深くして、ひたすらに正直に生きること、それがそのまま子孫や後継者への最高の贈り物になる・・・それが「余慶」ではないか・・・。同じ女性として、中尾郁子さんの市長としてのご活躍とご健康を念じながら、私は勇気づけられ、学ばされた熊日新聞記事でした。
 皆さん、「灰」になるその日迄、人として学んでゆかねばならないのですね。お互い頑張りましょう。
 



2018/07/30 掲載

「健康という宝物」 平成十七年八月号

 今年は格別に暑い夏でしたが、夕暮れには虫の音と共に、涼風が夏バテの体に息を吹き返してくれますね。
 ところで、人生とは誠に予期せぬ事態に遭遇するもので、八十一歳といえども、元気に働いていた主人が、七月末脳梗塞で倒れたのです。わが社の製氷工場・冷凍関係の仕事が一年中で最も多忙を極める夏場に、大黒柱が倒れた打撃は大きく、おろおろしてしまいました。
 すべての業務が私にのしかかり、これ迄如何に怠慢であったか、私の日頃の心構えの至らなさを嫌という程思い知らされました。大小を問わず、業務を学ぶことなく、すべてを主人に委ね、呑気に使い走りをするだけの私でした。
 医師・看護関係の方々の熱心な手当で快方に向かい、リハビリに取り組みました主人は、私の毎日の作業報告を心待ちにして、少々不自由な会話ながら、業務の進め方、工場の機械調整に至るまで気遣い、指示してくれます。私もこれまでの不心得を心の中で詫びながら、夜遅く迄一生懸命です。
 ふと気が付けば、八月のお盆です。心急いで寺参り。先祖の位牌に手を合わせ、 「お舅さんお姑さんの大切な息子さんが病に倒れました。申しわけありません。でも精一杯に支えます。ご安心下さい。どうか私達を見守って下さいませ。」と報告いたしました。
 寺を辞す時は、今迄の重苦しかった心中が、幾分か明るくなった思いでした。
 皆さん、日々の暮らしの中、何時、如何なる時に災害・事故に出会うやら解らないのが人生です。災害・事故は、不運な事かもしれないが、決して不幸ではないと考えます。災いも、生きていればこその人生の道程での出来事の一つでしょう。
「人生は、生老病死」これは当たり前の事。唯、どんな事態に遭遇しても、心の持ち方が大切。日頃の怠慢さが、自らを失う程に、また、痛恨の日々にと追い込んでしまうのです。こんな不甲斐ない私に、ご先祖様がお盆の日に、
「怠りなくあきらめず、ひるまず、励めよ」と、戒めを下さったのだと思いました。
「父母のみの魂は、我に生きており」と、しみじみとありがたく、改めて先祖から戴いたこの命・この人生を、一生懸命精進してゆかねばと心を新たにするのが「盆供養」であり、先祖への恩返しだろうと思いました。
 皆さん、一番の宝物は「健康」です。身も心も健康で暮らせることが、最高の幸せです。何事にも諦めず、コツコツと励みましょう。
 皆さんの体と心の健康を支えて下さる寮の先生方、そして、調理の先生への感謝の念を忘れずに。皆で仲良くして下さい。




2018/06/26 掲載

「あいさつの力」 平成十六年七月号

 お元気ですか。
 今年の七月は、大変な暑さですが、新潟地方の水害ニュースを知り、胸がつまりました。暑さぐらいで不平は言えません。直接的には手助けすることは出来ませんが、先ず自分の仕事を一生懸命に果たすことが、新潟の人々を救うことだと考えます。
 七月は、全国一斉に「社会を明るくする運動」が展開されます。天災は逃げられぬものですが、人災、つまり、人が犯す犯罪は、心がけの悪い人達、我欲のみに走る人達が、犯罪を発生させ、社会の人々を不安・恐怖に陥れる、大変な人災でしょう。
 皆が平穏で、和やかな暮らしが出来るよう、犯罪・非行防止の活動に、私共も保護司全員で取り組んでいるのです。もちろん、地域社会の人々の支え・協力があればこその事です。
 当地では毎年、小学校・中学校の生徒さん達が、学習の一環として、社会を明るくする運動」の標語を作ってくれます。全生徒さんの標語を選考しながら、小学生の低学年から中学生迄、素直に自分達が住んでいる所を平和にしようと、郷土愛、友人への思いやりの心に深い感動を受けます。それは、ほとんどの標語が「挨拶」であり、「ありがとう」の言葉です。
 大体似たような作品ですが、小学生の標語を二つ三つ紹介します。
  あいさつで みんなの気持ち あたたまる   二年生
  あいさつを すればするほど いい社会    三年生
  ありがとう その一言で   みな笑顔    四年生
  悪いこと  したらやっぱり ごめんなさい  四年生
  あいさつは 心をつなぐ   愛の手だ    五年生
  ごめんなさい その一言で  仲直り     五年生

 まだたくさんの句がありますが、元気に遊びまわっている小学生達も、しっかりと善悪の判断が出来て、友達と仲良く助け合って学ぶ為にも「あいさつ」が大切なんだと訴えているのですね。
 「ありがとう」「ごめんなさい」「こんにちは」・・・実に短い言葉です。失敗したら「ごめんなさい」、助けられたら「ありがとう」そして、「こんにちは」・・・すべて感謝の言葉ですね。この「あいさつ」の言葉が素直に言えたら、人生は充分だと思います。
 「あいさつの力」は、人間をやさしく育てる、不思議な不思議な魔法の力があるようですね。私も毎年、地域の小学生達の「社明標語」で、心新たな勇気と喜びを戴いています。
 皆さん、素直な童心に返り、素直にあいさつの出来る心を育てて参りましょう。暑さに負けぬよう、体調に気をつけてお励み下さい。




2018/05/25 掲載

「水の如く」 平成十七年六月号

 お元気ですか。
当地名産の玉葱の収穫が終わると、その後は、たっぷりの水を引き入れての水田となり、夕風にちりめんのような波の広がりを眺めていると、安らかな、幸せな心地になります。
 五十四年も前のこと。日本中の男達は、老いも若きも戦場に駆り出され、ほとんどが老婦と子供達だけとなった農家に、私共女学生は、田植えの手伝いを命じられました。現代は、すべて機械作業となった農業も、当時は手作業であり、ましてや私共は、生まれて初めての田植えなのです。田んぼのぬかるみに苦悶し、蛙が素足にはりついて悲鳴を上げ、何とか田植えを完了。農家のおばさんが、お八つに大豆を入れた団子を作って下さった、そのおいしかったこと!戦時中の食糧難で、砂糖も入っていない団子でしたが・・・その味は忘れられません。戦争時のこの貴重な田植え体験以来、一粒の「米」も大切に思うようになりました。
 「米」は、私たちの体・命を保つ主食。「水」は、稲を育てます。また農作物すべての生命の源です。「水田」を眺め、心が安らぐのは、「恵みの水」「命の水」を感じるからだろうと思います。「水」は随意に変化し、障りなく無心に流れ、また、方円の器に従い、その本性は替えません、集まった水が障害物に打ち当たった時のエネルギーの強大さ。それは、水力発電にも利用され、私たちの暮らしを豊かにしてくれます。
「少水の常によく流れて、石に穴を穿つ。」の通り、「水」からこうして多くのことを教えられます。栓をひねれば瞬時に流れ出る「水」に、有り難うと呟きながら、安易に「水」を無駄遣いすれば罰が当たるよと自らに言い聞かせます。
 私達日々の暮らしも、予期せぬ苦難に出会うでしょう。そんな時、「水」の如く強いエネルギーを持って障害や苦難を乗り越える気力や勇気を持たねばなりません。その為には、常日頃からポツンポツンと一滴一滴の水が固い石にも穴を開けるように、毎日をコツコツと地道に、欲を出さず、自分を諌めてゆく努力を重ねてゆかねばなりません。
 六月は梅雨の季節。じめじめした梅雨を不快に思うのは、人間の身勝手。恵みの雨、人生の慈雨と思い、日頃の心を洗い流す大切なチャンスにしましょう。でも、梅雨冷え等には、くれぐれも注意し、健康に心がけてお暮らしください。



2018/05/01 掲載

「亡祖父への恩」 平成十六年五月号

 五月。楠若葉の輝きに圧倒されそうです。子供の日、母の日。木々の芽もぐんぐん伸びる五月は、親から子へと「命」を伝える、まさに「生命」の月ですね。
 常日頃、多忙多忙と落ち着かぬ有様ですが、連休の一日、久方ぶりにお寺に詣でました。たった一人の私の為に、経を読んで下さった和尚様は、先祖の過去帳を開かれて、亡祖父、亡父等々の、私の知り得ない御話を聞かせて下さいました。やっと物心ついた頃の亡祖父は、足腰も立たず、病に伏した姿です。成長して解ったことですが、事業の失敗と長男(私の父)、二男と相次いで死亡し、失意状態の姿であったのです。
 祖父の没後、逃げるように故郷を離れた為、祖父のことはもとより、故郷の暮らし等、全く知らなかった私です。
 「生前の祖父は、非常に正直で、信心深く、情も深く、困っている地域の人々を助け、多くの人達から【仏様】と慕われていた人徳ある人であり、それは【院号】に示されているのです」と、静かに御話をされる和尚様。先祖の人々、特に亡祖父や亡父の生涯に驚き、和尚様に深くお礼を申しました。
 改めて今、ここに座している「私」は、突然「私」として生きているのではない。累々として命を伝えて戴いたご先祖様のお蔭で、「私」という「命」があるのだ。そして、生かされているのだ。今迄幼い頃の記憶のみで「貧しくて夜逃げした家の子」と、狭い了見で暮らしていた私は、誠にご先祖を冒涜する不心得者であったと祖父に詫びました。
 「富」とか「貧」とかは、時の運。外見に囚われての貧相な私の生きざま、心根を、亡祖父が和尚様の声をお借りして、私に人の道を示し、諭してくれたのだと思いました。
 亡祖父没後六十七年の年月が過ぎた日です。有り難い寺詣での一日でした。寺を辞し、見上げた五月の空は、爽やかでした。
 「生かされて 生きるや今日の このいのち」
皆さん、一人一人が尊い命を戴いています。決して粗末に暮らしてはならない。ご先祖様に申しわけない。ご先祖様に恥をかかせてはならぬ。私たちもまた、何時か「先祖」と呼ばれるのですから。
 日々ご指導下さる寮の先生方。毎日おいしい料理を心をこめて作って下さる調理の先生。日々の暮らしは、このような周りの先生方のお蔭なのです。「有難う」の感謝の心を忘れずに・・・。
 辛抱努力を重ねて参りましょう。



2018/03/28 掲載

「学びに、遅すぎることはない」 平成十六年四月号

 陽射しが明るくなりましたね。
 四月は、新入学の児童、また若い人達にとっては「人生のお正月」です。
 先日、私も地元の中学校の入学式に参列いたしました。嬉しそうな、そして緊張した新入生の姿に、私も共に老人生の一年生としてスタートしましょうと、晴れやかな勇気を与えられました。
 と同時に、何時、空爆があるやも知れぬ戦時中、背中には防空頭巾、肩から非常食(炒り大豆等)・傷薬等を入れた救急袋を下げ、参列する父母達も、防空服やもんぺ姿でしたが、やはり嬉しい入学式だったと、懐かしく思い出しました。
 まだ七十余年の人生ながら、国家の政策や変動、文化の発達等で、私達の暮らしは、常に止まることなく、日々歩みを進めてゆかねばなりません。希望一杯の新入生さん達にどうか自らの人生に負けず、七転び八起きの精神で学んでほしいと念じたものです。こうして昔々から、親は子の成長を願い、育みつつ、後世に命を伝承して、今、私達の命として生かされているのですね。
 ところで、少々恥ずかしい話ですが、遅れ馳せながらパソコンを習い始めました。若人に交じりオロオロですが、一緒に机を並べる両隣は、七十五歳、七十八歳の男性、そして、七十二歳の私の三人組です。若い人はどんどん習得してゆきます。一週間に一度、三老人は顔を合わせながら、「物忘れは得意なんですが」と苦笑しつつも、それぞれの目的に向かって、亀の歩みのように頑張っています。
 戦時中は、消しゴム、ノート、鉛筆すら不自由だったのに、このパソコンという機械の素晴らしさに圧倒され、荒廃した戦後から立ち直った人々の不屈の魂、そして、見事な頭脳。日本人とは素晴らしいなと、妙なところで感服しています。
 改めて江戸時代の儒学者、佐藤一斉の教えを新たにします。
 「少にして学べば、壮にして為すあり
  壮にして学べば、老いて衰えず
  老いて学べば、死しても朽ちず」
 本当に、学びに遅すぎることはない。社会人として、生計を立て、働いてゆく為には、学び、努力していくより他はないと、しみじみ教えられています。
 四月は「人生の正月」、皆さんも、自らのこれからの人生の為に、新しい目的に向かって挑戦しませんか。
 何よりも先ず、自分の意思を強く持って!



2018/02/27 掲載

「右手を手術する」 平十七年三月号

 春彼岸、陽射しも明るくなりましたね。
 亡母に手を引かれて寺参りした子供時代、特に亡母の手作りの彼岸だんごを作り、子育てをしてきました。そしてまた、娘が孫達に墓掃除の手伝いをさせ、お寺参り、だんご作りをして、孫達を育てました。
 母から子へ、孫へと、御彼岸の行事は伝えられてゆきます。取り立てての教えはありませんが、それは、先祖への感謝の行為であり、先祖から授けられた各々の生命を大切に生きねばならぬと、言わず語らずに子孫に伝えられて教えられてゆくのです。仏様の前に静かに座して手を合わせる行為は、その瞬間なりとも心・気持ちが安らぐのを覚えます。
 「形は心を表し、心は形をつくる。」と申します。物資があふれた豊かな現代社会ですが、食べ物一つ、ペンの一本にも「有難う」を言える、物を大切にする感謝の心を身につけることが大切なのだと思います。その感謝の気持ちで手を合わせる祈る心が作法であり、私たちの「躾」ともなるのです。
 私達は、物事の善し悪しは充分に解っているのに、ついつい我欲に負け、自分を甘やかし、怠惰になり、言い訳ばかりして自分を誤魔化してしまう。この誤魔化す心を、先ず攻めてゆかねばならない。自分の体・心、すべて周りの人々から支えられ、生かされているのです。その自分の体・心を、正しく、厳しく生きてこそ、世間の人々への恩返しとなるのです。
 ところで、私事ながら、昨年末から激痛に悩まされていた右手をとうとう手術せねばならぬ羽目になりました。永年一生懸命に働いてくれた自慢の右手、どんなに辛い作業もコツコツと仕上げてくれた右手なのに、なぜこんな痛い目にあうのかと、包帯でグルグル巻きにされた手術後の右手を眺め、やりきれぬ思いでした。そして、日常生活の不自由さにイライラしながら、指の一本とて、暮らしてゆく為にはどれ程重要な役目を果たしているのかと思い知りました。しかし、これも神様が与えて下さった右手の休息日だと思い直しました。
 やっとペンが持てるようになった時のうれしさは格別でした。手術をして下さった医師、看護師に深々とお礼を申して、病院を辞しました。まだ充分には使えず、ペンを持っても字が乱れてすみません。
 さてさてこれから何年の命か知る由もありませんが、この右手に再び支えられて、精一杯働いて、世の中に恩返しをしてゆかねばならぬと思います。御彼岸を迎えて、ご先祖様にこの報告をいたし、よく働いてくれる素晴らしい右手をお授け下さったことにお礼を申したことです。不自由な身になって、しみじみと人様から救われているわが生命であることを知り、「有難う」の感謝の心、そして素直な笑顔で人様に「ありがとう」と言えるように、自らを【躾】してゆかねばと思います。
 皆さんも、多くの人々から支えられ、生かされている生命です。大切に、そして、自分に厳しく、正しく励み、それが周りへの恩返しだと精進いたしましょう。
 皆さんの今後が、身も心も健康でありますようにと祈ります。



2018/01/31 掲載

「梅花五福を開く」 平成十六年二月号

 雪が舞った厳冬も緩み、草々も芽を吹き始めましたね。昨年の暮れ、友人から正月用にと貰った松竹梅を、玄関横の石鉢に活けこんでいました。細くて頼りない梅の小枝に、やがて蕾がふくらんで、二月に入り、小枝一杯に白梅の満開となりました。その生命力と梅の花の美しさに、驚きと喜びで、思わず「お前さん、ほんとに強いねえ」と語りかけてしまいました。
 梅花の五弁を五福になぞらえての「梅花開五福」の言葉は、人生五種の幸せで、次の言葉です。
一、 寿命の長いこと
二、 財力の豊かなこと
三、 健康であること
四、 徳を好むこと
五、 天命を全う出来ること
 どれも素晴らしいことばかりです。
ところで、第四の「徳を好むこと」とは、何でしょうか。これは、「徳を積むことを好む」の意味で、「徳」とは、人としてなすべき行為を、目立たぬように、さりげなく、善行を重ねる営みです。
 父母を縁として継承した命を大切に生きること、それはまた、他人に対しても同様でなくてはならず、周りに思いやりを持ち、我欲に負けず、身も心もしっかり調え、一生懸命に生きることだと思うのです。
 親である幹から切り落とされた小枝でも、梅は精一杯に命の花を咲かせたのです。まさに「梅花雪に和して香し」で、梅のひたむきな心が香ります。寒さに不精になり、怠惰に慣れていた私はこの梅に恥じました。私に気力を与え、悦びを与えてくれた梅の花こそ、大きな徳を積んだのだと思いました。そしてまた、「風雪、人を磨く」ことを教えられました。
 寒暖を知る、即ち、辛苦に耐え、強く豊かに生きる心を養う為に、自然界は、こうして私共に偉大な恵みを下さるのですね。吹く風も、雨も、草木一つにも、ずべてに私達は、命を支えられ導かれて生かされているのですね。
 さあ、春ももうすぐです。皆さん、「梅花開五福」は、決して他人のことではありません。少しでも「徳を好む」人となるように、私も皆さんと一緒に励んで参りましょう。




2017/12/28 掲載

「一年の計は元旦にあり」 平成十六年一月号

 一月二十二日は、旧正月です。遅ればせながら旧暦での新年明けましておめでとうございます。
  「一年の計は元旦にあり」「一」というはじめの日。心機一転してのスタートの日。やはり一月一日とは、「心新しい日」ですね。
 昨日「熊本自営会だより」が届きました。皆さんの新年の抱負を読みました。一人一人の皆さんの、これからの人生に向かっての信念、決意を力強く感じ、とても嬉しうございました。と共に、どうか皆さん方の将来に幸多かれと心から念じました。自分ひとりの社会ではない、人と共に暮らしていく社会。社会の中で一つ一つを学びつつ、苦難に怯むことなく精進努力されますように。
 ところで、皆さんは初夢を見ましたか。私は余り初夢とは縁がありませんんが、珍しく今年は、初夢を見ました。昨年は、公私ともにとても多忙で、主婦業も疎かになりがちの日々、年内に果たすべき事務が、整理できぬままで除夜の鐘となりました。
 ぐったりとして寝込んだ夜「初夢」でした。それは、事務整理に追われる私。考えあぐねて計算している私、ヤレヤレ完成だと用紙を見ると、それは白紙です。何度書き直しても白紙。オロオロと脂汗を流してうなされている、何とも情けない初夢。
 家人と雑煮を祝って、昨年の日誌を見ました。確かに一日一日の自分の作務は果たしている日誌です。しかし、仕事の運びや考え方等、ゆきあたりばっかりの計画性のない暮らしだと気づきました。もちろん、少し病で体力が仕事に追いつかない日もありましたが、これは論外。
 皆さんの新年の抱負の如く、二度と過ちを繰り返さず、他に惑わされず、目的、計画をしっかり立てて学ぶべしと痛感しました。初夢は、楽しい夢にせねば・・・。
 この脂汗を流して、うなされた初夢を、私は、一生忘れまじと誓った元旦でした。
 そして、「時 人を待たず。」一月も半分を過ぎましたものね。しかし、慌てず、しっかりと一歩一歩、新年の抱負に向かって前進しましょう。
 急に寒くなりました。風邪をひかぬようにご注意下さい。




2017/11/29 掲載

「日に新たに 日々に新たに」 平成十五年十二月号

 師走。一年の最後の月。それも残り十日の日数に慌てます。ただ、この一年間、大過なく暮らせたことに感謝します。
 皆さんはどんな一年でしたか。遠くの国では、未だに及びもつかぬ争い事が続き、罪なき人々がむざむざ殺されてゆきます。その悲惨な出来事に胸が痛みます。
 これは決して他人事ではありません。異国で、言葉や風習は違っても、「命」は皆等しく、尊いのです。「争い」はすべて、人間の「欲」から発します。誰しも、平凡な日常生活の中で、我欲を制御する努力をして暮らしています。盗みをせずに済んでいることも、人を殺めずにいることも、経済的苦悩があろうとも、自らの欲望と戦いながら努力しているから、お互いの争いがないのであり・・・。
 しかし、欲望を制することは、実に困難で苦痛です。まず、自分の欲望に打ち勝ち、よりよき規制なくしては、人間相互の社会の平安は得られないのです。自分の命が大切なら、人の命もまた大切です。人それぞれに、知力、体力の差こそあれ、それに合った生き方がある筈です。どんな偉い人も貧しい人も、人生は一度しかないのです。周りの人々と共に、自分もまたこの社会で生かされている。ならば、生かされている恩返しをすることです。「たとえ百歳の長寿を全うするとも、怠惰にして、精進ならざれば、堅固なる精進を行ずる者の一日を生くるにも及ばざらん」
の教えがあります。一日、今日一日が新しく大切なのです。
 今年もまた、寒風の中に梅の蕾が膨らみ始めました。新しい花を咲かせようと寒風に耐えています。去年の花とは違う、新しい花が咲くのです。過去の罪は、過去のことです。今からまた新しく生きてゆくのです。自分の命を新しく生かす為、勇気をもって新年を迎えましょう。
 一年間、毎月のお便りを皆様に書いて参りましたのも、寮生の皆様に毎月勇気を戴いたお蔭だと感謝します。有り難い一年間を生かされました。皆さんと共に、半歩でも、一歩でも前進して、新年を迎えましょう。
 毎日ご指導頂いている寮の先生方、毎日おいしい食事を作って下さった調理の先生、そして、ゆっくり寝ることができたお部屋にも感謝しましょう。
 風邪にくれぐれもご注意しましょう。




2017/10/25 掲載

「生かされて今日の命あり」 平成十五年十一月号

 十一月、落ち葉も多くなりました。
 澄んだ夜空の月光に、自分の姿が照らされる思いで、七十二年間の自らの生きざまを振り返ります。楽しい日より、辛い日が多かったけど、今年もまた、美しいお月様を眺めることの有り難さを思います。
私は、人間とは学業成績が優秀で、五体満足であることが立派な人間だと思っていたのですが、四十九年前出産した二男は障がい児でした。私は気が狂いそうで、この子を背負って、何度も海に身を沈めようとしました。過ち、そして愚かな行為です。
 足をすり減らして九州中の病院をたずねましたが、二男の病は原因不明、しかも、十七、八歳までの命だろうとの判断でした。
 私は、妙な気力が出て、どうせ短い命なら、母親として精一杯育ててやろうではないかと思いました。しかし、なかなか困難な子育てでした。家業に追われ、私が倒れこむ有様。
 そんな時、長男、長女が、目も足も不自由な弟の手を引いて学校に通ってくれ、帰宅すれば遠い病院まで自転車に二男を乗せて、長男と長女と交代で治療を受けに連れて行ってくれました。
 学校も休みがちの二男の級友が、必ず学校が帰りに声をかけ遊んでくれました。友達は、みんな優しく、朗らかで、人気者ばかりでした。母として、一人で育てると意気込んでいた私でしたが、こうして先生、友人、兄姉、そして多くの人々のお蔭で、二男は育てられてゆきました。自分の狭い了見に気がつきました。十八歳迄の命は、今、四十九歳の大きな体になった二男。今初めて私は、学業成績で人を差別していた過ちを教えられました。人それぞれに能力の差はあるが、「命はすべて等しく尊いのだ」と気づきました。傲慢な心の私に、神様の愛が、仏の慈悲が、私に障がいの子を産ませ、永い永い歳月をもって、「人の命の尊さ」をお教え下さったのですね。そしてまた、「人は決して一人では生きられぬ。人に生かされて今日の命があるんだよ」と諭してくれる、声なき声がいたします。
 二男は、人並みの難しい仕事は出来ませんが、笑顔で「有難う」と言えるようになりました。ご近所の老人家族や、体の不自由な人達の「ゴミ捨て」を一人で引き受けています。人様のお手伝いが出来る。そして人様から喜んで戴ける。二男のうれしそうです。これ迄多くの人々から戴いた、支えられた御恩返しだよと、二男を励ましながら、私も、皆さんに感謝一杯の毎日です。
 四十九年前、親子心中を思いつめた私は、大罪人でした。
 皆さん、辛い出来事も我が身の為です。転んでも、つまづいても、失敗しても、起き上がり、また起き上がり、半歩、一歩と自分の力で、自分の足を前に出す努力を重ねることが、与えられた命を大切に生きてゆく事なのです。社会の中の一人として、社会の人々から生かされている事を忘れずに。




2017/9/29 掲載

「尊徳の教え」 平成十六年十月号

 お元気ですか。日暮れともなると、冷え込むようになりましたね。先日、所用で訪れた小学校の運動場で、秋日を一杯に受けて生徒達が駆けっこしてました。元気一杯です。
 私共の小学校時代は、校門を入れば何処の小学校にも二宮金次郎の銅像があり、柴を背負って本を読みながらの金次郎の銅像に、生徒は必ず一礼して登下校していました。教室では、「柴刈り 縄綯い 草鞋を作り・・・手本は二宮金次郎」と、大きな声で歌っていたものです。
 二宮金次郎(尊徳)は、江戸時代末期の篤農家・農政家で、子供時代は貧しくて寺子屋にも行けず、本を読みながら薪を取りに行き、武家屋敷から聞こえてくる読書の声を聞いては、暗唱して学んでいました。夜中にも読書をするので、一握りの菜種の種を借りて育て、明かりを点すための灯油を自分で作りました。
 田植えの時期も村を回り、田植えの終わった後の苗が捨てられているのを拾い、丁寧に育て一俵の米を収穫しました。また、初夏に食べた好物の茄子の味が、例年のものと微妙に違っていたことから、その年の飢饉を予測して、事前にその対策を立てて、農民を救ったそうです。
「天 何をかいはんや、四時行はれ 百物を生ず」とあります。「天は黙々として春夏秋冬それぞれの営みをなし、一切の物を生育させて止まない」ということです。
 私は、日頃食べ物に対して深く考えることもなく食べていますが、尊徳は、野菜、魚の一つ一つに感謝し、心して食べていた人なんですね。
 また、次の教えは、
「大事を為さんと欲せば、小なることを怠らず、謹むべし。小積もりて大となればなり。凡そ、精進の常、大なることを怠り、出来難きことを憂いて出来易きことを勧めず、それ故ついに大いなることをなすこと能わず。たとえば、百万石の米といえども、粒の大なるにあらず。万町の田を耕すも、その業は、一鍬ずつの功にあり。千里の道も一歩ずつ歩みて至る。山を為すも一簣(イッキ・土運びの竹カゴ)の上より成ることを明らかにわきまえて、励精。小さなことを勤めば、大いなること、必ず成るべし。小さなることをゆるがせにする者、大いなることは、必ず出来ぬものなり。」
 二宮尊徳は、噛んで含めるように農夫達に説きました。
 今私達は、便利な機器溢れる暮らしをしていますが、この尊徳の教えの内容は、永遠の真理です。
 小学生の元気な姿に接し、私は懐かしい子供時代を想い出し、改めて自らの生きる姿、心がけを反省いたしました。秋の夜長のひとときでした。
 皆さん、ほんの少しでもいい、このように歴史に残る偉人の真似をして学んでゆきたいものですね。この偉人達も、実は普通の人なんです。唯、目標に向かってあきらめず、くじけず努力した人たちなんですね。
 朝夕の冷え込みに風邪をひかぬようご注意ください。寮の先生、調理の先生への感謝を忘れずに、皆で仲良くお過ごし下さい。




2017/8/29 掲載

「老いに学ぶ」 平成十五年九月号

 八月は雨が多かったのに、 九月に入り、入道雲が湧き、汗ばむ日中ですが、白露とともに夕暮れは、虫たちの大合唱。文明機器に囲まれていても、自然界の秩序の中で虫たちと共に生かされている私達なのだと、澄んだ十五夜の月を見上げて思わず拝んでしまいました。
 今、学校は運動会で賑やかです。日頃勉強が苦手な生徒も、大張り切りです。最近物忘れがひどくなり、否応なしに老いを知る私ですが、やはり運動会で駆け回った子供時代もあったのだと懐かしみます。
 スポーツが得意だったのに、すでに鬼籍に入った友。予期せぬ病で半身不随になった友等々も多くいて・・・。しかし私は、こうして老いの道を歩ませていただいている。「光陰矢の如し」だと思います。そして慌てます。
 若い頃は、人様の意見を聞き捨てて傲慢に過ごし、苦手な問題は、一日延ばしだと怠惰に暮らし、季節にたとえれば、夏から秋、そして冬に入る年齢になり、ようやく気づく私です。せめて若い人達に迷惑はかけてはならぬと心がけるのが精一杯。まさに「後悔先に立たず」です。
 皆さんはまだ若い。わたしのように慌てぬよう、一日一日を大切に、一生懸命努力して下さい。失敗しても、知恵を出し、精を出して生き抜いた老人たちは、人生の師だと思います。
「亀の甲より年の劫」と申しますように・・・。皆さんも機会をとらえて老人方の昔話を聞いてみませんか。
 子供達の運動会、そして敬老の日。九月はまさに、人としての生きる術を教えられる、いい月なんですね。




2017/7/31 掲載

「心田を耕す」 平成十五年八月号

 今年の夏は不穏な天候が続きますね。
 人智を尽くし、道路や橋を架け、建造物を造る私達の営みも、大自然の威力には太刀打ち出来ぬ。人間の非力さを思い知らされるばかりです。
 暴風雨で流された田畑を、農家の人達は気力を奮って固くなった土を耕すのに一生懸命の日々です。荒れた、固い田畑では、いくら良い種を蒔いても育たないからです。
 私達の心も同じです。常に心を柔らかくもみほぐしていなければ、ひとの心もひねくれ、意地悪人間に育ってしまいます。幾度自然災害に荒らされようとも、壊れた畦、石垣を築き直し、鍬をふるって田畑を耕す農業家達。楽しようと機械力に頼り、化学肥料ばかり使用していては、土が荒廃してしまう。大切なことは、自然の水の流れを利用し、知恵を出し、一つ一つの意思を積み上げ、太陽の光、風の中で田畑の土壌改良に努力せねば、立派な作物は育たないと申します。
 私は思いました。人の心も田畑と同じだ。「心田を耕す」・・・私達の心も毎日毎日固くならぬよう、荒廃せぬよう「心田を耕す」ことに励まねばならないのだと。
 心を耕す鍬は、知恵。欲望や悪行を制するのは、草取り作業。隣の田畑をも手伝う優しさは、慈悲。これ等「心田を耕す」為の大切な農具を忘れずに、常に心を柔軟にし、やわらかな心の中で、人としての正直な、最良の種が育つように精進しいたさねばならない。
 此度の風雨災害で教えられたのが、「心田を耕す」ということでした。
 皆さん、よき農夫となり、自らの心を耕して参りましょう。




2017/6/30 掲載

「墓に布団は着せられぬ」 平成十五年七月号

 七月。子どもの頃、七夕祭にワクワクしながら短冊に願い事を書いたものですが、一体何を書いたのやら、今はもうすっかり忘れてしまいました。皆さんはどんな願い事を書きましたか。
 七月十六日は、エンマさんの大祭日。お寺に行くと、大きなエンマさんの怖い顔に驚きながら、「うそをつくと、エンマさんに舌を抜かれるよ」と大人達に言い聞かされ、真剣に「うそは言いません」とエンマさんに誓った子供時代でした。  でも成長するにつれ、悪時恵ばかり身について、自分の失敗も、親や先生達に叱られまいと嘘をついてごまかしたことも何度やら。舌が何枚あっても足りない位の悪賢いうそつきだと、エンマさんに詫びています。
 親達も、学校の先生達もそれはちゃんと見抜きながらも、優しく育んで、人の道を教えて下さった。でも今は、親も先生方も天国に旅立たれ、これこそ恩返しも出来ぬ侭の無念さです。本当に、「墓に布団は着せられぬ」の心境です。日頃は、多忙、多忙とせわしなく駆け回っていますが、七月のお盆だけは、心静かに亡き人々を想い、生前受けた御恩に深く感謝いたします。
 貧しくとも笑顔で働き続けた人、決して人の悪口を言わなかった人、物を粗末にしなかった人、整理整頓が上手だった人、辛抱強かった人・・・。まだまだ沢山の人達から一つ一つ人の道を学び、私は生かされてきたのだと、夜空に手を合わせ、亡き人々に「ありがとうございました。」と申します。
 お盆は、まさに亡き人々への「報恩感謝」の日です。
盆供養とは即ち、自分を見詰め直す大切な行事の日なのだと私は思います。



2017/5/30 掲載

「今日に【ありがとう】」 平成十六年六月号

 六月は、一年の半ばに当たる月ですね。
 六月二十日は、【父の日】です。皆さんのお父様は、御元気でしょうか。【父なくば生ぜず、母なくば育たず。】それぞれの生まれ育ちの境遇こそ違っても、一人一人の命は、皆等しく尊いのです。
 心身の故障は病気。機能の衰えは老化。機能の停止は死。しかし、それは肉体のことであり、命は不老不滅。不幸にして、死と決別しても、父の思い出は残り、父の命は、子の命の中に生きています。【体】は、命の働き場です。だからこそ、日々を一生懸命に生きねばなりません。自他の不注意や我欲の無自覚によって毀損する行為は、この上なき罪過を犯すことになり、父から受け継いだ命をむざむざと無駄に生きることであり、これこそ、恩知らずの親不孝者です。
 さて、六月は、梅雨の季節。水田に梅雨の雨水をたっぷりと張り、田植えが始まりました。私達の大切な食糧となる【米】も、昔から受け継がれた稲の種を芽生えさせ、稲作が続けられています。じめじめの梅雨も、稲の生長には大切な雨であり、風、日の光と、自然界の恵みでおいしいお米が出来上がる。
 私達は、決して自分一人で命を支えているのではない。自然界の恩恵を受け、また、成長と共に学校では、先生に友達に多くの教えや友情を受けながら、社会の中の一人として育てられてゆくのです。
 六月はまた、一年の折り返しの月ですが、一年の暮らしには、一月の初めがあり、十二月の終わりがあり、マラソンにもスタートがあり、ゴールがある。でも、私達の人生には、スタートも不明、ゴールも不明です。
 自分の折り返し点をどこに定めるのか、皆さんは考えたことがありますか。
 私も七十歳を過ぎて、まさか今から折り返し点など考えられず、ウカウカと七十余年を生きてきたことに愕然とします。今日から毎日が【折り返し】と思い、毎日が【ゴール】と思い、精一杯生きてゆかねばと反省しました。
 そして、毎夜、一日に【ゴール】する時、【一日をありがとう】と素直に言えるよう、心して働いてゆかねばならぬと思います。
 皆さん、毎日が自分に与えられた学びの日です。うれしい事があれば【ありがとう】と感謝し、辛い出来事があれば、自分を強くする試練と思い、【ありがとう】と言いながら努力しましょう。




2017/04/27 掲載

「ツバメの巣作りに学ぶ」 平成十五年五月号

 五月。子供の日、そして母の日もある・・・五月は、生命の輝きの月だと感じます。  皆さんのお母さん方はお元気でしょうか。子供の頃、お母さんに褒められたことはありますか。また叱られたのはどんな時でしたか。
 さまざまの事情で、お母さんと離別した方がいらっしゃるでしょう。またすでに他界されたお母さんもいらっしゃるかも知れません。でも、お母さんの御蔭で、私達はこの世に命を授けられました。幸せとか不幸せは、時の運、またそれぞれの考え方。戴いたこの自分の一つきりの命を決して粗末に生きてはならぬと、五月になれば母を偲び、思いを新たにいたします。
 私も、七十歳を過ぎれば少しは楽な暮らしが出来るだろうと、呑気な甘え心で働いていましたが、そうは問屋が卸さないとは本当で、社会の変動で、仕事も益々厳しくなり、また、社会面での活動分野に於いても、若い世代との意識の相違等々、我が意の儘にならぬことが多く、不平不満の状態に追い込まれては、疲れ果てる有様。
 先頃、放心状態で戸外に突っ立っていましたら、頭上がやたら賑やかな様子。見上げると、事務所の庇の下に、ツバメが巣作りをしているのです。数年前に何度も巣作りを失敗し、ツバメもすっかり諦めたのだろうと思っていたのですが、今年も再び挑戦しています。
「ツバメさん、今年も駄目じゃないの。」
と内心軽軽しく考えていたのですが、今日で五日目。巣が完成したのです。古い巣の上に黒々とした土を積み上げて、白黒の、実にモダンなツバメの巣。夫婦ツバメでしょうか、交互に枯れ草を咥えてきて、最後の仕上げをしています。
 「あっ!私もこのツバメ達と同じ空気を吸って生きているのだ。」
 私は、急に、目の前が明るくなりました。
 最近の私は、「自分が、自分が」と、自分の欲望ばかり押し付けての不平不満で、自らを不安定な疲れに追い込み、努力する心をなくしていたのです。
 ツバメ達は、唯ひたすらに、自分の仕事を果たしている。見栄とか欲は一切無く、失敗にもひるまず巣作りに励み、卵を産み、ひなを育て、子孫を残す為に全力で働いている。
巣を見上げながら、私の心が動きました。
 「邪心を払い、無欲で挑戦」・・・そんな言葉が湧き出て、「ツバメさん、有難う!」と頭を下げました。
 すべて自分の欲で心が迷い、学ぶ姿勢すらなかった。・・・ツバメに教えを戴き、母から授けられたこの命、たとえ何十歳になろうとも、無欲で、一心不乱に働いて生き抜かねばならない。それが、五月の「母の日」への最高の恩返しだと目覚めた一日でした。
 皆さんも、一人一人の環境の中、人生の中で苦悩あり挫折ありでしょうが、ツバメのようにすがすがしく、一生懸命に生き抜いて下さい。




2017/03/30 掲載

「足るを知る」 平成十五年四月号

 今年もまた、満開の桜に、体一杯の喜びを戴いたことに、手を合わせます。
 重ねてもう一つ、大きな喜びに出会ったのは、「熊本自営会だより」3月号のよもやま話。
 「先日、在所期間が終わり、退所することになったM君【長い間お世話になりました。】と、居室に一礼して立ち去りました。」という記事です。
 身の回りに対する謝恩を表すM君の心がけ。素晴らしい春の門出だと、M君に拍手を送りました。
 異国では、戦争に苦しんでいる人々がいるのに、平和な日本の桜の下にいることを、なんだか申し訳なく感じますが、戦場で一番つらいのは、「水」が無いことで、折りしも「世界水フォーラム」が日本で開催され、「水」は地球のすべての生き物の命綱だと知りました。
 熊本県は、水が豊かで、水の不自由さ等考えたこともありませんでしたが、熊本にゆかりの深い「種田山頭火」(俳人)は、非常に水を大切にされ、バケツ一杯で米を洗い、茶碗を洗い、雑巾がけをして、最後は畠にと、四面活用され、水を粗末にする人を嫌い、自分にもまた、とても厳しい人でした。山頭火の一生の暮らしで節約された水が一体どれ程か、それが、果たして世の中にどれ程の役に立ったのかと考えた私は、誠に不埒者でした。
 山頭火は、水を粗末にしない、すべての物を無駄に使い捨てず、物を生かして使い終える「心がけ」を示されたものだと気づきました。
物資が豊富な現代社会の暮らしの中でも、一つの物を大切に、価値ある状態で使い切る営みは、「足るを知る」という精神。これが、山頭火が水を粗末にしない一生の暮らしの中から、後世の私達に示された大きな教訓だったのですね。
 そういえば以前、水の事で、二男(四十八歳)を厳しく叱ったのを」思い出しました。
 炊事場からでも浴槽の水の音が聞こえる狭い我が家。ザブザブと何杯もかかり湯を浴びる音に、驚いて風呂場に駈け込み、
「物を湯水の如く使う阿呆者!何杯の湯を捨てるのか!」
 私の叱責の剣幕に、二男は棒立ちになりました。病の為に障害を持つ二男に、後で、「水」は決して無料ではないこと、浴槽いっぱいの御湯を沸かすのに、どれだけの費用が必要か。これは我が家の家計の問題でもあるが、ひいては、社会の人々が納めている税金の無駄遣いにもなることだ、などと説明しました。
 以来二男は、かかり湯も、洗面器二杯とし、残り湯は洗濯。雑巾がけに利用することを覚え、実行しています。「足るを知る」を二男が覚えたのです。
 居室に感謝する心がけを持ったM君は、きっと物を粗末にしない人でしょう。皆さんも一人一人、それぞれに、自分の戒めを定めて、その目標に向かって努力していらっしゃることと思います。寮生の皆さんが、一人で一杯の洗面器の湯を節約すれば、一ヶ月でどれだけの水量になるでしょうか。僅かな湯でも、いつかは浴槽一杯の湯になることでしょう。
 たとえ短時間の居住であれ、物を粗末にしない暮らし方について、皆さんで知恵を出し合い考え合って自営会の寮生としての行徳の伝統を築きあげて下さいませんか。
 それは次の世代の寮生に受け継がれ、素晴らしい自営会の営みになることでしょう。そしてまたそれは、皆さんの一生の宝となると信じます。
 梅雨時の体調に十分ご注意下さい。



2017/3/2 掲載

「人生生涯大学」 平成十六年三月号

 春に陽射しは柔らかく、明るくて、草木の芽を伸ばし、花を咲かせて虫達を誘います。 自然界が躍動する季節です。人間社会では、卒業や入学と、自らの人生の目的に進む、まさに目覚めの春です。
 先日、孫娘の高校の卒業式に招待され、参列して参りました。学校創立百年。創立以来変わらぬ制服を着用した孫の晴れ姿に、遠い昔、同じ制服姿の私が重なって、なつかしさ一杯・・・。
 当時は、戦中、戦後の荒廃した日本社会の中で、卒業はしたものの、食べるのがやっとの暮らし。
身を削って私を学ばせ、育ててくれた亡母に、何一つとて恩返しが出来なかった悔恨の念に駆られて、【蛍の光】の合唱を聴きながら、天を仰ぎ、手を合わせて親不孝を詫び、涙しました。孫娘の卒業にも喜びの涙し、誠に感無量の一日でした。心から「おめでとう、そして有難う」と申したものです。
 さて、近頃社会問題になる議員さん達の【学歴詐称】。実に愚かなことだと思いませんか。もちろん大学で学べるのは素晴らしいことですが、【学歴】さえあれば偉い人なのだと思い違いしているようですね。
 何時ぞや担当している少年が私に、「どこの大学を出たのか」と尋ねました。私は【人生生涯大学、労働学部に在籍しているが、これがなかなか難しくて未だに卒業出来ないのよ】と答えました。(実は不勉強で、大学受験ができない私なのでした。)少年は一瞬ポカンとしていましたが、やがて納得して、二人で大笑いでした。
 私は、一日一日が大切な学習だと思うのです。失敗して苦悩し、挫折して踏ん張り、難局にぶつかり、考え込み・・・。人様に教えられたり、助けられたりと、一日たりとも同じ日はなく、どんな些細な事でも無駄なものは何一つないのです。議員さんであろうと、学者であろうと、金満家や貧者であろうと、生かされている命は、皆等しく尊いのです。
 私達の体・精神は、【命】の器、働き場です。一人一人の命を正しく使うこと、それが、【使命】なのです。自分の過欲と過煩悩は、心の静穏を失し、疲労するのみで、命に対して申し訳ないことだと思います。
 誰しも過ちはあるものです。だからこそ、日々「人生生涯大学」で学び、汗を流し、【命】を正しく使う体と心を養うべきと考えます。若い頃、いくら働いても、うだつの上がらぬ情けなさに、他人を羨み、不平不満を漏らす私に、亡姑が笑顔で申しました。
 【人はね。一生終わって身の自慢だよ】と。その時私は、一生この辛い苦労をするのかと思ったのですが、最近になり、やっとこの亡姑の言葉が解りました。
 【苦労】とは、何でしょう?
 有り難い試練、学びなのですね。【苦労】が忍耐・知恵、そして人への思いやり等々、多くの教えを与えてくれ、人を育ててくれる授業だったのだと。【人生生涯大学】で学び、答えが解るまでずい分と長い歳月が必要だったのだと思いました。
 この先まだまだどんな難題が出てくるでしょうか。コツコツと難問に取り組むのみです。そして、
【我以外、皆教師也】で、教えを受けねば。花は無心に咲きます。誰に見せる為でもなく、自らの命を精一杯生かして咲くのです。無欲なればこその美しさなのですね。花にも学び、花にやさしさを感じるのは、うれしいことです。
 皆さんこの春から一緒に人生生涯大学の一年生として、共に元気で、楽しく、勤しみ、励んで参りませんか。
 桜の開花ももうすぐですね。健康に注意してください。



2017/2/1 掲載

「節分の鬼は何処にいる」 平成十五年ニ月号

 三寒四温で春が近づきますね。
 我が家の庭に、余りにも貧弱ゆえ、切り捨てようと考えていた梅の木に、数年ぶりに蕾がたくさんついて、節分の翌日に、パッと一輪が開花。思わず「ありがとう」と声をかけました。
 そして、何が「ありがとう」なのか不思議でしたが、雪が舞った寒気の日も、蕾はしっかり耐え抜いて、花になりました。香り高く、凛とした一輪に感動したのが、「ありがとう」だったのです。
 自然界の草木にしては、当たり前の営みでしょうが、私たちもまた、自然界の中で生かされている命です。些細な事に弱音を吐く私は、切り捨てようとしていた貧弱な梅の木の辛抱強さに我が身を恥じました。
 節分に「鬼は外!」と豆まきしながら、鬼は何処にいるのかと思っていた子供時代・・・。最近やっと鬼の正体が解りました。我欲に振り回される醜態な我が心こそ「鬼」であったと。つまり「鬼」は自らの身中の虫なのです。
 冬の終わりと春のはじまりの節分の日を、私達は、身内の厄介な鬼を追い払い、正しく生きるけじめの日といたさねばなりません。物言わぬ梅の木です。暑さ・寒さに耐え抜いて自らの生命を守り、花を咲かせたのです。
 知恵を戴き、考える能力を与えられた人間ですもの、各々の生命を大切に、一生懸命努力いたしましょう。
「鬼も悟れば 仏となり、 仏も迷えば 鬼となる。」
 善も悪もすべて、自分の心がけ一つです。




2016/12/21 掲載

「未年」に寄せて 平成十五年一月号

 一月も二十日となり、気の抜けた新年のご挨拶となって、まことに申し訳ありません。
 私事ですが、正月早々風邪に倒れ、途中回復したと思ったのですが、再び熱発し、これこそ情けない寝正月でした。この数十年、熱発したことのない私は、「阿呆!」と言われる程元気に働く日々だったので、我ながら驚いたものです。
 私の風邪に対する心構えも悪かったであろうし、こうなったらじっくり風邪と向き合い、完治の日を待つことにしました。
 体のバランスが崩れると、味覚も悪くなり、何を食べても不味いもので、たとえ大根の一切れでも、健康体なら最高においしい食事が出来る。やはり健康は、人間の心と体の基本なのだと痛感しました。
 皆さん、常日頃よくよく自己の健康管理に心がけて生活してください。
 さて、今年は「ひつじ年」。病床で読んで知ったことですが、インドや中国では、八千年も前から家畜として飼育され、人々に親しまれた動物なのですね。
 「羊」という文字を組み入れた「義・善・美」という字は、私達には理想の言葉ですね。「義を以て正しく、心を美しく、善で他に奉仕する。」・・・羊には、素晴らしい意味が含まれているんですね。
 また、十二支の「未」には、「未だ不十分」の意味があり、心美しく、羊のように優しく、善行で他に奉仕、努力しても「まだまだ、だめだ、未熟だ。」と厳しい自己反省が、「未」の一字に篭められています。
 年を重ねると人は、経験や知識を積み、賢い人になってゆくと、私は思っていたのですが、私自身の体験で、幾つになっても毎日の、その瞬間瞬間の出来事が、常に新しい経験であり、学びの場であると解り、人生の終わりの日迄、「未」だ勉強なのだと知りました。風邪で寝込んだ日々も、いろいろな人間の道を少し教えられた大切な風邪の日でした。皆さん、どんな不遇の時も、辛い場合も、すべて自分の人生訓として素直に受け、よく考えると、明日への希望も湧いてくるでしょう。
 ところで、私は、昭和六年の「未年」生まれです。若い「未年」の人々に学び、人様に迷惑をかけぬよう心がけてゆかねばと思います。
「老いて学べば 死しても朽ちず」と、改めて心を定めた一日です。




2016/11/24 掲載

「報恩感謝」 平成十四年十二月号

 今年も残り少なくなりましたね。
 例年のことながら、この一年間どんな暮らしをしてきたか振り返ってみても、余り進歩なしだったと反省するばかりです。しかし、大きな事故、病気もなかった、それだけでも大変有り難いことであったとも思うのです。
 唯、不況社会の中で、仕事が順調に捗らず、八方塞りになったとき、その時点では、随分辛い思いをしましたが、それは、忍耐を培い、物事を考えることをおしえてくれた教訓ともなりました。快適とは言えぬ貧家も、風雨を凌ぎ、明日への活力を養う宿だと有り難く思います。
 尾籠な話ですが、誰しも食べれば排便するのが動物の生理、つまり健康体です。もしこの作用が出来なくなったら、体調は悪化します。一年間、自然体で健康を維持してくれたのも、毎日御世話になった我が家のトイレです。年末は、この一年間の感謝を込めて、念入りにトイレの掃除をいたします。
 皆さん、社会に復帰する大切な日、それが、例え一宿一飯にしろ、自営会で先生方と出会い、寮生の皆様と交流し、食事ができて、ゆっくりと寝ることが出来た・・・。有り難いと思いませんか。生きてゆくということは、こうして多くの人様の支えを戴いているのです。
 そして、自然の大地、木、花、動物達、すべてが一生懸命に生きて、知らず知らずの間に私達を慰め、楽しませてくれます。幸せとか不幸せとかは、自分の心の持ち方次第です。予備(スペア)の無い私達一人一人が、自分の命を大切に一生懸命、正直に生きてゆくことが、社会への、人々への大切な恩返しです。(春夏秋冬、一年間無事に生かされて参りました。ほんとに有難う。)と思うのです。
「報恩感謝」・・・この言葉が私の一年間の締め括りの気持ちです。
 皆さん、新しい年を元気に迎えましょう。




2016/10/26 掲載

「一歩一歩正しい道へ」 平成十四年十一月号

  寮生の皆さん、御元気ですか。紅葉した落ち葉が余りにも美しく、何枚か拾い集めてきました。十一月、急に寒くなりましたね。
 寒いといえば、エベレストの山の寒さは想像もできませんが、十一月三日にテレビ放送された、七十一歳でエベレストに登られた内田敏子さんのお話に感銘を受けました。細い体の優しいお声でした。急いで書き留めた内容です。
「山に登りたいから行くのです。しかし、その気持ちには苦しみもあります。山に登る道中は、苦しみの方が多いのです。自分の体力に合わせて 一歩、また一歩と、前に足を出します。頂上の最後まで、自分の足を一歩一歩前に出すのです。一緒に登る人に迷惑をかけてはならぬ。だからこそ、日頃体力保持の努力に励みます。我が儘で身びいきで怠けると、足は一歩も前に進めません。」
穏やかな表情で語られる内田敏子さんの、細い、七十一歳の体には、常日頃自分を厳しく管理される心棒の強さが秘められているのだと感服しました。
 ところで、昨夜は、かぼちゃのだんご汁の夕餉で体を暖めながら、戦時中は、このだんご汁が最高のご馳走だったと懐かしみました。
 内田敏子さんも私と同世代の女性、戦後の貧しい日本の再起に、一心不乱に働きぬかれたお人です。そして、今日も尚自分を甘やかすことなく、心身を律しての毎日。偉いと思います。
 物資が豊かになった現代社会では、金力、権力、または人の世評、甘言に眩惑され、ついつい人間性の真実を見誤ってしまいがちです。内田敏子さんのように、辛くとも自分の意思を強く持ち、我が身の身びいきをせず、一歩一歩正しい道へと進めてゆかねばと思います。
 命ある限り、自然の中で、人々の中で、親・兄弟、それぞれの御蔭を戴いて生かされている私達です。今日一歩、そして、明日もまた一歩、しっかりと足を上げて歩みだしましょう。そして改めて私も、
「人惑を受くることなかれ。」
 この言葉を皆さんと一緒に学んで参りたい。頑張りましょう。
 風邪を引かぬようにご注意ください。




2016/9/27 掲載

「突然の訪問客」 平成十五年十月号

 爽やかな秋晴れが続きますね。
 のっけから変なお話をいたします。
 一昨日のことです。日暮れが早くなり、夕餉の支度に心急ぐ思いで事務所を片付けていましたら、突然の来客。主人が対応していましたが、どこか見覚えのあるお人。
 それは、十数年前、主人が民生委員の頃のある事業所の職員さんで、わたしもまた、保護司活動の折、一、二度お会いしたことのある御仁でした。
 たっぷりした体格だったのに、すっかりやせ細っていらっしゃったので解らなかったのです。
 その人の時ならぬ来訪の事情は、次の通り。
「当市でも屈指の実業家であった友人を信頼し、保証人となったが、事業に失敗、高利の借り入れだったため追い詰められて、当の本人は姿を晦まし、会社には連日取りたて人が押しかけ、それが原因で退職させられる羽目になり、退職金も借入金に抑えられ、土地、家屋、畑等も一瞬にして失ってしまった。家族もバラバラになり、一人きりで、アルバイト等で食べ、逃げ回る毎日だが、その職も失職。
役所の友人、親戚達に多大な迷惑をかけた・・・」との話。
 最近ニュースでよく知ることですが、まさか目の前にそんな人が飛び込んでくるとは。声も出ぬ程の驚きでした。無表情に、うつろな目でその人は、「二、三日分の食費を」と懇願。常日頃何のかかわりのないわたしたちの所に、しかも、十数年ぶりに訪れることは、余程のことか。背に腹は変えられぬとはこのことか・・・。人の変わりように絶句しました。
 私達も、結婚以来苦難の連続で、「忍耐せよ・辛抱せよ」が主人の口ぐせ。
秋の夜長に古着物を仕立て直して、自分の服作りをすることが習慣になってしまった私は、「一度でいいからデパートで服を買ってみたい。」と大笑いする性分となりました。却って、亡母の着物で、亡母への感謝が深まりもします。
 悪人でもなかったその人の会社勤務時代の姿をやっと思い出し、ほんの少しの心の奢りか、心のゆるみが、この有様に追い込まれたのだと、七十三歳にして誠に大きな、大切な人生学を与えられたものです。
 主人の「辛抱せよ・忍耐せよ」が、時には辛いものでしたが、大切な生き方であると、つくづく思い知らされました。そして、こんな私をよく指導してくれる主人に感謝したものです。
 「愛は、凡そ事忍び、凡そ事信じ、凡そ事望み、凡そ事耐えうるなり」
 キリストの教典「コリントの書」ですけど、私には難しいことは解りません。
「愛は事忍び、事耐うるなり」の忍・耐は、我慢することであり、これこそ神の愛、寛容・慈悲だと思います。物事の原因と結果を明らかに知り、納得し、結果が、苦悩・悲しみのマイナスをプラスに変える努力。「愛」は「憤らない」のです。
「愛」は、苦悩に出会った私達への、神の「愛」です。苦難の受け取り方、これが人間の成長を支えてくれ、また、希望をも与えられると思うのです。
 もちろん永い永い年月がかかるかもしれませんが、大きな大きな神の愛・慈悲を有り難く受け止めて、今一度、今自分の姿・心を省みて、頑張る心を培ってゆきましょう。
まだまだ人生学の途中だとつくづく教えらえた一日の出来事でした。我欲・利に負けて、人を傷つけることなく、コツコツと努力を重ねましょう。



2016/9/27 掲載

「汝、何のために そこにありや。」 平成14年9月号

 九月、スポーツの季節ですね。
 昨日、近くの中学校の生徒さんが、運動会の招待状とともにプログラムを持ってきてくれました。学童のいない家庭を、毎年招待してくれるのです。日焼けして溌剌とした男子生徒の姿に、うれしくてなりませんでした。
皆さんは、どんなスポーツが得意ですか。
 私は、運動会には深い思い出があります。
 今年四十八歳になった二男は、知能も体も障がいを持って生まれました。運動会の日は、大雨になれと天を仰ぐ、暗い気持ちの私でした。
 真直ぐに走れず、ヨタヨタ姿の二男。貧血しそうになり、私は涙一杯で倒れ込みました。
 その時、「ウアーッ!」という大声援が耳に入りました。校長先生を始め、全校生徒が「頑張れ、ガンバレ!」と手をたたき、大声で二男を応援しているのです。
 たった一人で二男が、まだよろよろと走る中、その大声援は、秋空に響き、やっとゴールにたどりついた二男に、皆がバンザイと叫びました。
 雨が降ればいいと思う私の卑屈な心を恥じました。
 その日から私は、前向きに生きねば皆に申し訳ないと思い至りました。人並みではなくとも、二男には「笑顔」がある。社会の人々、お友達、先生に支えられているから、「感謝」と「笑顔」を忘れず生きてゆかねばならないと、二男に言い続けて、やがて四十年。それはまた、私の歪んだ心にも言い聞かせ続けた四十年でもあります。
 それぞれの生まれ育ちこそ違え、一人ひとりの命は、皆等しく尊い。この世に、誰一人として無駄な人間はいないのです。何といっても健康は宝です。健康な体である幸せを無為にしてこなかったか?
 今一度自分の生きざまをふり返ってみましょう。「汝、何のために そこにありや。」と問い直してみましょう。秋の彼岸にご先祖を偲び、先祖から受け継いだ命を粗末に生きてはならぬのです。
 運動会の爆竹が秋空に響きます。皆さん、スタートラインに立ち、ゴールをめざしてゆきましょう。転んでも転んでも起き上がって下さい。ガンバレ!ガンバレ!と私も応援いたします。



2016/7/25 掲載

「生けるしるしある」ことに感謝して生きる 平成14年8月号

 今日は立秋。でもまだまだの暑さですね。
八月は終戦の月。広島・長崎の原爆投下から、もう半世紀以上の日時が経過。今、日本は、めざましい文化国家になりました。
 国を守る為に戦地に赴き、悲惨な戦死を遂げ、また、罪なき国民も、原爆で命を失ってゆきました。家も焼かれ、父も家族も死に絶えて、焦土の中で泣き叫ぶ子供。放心した人々の姿が思い出され、胸が痛みます。
 しかし、国民は、空腹に耐え、荒廃の中から国の復興の為に頑張ってきたのです。
豊かになった現在、毎日ニュースで知る犯罪の多さは、人々の「心の焼け野原」というべきか、「精神荒廃」と言うべきか。不安に思います。
 無念の死を遂げた同胞。死者は還らず。私達は、この同胞の供養の為にも、「生けるしるしあり」と感謝して、心を正して努力してゆかねばと思うのです。
八月三日、四日付の熊日新聞で、自営会の記事を読みました。寮生の皆さん達の苦悩、社会復帰への辛さも深いことでしょうが、自分の生い立ちを恨んだり、悔やんでばかりしていては、半歩の前進もありません。世の人々誰一人として、百点満点の幸せ者等いる筈はない。「幸せ」とは、自分の心の持ちようで言う言葉だと思います。
「窮して変じ、変じて通ず。」
苦しみや困難に当たれば、まず、自分で切り拓く工夫をせねばならない。空腹だからと人様に食べてもらっても、自分は満腹にならぬと同じで、逆境にあれば、耐え抜く自分を作り上げることです。心を素直にして、考えを改めて、生きてゆく意味を学ぶことです。
 道は遠いかも知れない。しかし、必ず道は開かれる。平穏な心の人間になる、それが幸せ者だと思います。先生方に教えを乞いながら、迷わず自分の人生を立て直してゆく努力に励んでください。世の中には、皆さん達に頑張れ、頑張れと声援を送る人達がたくさんいることを忘れないでください。



2016/06/23 掲載

「天は黙って物を育てる」 平成14年7月号

 七月になりましたね。
梅雨の晴れ間、稲が青々と伸びた水田の上を、赤トンボが乱舞していました。インターネットとか、パソコンとか、便利な世の中になりましたが、稲も、赤トンボも、昔から変わらぬ自然界の法則通りに育ち、命を育んでゆくのですね。
 「天は黙ってものを育てる。」
誠に、すべての生き物は、目に見えない宇宙エネルギーに依り、一切の命が息づいている。感謝の言葉もありません。
 昨日、腰痛リハビリの為病院に行きましたら、広い待合室に、七夕飾りが立てられていて、色さまざまの短冊の一枚に
 「おにいちゃんがはやくげんきになりますように。」
と幼い文字で書いてあり、兄を思う弟のやさしい真情に胸を打たれました。私も、入院患者さん達の快癒の早からんことを、七夕に祈り、まだまだ二本の足で歩ける我が身に改めて感謝いたしました。
 七夕祭が来て、赤トンボが飛び始めると、先祖供養のお盆が来ます。先祖代々、宇宙の天の恵みの中で生かされて、受け継いできた我々の心と体。決して疎かに暮らしてはなりません。
感謝を忘れ、何時の間にか心の中には、自分中心の「我」という汚泥が降り積もっている。それを洗い流すことを、七夕の星に誓いましょう。


2016/05/25 掲載

「自問自答」 平成15年6月号

 六月。もう一年の半分を暮らしました。雨を待って田植えが終わった処もあります。じめじめした梅雨も米作りには大切な水。梅雨ありてこそ、私達のすべての命が支えられる。これこそ慈雨です。
 六月は父の日。皆さんのお父さんはお元気でしょうか。
 「父なくば生ぜず、母なくば育たず。」
改めて自分の体を見つめてみませんか。
 父親に反抗していた少年が、
「俺はオヤジなんかに似ていないと思ってたら、足の五本の指と爪がオヤジとそっくりだった。」
と、笑顔で話をしてくれました。もう一人の少年も、咳ばらいがオヤジとそっくりだと申します。父に受け、母に育てられた自分の体を、たとえどのような事情があったとにせよ、粗末に生きてはなりません。
 「肉体」は、呼吸・飲食が出来れば維持されますが、人間である私達には「心」があります。犬ですら三日飼えば恩を知ると言います。「体」は、「心」が働く工場だと私は考えます。心卑しければ、「体」即ち工場も貧しく、立派な働きが出来なくなります。「悪」も「苦」も「喜び」も、自分の心の働きの表れ。自らの不注意、怠惰、無自覚で、父から受けた大切な「心身」を毀損してしまう、それは、罪を犯すということです。
 先ず、今日一日を大切に。弱く、負けそうになる自分に呼びかけましょう。一日を終え、布団に入った時でいい。
 「今日一日、人を騙さなかったか?人から騙されなかったか?オイ!しっかりするんだよ。」と、毎夜この調子で、「自問自答」をして、自分を励まし続けてゆきましょう。そして、自分に偽りなく、素直に、力強く「ハイ。」と自問出来る人間になれるよう努力の一日一日を積み重ねましょう。それが父母へ、また、社会への恩返しです。


2016/5/08 掲載

「お陰様です、有難う」の心 平成14年5月号

 5月は、「子供の日」と「母の日」があり、緑の若葉が繁るように、人の命も代々栄えてゆく悦びを感じます。
 皆さんは、子供時代どんな遊びをしていましたか。私の時代は、縄とび、かくれんぼ、石蹴り、まりつきと、体一杯を動かして、時を忘れる程遊び、
 「ホラ、一番星がでたでしょ!早く帰りなさい。」とよく叱られたものです。
今でも夕暮れの一番星を見つけると、「アカンベー」と舌を出して、一番星をいまいましく思いながら、慌てて帰宅したのを想い出します。
さて社会人となり、まず食べてゆく為、生活の為、必死で働きました。それこそ時を忘れて、汗を流して。しかしある時、いかに辛くとも、働くことを厭うのではないが、毎日毎日ソロバン片手に追いまくられて、催促するばかりが人生であろうかと、妙な疑問が湧いたのです。
実は不勉強であった私は、女学校をやっとこさで卒業した落ちこぼれだったのですが、恥も外聞もなく、その疑問を恩師にぶっつけたのです。白髪が増えてしまった恩師は優しい顔で、「いいことに気がついたわね。」
との一言だけで、私の疑問への解答は与えられませんでした。私は考え込みました。そして、これまでの生き様をふり返りました。
 精一杯働いてきた。すべて一人で、自分の力で頑張ってきた。病気の舅・姑の看護も、一人で立派にやり遂げたではないかと自負する私でした。ハッとしたのです。
 恩師の「いい事」の意味が、おぼろげに解ったように感じました。すべて自分の力で働き生きてきたとは、以ての外の横着な私の心根。働ける体に育ててくれたのは誰か?仕事に失敗しても、許して支えてくれたのは、誰であったか?
 私は、家の人への感謝の念がなかったのです。唯、物理的に働くロボットだったのです。人間としての心がなかった私だったのです。舅・姑の辛い看護も、老いてゆく自分の姿を、そして、看護の心を学ばせて戴く為の尊い人生訓を神様が与えてくださったのです。
 「お蔭さまです。有難うございます。」と誰にともなく手を合わせました。
 この年になっても相変わらずの落ちこぼれの生徒の私。
 「物解りの遅い生徒です。やっと人の心の大切さが解りました。これからが本当の人生の勉強をいたします。先生、私がほんものの卒業証書を戴くことが出来る日迄、どうか達者でいて下さい。先生から卒業証書を戴きとうございます。」と恩師にお願いしました。恩師への約束成就・・・。心を調えて励まねばと思います。
 皆さん、「子供の日」に、子供に返り、人生の目標を立て直し、頑張りましょう。現実は厳しい。厳しい世相に苦労するのは、自分一人ではないのです。皆一生懸命なのです。
 「お陰さまです。ありがとうございます。」の感謝、恩を忘れぬ心で生きて参りましょう。
終生勉強を忘れずに。



2016/3/25 掲載

「不遇こそ得難い人生訓」 平成14年4月号

 四月になりましたね。四月は入学式の月。一生涯の中でさまざまの出会いがあります。皆さんも、初めてのお友達、先生達との出会いを思い出しませんか。
 さて、私事になりますが、三人の子供に恵まれて、長男・長女は共に健康で、小学校、中学校と成長の度に入学式が楽しいものでした。
 しかし、三番目の息子は障がい児として生まれ、入学式は一転して辛い式となりました。病気がちながら、何とか中学校に進学したものの、人並みに勉強も運動能力もない我が子が情けなく、PTA副会長の役職も恥ずかしく、苦しくなって、思い余って校長先生に 「このような子供をもつ親として、PTAの副会長等とても果たせません。」 と訴えました。
 静かに私の泣き言を聞かされた校長先生は、私をしっかり見据えながら、ゆっくりと、
 「貴女は、子供が満点を取ってくる子なら、副会長を引き受けるお母さんですか。」
と仰いました。私は熱い鉄の棒で背中をガーンと打たれた思いで、滂沱の涙に顔が上げられませんでした。
 校長先生はもうご他界されましたが、四月になれば、校長先生の言葉を私の人間としての入学式として心に刻み、発心いたします。
 皆さん、健康体ですか。五体満足であることが、一番幸せなのです。障がいを持った息子は、愚かで誤った私の心を正すために、神様がお授けになったのでしょう。
 どんな苦境に生まれようとも、縁有りて戴いた命は、一人一人が尊い。命を大切に生きる。素直に生きる。心正しく強く生きる。私はこの息子がいなければ、生涯高慢でろくでなしの人生で終わったと思います。息子のお陰でお諭しくださった校長先生にめぐり会えたことに、手を合わせます。
 不遇こそ、得難い人生訓です。まだまだ精進が足りぬ私ですが・・・。
 「人間に生まるること 難し
やがて死すべきものの
いま生命あるは 有り難し」
 皆さん、四月を新しい出発の月として胸を張ろうではありませんか。自治会の先生方、調理の先生、そして、寮生の皆さん達、すべてが我が師と思い、一日一日を大切に、感謝して励んでください。


2016/2/23 掲載

「心に太陽を」 平成15年3月号

 風はまだ冷たいけれど、野辺の草木は萌え出で、小鳥は囀る。まさに春・弥生ですね。
 凍っていた大地に草木がいよいよ生い茂ろうとするさまを讃える昔人の、床しく、やさしい心情を物語る「春・弥生」。美しい言葉ですね。
 春を待ちて、生きとし生けるもの、すべての命のめざめに感動するのは、今も昔も全く変わらず、だからこそ「いのち」の不思議さに驚かされます。「目覚め」とは、「気づく」こと。眠りから目覚めて、一日の活動が始まるように、春は、自分自身に気づく季節です。
 皆さんには、余り関心のない行事でしょうが、女性にとっては3月は「雛祭り」の楽しさがあります。私が物心ついた頃、我が家は、貧乏のどん底。家財道具一つ無い小さな部屋で、母が画用紙に描いた雛人形を、竹の棒にはりつけて、古ぼけた畳の縁に立て、「雛祭り」の歌を教えてくれました。子供心に、本当に、心に「あかりをつけましょ ぼんぼりに」の如く、明るく、楽しく。
 以来、この歌を口ずさむと気持ちが和みます。昨今のきらびやかな「雛祭り」等、及びも付かず、竹の棒のひな人形は、私の心に深く刻まれ、人生の心棒になっています。
 大人になって解ってきたことですが、人の世は、自分の思い通りになることは誠に難しく、社会変動にも左右されつつ、四季以上に、極寒あり、酷暑ありです。貧苦を苦ともせず、時に応じて工夫を凝らし、明るく強く生き抜いた母の姿。明治生まれの古い母ながら、今風に言えば「心に太陽」を持った、いや、「太陽を持つこと」に一生懸命努力した気丈な女性であったと感服するのです。
 皆さん、不況なこの時代、社会復帰しても就職侭ならずと、落胆・苦労の連続でしょうが、これは、皆一緒です。皆同じ事だからこそ「いざ」という日の為に、くじけず学ぶことです。自分の人生ですもの、コツコツと努力すれば、耐える心も養われ、不自由な中にも知恵が生まれ、工夫も生まれてきます。
 必ず春は巡りくるのです。自分で春を呼び寄せるのです。ものは考えようと申しますが、仕事のない日は、自分の勉強の日と考えるのです。愚痴、不平、欲望に心を曇らせぬよう、常に「心に太陽」を失わず、頑張りましょう。


2015/12/16 掲載

「1月1日・・・心機一転出発の日」 平成14年1月号

 新年おめでとうございます。

 皆さんは何回お正月を迎えましたか。お正月は何回迎えても嬉しいものです。
 「一月一日」という日は、まさしく「一」というはじめの数にスタートする新年の第一歩です。これまでの歳月を振り返りますと、躓きや失敗の数々は、すべて、自らの気持ちの過ちであったことを反省いたし、一から 人生勉強のやり直しをせねばならぬと新しい誓いを立てます。

 同じ日の繰り返しのようでも、「一月一日」は、これから正しく生きる覚悟、そして希望、感謝の心構えの「心機一転」をする大事な出発の日なのですね。
 皆さん、お互いに自分の目標を立て、弱音を吐かぬように、一日一歩、しっかりと前進いたしましょう。

 皆さんの今年一年間が、健康でありますよう、年の初めに心から念じます。


2015/10/27 掲載

「自分に嘘をつかず、正直に生きる」 平成13年11月号

十一月になりましたね。
 秋も深くなると、夜空の月が冴えてきます。人々は、それぞれの思いで月を眺めることでしょう。
 私も月にはひとしおの気持ちがあります。
 父・祖父と、家の大黒柱が相次いで逝き、またたく間に家業が傾き、使用人も次々に去ってゆく中、家業を支えてくれていた叔母共々に家を追われて、汚い小さい部屋に移り住みました。
 子供心にも余りにも侘しく、ボツンと月を見上げていた私に、
 「お月様はね、私達を見守って下さるのよ。だから、人に嘘をついたり、人を騙したりすると、盲人になるのよ。」
と、叔母が言い聞かせました。
 長じて知ったことですが、私達を騙して屋敷を奪った人は、本当に盲人になっていました。驚く私に、叔母が、
 「誠に、天には見る目、聴く耳があるのだ。」
と申しました。
 この事実は、偶然の出来事だったかもしれませんが、正しく生きねばと教えられました。
 最近になり、あの苦難を与えられたからこそ、頑張りの心が育てられたのだと感謝の念で一杯です。しかし当時は、耐えがたい苦しい暮らしに、ついつい世を恨んだり、騙した人を憎んだりと、心が曲がってゆく私でした。そんな私を見かねて、常に叔母は、
 「復讐は、天に任せよ。汝はベストを尽くせ。」の教えの言葉で、私を諭しました。
 月を見上げると、叔母の言葉が胸に迫ります。何時の日かこの月のように、くもりなき澄んだ心で、天国の祖父、両親、そして、恩ある叔母に会えるように、これからもベストを尽くして励みますと、月に手を合わせて念じました。
皆さん時折は童心にかえり、月を眺めて見ませんか。決して自分一人ではない。いつも誰かが見守ってくれている。支えてくれている。多くの人々に生かされている私達です。
自分の心に嘘をつかず、正直に、自分なりに精一杯生きて参りましょう。


2015/9/28 掲載

「新聞に親しむ」 平成13年10月号

 十月になりました。今年は、栗、柿、梨と豊富な稔りの秋を喜んでいましたが、アメリカのアフガンの空爆のニュースが心に痛みました。
 昔話になりますが、昭和一九年の私の日記。希望一杯で目的の女学校に入学したものの、当時、日本は戦争時代で、毎日の空襲や機銃掃射の恐怖、食糧難、勉強よりも軍需工場での勤労奉仕、兵隊の服の修理、カライモ植え等々の日々、落ち着いて学んだことは書いてなく、無念な思いで読み返しています。それが、理由で学びの浅い私だと申すのは以ての外のことで・・・。以来、新聞が私の教科書となりました。
 十月は、「新聞週間」です。少々早く目覚めても、新聞は届いています。雨の日もビニールの袋に入れて、新聞は濡れずに届きます。
 少年達は、自分の体は風雨に冷たく濡れても、新聞を守り、配達してくれているのですね。「本当にありがとう。」と感謝して読み始めます。
 新聞には、政治、経済、文化、科学、それに身近な地域の情報が、ぎっしりと載っています。アメリカで起こったテロ事件以後、今まで全く関心のなかった国々のことを、新聞片手に地図を開いて、さまざまな国の名前、その国々の住民の暮らし、考え方、地質まで、多くのことを知ることができました。
 何故戦わねばならぬのか、・・・悲惨な戦争を体験した私は、世界の中の一人として、自問します。新聞は、毎日私達に、いろいろと「考えること」を与えてくれます。粗忽者で、失敗の多い私が、日頃人生訓のしている言葉が、最近の新聞に載っていました。それは、徳川家康の処世訓です。
「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心、欲おこらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は、無事長久の基。いかりは敵とおもえ。勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害、その事にいたる。 おのれを責めて、人を責めるな。及ばざるは、過ぎたるより勝れり。」
 この言葉を何度も思い返して、自らを戒めています。
 寮生の皆さん、辛い日も多いことでしょうが、罪もなく戦争に巻き込まれ、怯え苦しむ人々の身を思い、せめて平和な日本に住める幸せに感謝しましょう。そうして、争いごとを起こさない、優しい心を養うことに努めましょう。


2015/8/26 掲載

「到彼岸」 平成13年9月号

 九月になりましたね。
 昨夜の雨で地が湿り、草木も野菜も生き返っています。
 もちろん猛暑にへたばっていた私達も、心身共に癒されました。自然の恵みとは、こうして私達を育ててくれるのですね。
 九月は秋の彼岸。「農作物の実りへの感謝よ。」と、亡母が作ってくれていた「お萩」の味が忘れられません。
 だから私は、「彼岸」とは、「おはぎ」か「お団子」を食べる日だと思って育ち、「彼岸」が七日間であることが全く解りませんでした。
 「彼岸」は、正しくは「到彼岸」といい、現実の世界の「此岸」から、欲望、煩悩の河を隔てて、理想の世界の「彼岸」に到ることだそうです。つまり、身を修めて、安らかな理想の社会を作る為の方法を、「六度の行」と言います。「六度」の「度」は「渡る」の意味とのことです。
 難しい学問は知りませんが、「彼岸」には、こんな立派な教えがあったのだと驚きました。  「六度の行」を簡単に述べますと、
  1. 布施(ふせ) 自分の欲することを人に施すこと
  2. 持戒(じかい) 人間社会の規則・規律を守り、悪をせず、善行をすること
  3. 忍辱(にんにく) 不平不満をいわず、様々の障害に耐える心を養うこと
  4. 精進(しょうじん) 真面目に努力し、励むこと
  5. 禅定(ぜんじょう) 精神統一し、心を乱さず安定した情意を失わないこと
  6. 智慧(ちえ) 知識ではなく、人生を正しく見て、禍福に惑わされず、物事の真実の姿を見極める心の眼を持つこと
 この六つの教えを、「彼岸の中日」にはさんで二日、三日と学び修めてゆくのが、「到彼岸」であり、つまり、「人間反省週間」だなと思いました。「だんご」「おはぎ」等考えていた私は、本当に恥ずかしいことです。
 寮生の皆さん、この中の一項でもいいから、自分の人生の目標にして励んで参りましょう。それは、社会を安らかにする役目でもあると思います。そして、先祖への感謝でもありましょう。


2015/7/24 掲載

「思讐を超えて」 平成12年8月号

 八月になると思い出すのは、戦争の日々です。
 戦場では筆舌にお尽くせぬご苦労があったと思います。
 みなそれぞれに祖国繁栄を願って、戦場に尊い命をささげた人々。
 争うときは、敵・味方であっても、命に敵・味方はありません。
 平和のなった今、敵・味方の区別なく、戦没者の慰霊に心からに供養を致すことが、私たちの務めだと思います。
 国の争いも、個人の争いも同じこと。
 野蛮な争い心や、怨み、憎しみの心を収める努力をし、まづ相手を思いやり、この世の中は決して自分一人で生きてはいけないことを知り、皆のお蔭で生かされていることに「有り難う」の気持ちを忘れず暮らしてゆくのが、わが身も国も平穏となり、無念の死を遂げた戦没者への恩返しになるものと思うのです。
 「怨みは、怨みによって静まらず、怨み無きによって静まる」
 寮生の皆さん、汗を流し、ひたむきに努力することは、自分の為だけではなく、世の中の為に貢献しているわけで、何とうれしいことではありませんか。 

2015/6/25 掲載

「お盆〜わが身を振り返るとき」 平成12年7月号

 七月はご先祖さまの供養をするお盆の月ですね。
 日頃は多忙にまかせていますが、お盆には亡くなった人々を偲び、ご先祖から受け継いで戴いた自分の命を、粗末に生きてはいないかと静かに見つめ直します。
 亡くなった人々とは再び会うことはできませんが、私の心の中に「その心」は生き続けています。
 振り返りますと、成長と共によからぬ知恵も身につき、我利私欲の損得勘定の心貧しい自分の姿があり、これではご先祖さまも、さぞさぞご無念の筈と反省します。
 これまで多くの人達に支えられてきたことに感謝し、恥ずべき姑息な根性を打ち捨て、胸を張って堂々と生きてゆかねばと思います。
 「しっかり生きなさいよ」とご先祖様の声なき声に励まされお諭を受けたようで、私もまた、子孫の心の中に「豊かで心優しい存在」として生き続けてゆかねばならぬと、心を新たにしたお盆供養でございます。

2015/5/21 掲載

「生命のありがたさ」 平成13年6月号

 梅雨入りして、当地でも田植えが始まりました。
 六月十七日は「父の日」です。
 「父に非ざれば生ぜず、母に非ざれば育たず。」
 父母を縁として生まれてきた私達は、それぞれがいかなる環境で育つとも、その生命は皆等しく、尊いものです。
 「人の、生を受くるは難く、やがて死すべきものの、今生命あるはありがたし。」
 もし、先祖の誰かがこの命を連続させなかったら、今ここにある生命はないわけで、だからこそ、今ここにある生命は、本当に素晴らしく、ありがたいと思います。
 田に植えられた一粒の米が、雨、風、害虫等の苦を乗り越えて、秋には頭を垂れて稔り、やがて私達の糧となるように、私達も自分のたった一つの生命、一度の人生を、一生懸命に生きて、自分自身の楽しみばかりを追い求めるのではなく、何時かは人様の喜びの糧になるような人になりたものです。
 寮の先生方のご指導をよくよく学び、調理の先生のご苦労の感謝して、これが、父母の思とも思い、正直に道を歩んでください。
 「父の日」に当たり、改めて我が身を振り返ったものでございます。  

2015/4/24 掲載

「憲法の日に寄せて」 平成12年5月号

 五月の新緑の輝きに圧倒されそうです。
 ところで、五月三日は憲法記念日でした。
 日本国憲法の大きな特色は、天皇の地位、平和主義(戦争の放棄)、基本的人権の尊重、国民主権の四つで、平和憲法として優れているそうです。
 恥ずかしいことに、私はあまり法律のことが判りませんけど、ユネスコ憲章(国際連合教育科学文化機関)に、「ひとりひとりの心が平和にならなければ、真の世界平和は来ない。」とあるそうです。
 個々の人間が、欲望、憎しみ、怒りの思いを蔵していたら、家族の平和も、社会、ましてや世界の平和なんて望めないでしょう。
 私達は、両親から命を戴き、兄姉、友人、師弟等々、多くの人々と出会い、御縁を得て生かされています。
 自営会で、たとえ数日間であろうとも、寮生同志また、先生方との出会いの御縁は、不思議でもあり、とても大切な御縁だと思います。
 寝食を共にする寮生同志が、お互いに相手を思いやり、先生がたのご指導に素直に感謝して、平穏な心を育てていけば、自営会という大家族も平和であり、それが、社会に向けても平和となり、ひいては世界平和につながってゆくことと思います。
 ユネスコ憲章など及びもつかぬ他人事と考えていましたが、私たち一人一人のやさしい心がけが世界平和につながる、実に身近な問題だったのですね。
 大きいことを申すようですが、私達が世界を背負っているんだという希望と勇気が出た五月三日でもありました。
 さあ、皆さんと一緒に五月のさわやかな空気を腹一杯に吸い込んで、今日も元気に励んでまいりましょう。 

2015/3/24掲載

「雑草に教えられる」 平成12年4月号

 寮生の皆様お元気ですか。暖かくなりましたね。
 明るい陽射しの庭に出て驚きました。なんと庭一面の雑草です。
 冬の間ぽつぽつ生えていた雑草に「寒いもの、どうせ又すぐに生えるのだから・・・」と草取りを怠けていた私に私です。
 昨夏、「おばあちゃん、雑草は小さい芽のうちに抜くと楽だよ。」と、孫が言っていたのを思い出しました。怠惰私の心を見抜いて、雑草が笑っているようです。春先に芽生えるのは、雑草だけではない。人は、それに気づいたり、自らを調えようとする気力を持っている。その心は雑草より強いはずです。
 春は卒業、入学等、それぞれの人生のスタートの季節です。私も当時を思い起こし、若い人たちと一緒に発心いたし、自らを調える勇気を養ってゆかねばならない。そして、孫の言葉を守って、油断や怠惰な雑念の芽を小さいうちに一つ一つ摘み取る努力を重ねてゆかねばならない。雑草を抜きながら、雑草に教えられた一日でした。

2015/2/25掲載

「心に太陽を」・・・母が教えてくれたこと 平成15年3月号

 風はまだ冷たいけれど、野辺の草木は萌え出て、小鳥は囀る。
まさに春・弥生ですね。凍っていた大地に草木がいよいよ生い茂ろうとするさまを讃える昔人の、床しく、やさしい心情を物語る「春・弥生」。美しい言葉ですね。春を待ちて、生きとし生けるもの、すべての命のめざめに感動するのは、今も昔も全く変わらず、だからこそ「いのち」の不思議さに驚かされます。
「目覚め」とは、「気づく」こと。
眠りから覚めて、一日の活動が始まるように、春は、自分自身に気づく季節です。
皆さんには、余り関心のない行事でしょうが、女性にとっては、三月は「雛祭り」の楽しさがあります。
 私が物心ついた頃、我が家は、貧乏のどん底。家財道具一つ無い小さな部屋で、母が画用紙に描いた雛人形を、竹の棒にはりつけて、古ぼけた畳の縁に立て、「雛祭り」の歌を教えてくれました。
 子供心に、本当に、心に「あかりをつけましょ ぼんぼりに」の如く、明るく、楽しく。以来、この歌を口ずさむと、気持ちが和みます。
 昨今のきらびやかな「雛祭り」等、及びも付かず、竹の棒のひな人形は、私の心に深く刻まれ、人生の心棒になっています。
 大人になって解ってきたことですが、人の世は、自分の思い通りになることは誠に難しく、社会変動にも左右されつつ、四季以上に、極寒あり、極暑ありです。貧苦を苦ともせず、時に応じて工夫を凝らし、明るく強く生き抜いた母の姿。
 明治生まれの古い母ながら、今風に言えば「心に太陽」を持った、いや、「太陽を持つこと」に一生懸命努力した気丈な女性であったと感服するのです。
 皆さん、不況のこの時代、社会復帰しても就職侭ならずと、落胆・苦労の連続でしょうが、これは、皆一緒です。
 皆同じ事だからこそ「いざ」という日の為に、くじけず学ぶことです。
 自分の人生ですもの、コツコツと努力すれば、耐える心も養われ、不自由な中にも知恵が生まれ、工夫も生まれてきます。必ず春は巡りくるものです。
 自分で春を呼び寄せるものです。ものは考えようと申しますが、仕事のない日は、自分の勉強の日と考えるのです。
 愚痴、不平、欲望に心を曇らせぬよう、常に「心に太陽」を失わず、頑張りましょう。

2015/1/21掲載

「人生を切り開く」 平成14年2月号

皆さんは春と何回巡り会いましたか。
 私は今年で70回目の春を迎えます。まさに,「光陰矢の如し」です。  世間知らずの20歳で,無一文から始めた事業が,やっと軌道に乗ったのも束の間,同業の大企業進出で長年の取り引き店も次々に奪われ,辛酸を極める年月。 さらに不況も追い打ちをかけ,刀尽き,矢折れの有様。
いよいよ事業閉鎖の思案中に,当の大企業が倒産してしまいました。
「取引先に迷惑はかけられぬ,何とか宜しく後の取り引きをお願いしたい。」との申し出に,仰天しました。
商いは弱肉強食とはいえ,横暴な商法での大企業の仕打ちに涙して,恨んだ日々もありましたが,だからこそ忍耐,努力の精神が培われ,どんな小さな仕事も誠意を以て当たらねばならぬことを身に染みて教えられたのです。
水戸黄門の言葉に,
「楽は苦の種,苦は楽の種」とあります。
社会は活きています。
この先どうなる事やら,やってみなければ何も生まれてこないし,また,何も解りません。
我欲を捨て,意欲を以て「敢えて行う」の気力。そして,それを「貫いて行こう」の努力。それが慣行となり,自らを調え,自らの人生を切り開いてゆく・・・。
「もう,歳だから・・・」と諦めてはならぬのが人生と思い知り,まだまだ学ぶことがたくさんある,今やらねば,出来る時にやらねば・・・と考えます。
ずいぶん遅すぎる老いの目覚めながら,70回目の春を迎える新しい覚悟です。
皆さん,自らの生きがいを持ち,励みましょう。それにはまず健康です。

2015/12/25掲載

「1月1日・・・心機一転出発の日」 平成14年1月号

 新年おめでとうございます。
皆さんは何回お正月を迎えられましたか。お正月は何回迎えても嬉しいものです。
「1月1日」という日は,まさしく「一」というはじめの数にスタートする新年の第一歩です。これまでの歳月を振り返りますと,躓きや失敗の数々は,すべて,自らの気持ちの過ちであったことを反省いたし,一から人生勉強のやり直しをせねばならぬと新しい誓いを立てます。
同じ日の繰り返しのようでも,「1月1日」は,これから正しく生きる覚悟,そして希望,感謝の心構えの「心機一転」をする大事な出発の日なのですね。
皆さん,お互いに自分の目標を立て,弱音を吐かぬように,一日一歩,しっかりと前進いたしましょう。
皆さんの今年1年間が,健康でありますよう,年の初めに心から念じます。

2014/12/01掲載

「今日なすべきことを一心になせ」 平成13年12月号

今年も残り少なくなりましたね。
1年間が余りにも短くて,一足飛びに師走になった気がしますが,確かに,今年の桜は美しかったし,夏は特に暑かった。
つい先日は,紅葉した落ち葉を拾い集めて楽しみました。
1年間,大自然は,折々の風景で,私達の暮らしに潤いと勇気とを与えてくれたのですが,年間目標の半分も達成できなかった自分の姿に,1年間が早く過ぎてしまったと愚痴が出るのです。
しかし,周りの人々の思いやり,支えを戴き,大過なく歳の瀬が迎えられることに感謝しております。
そして,「過ぎ去れるを追うなかれ。」この釈尊の教えに気を取り直します。
新たに来年こそはと意気込みますが,いくら立派な理想や計画を立てても,命あればこその目標です。
テロ事件や戦争で,罪なきアフガンの人々が命を奪われる悲惨さに胸痛み,これでは人生の希望すらないと,無念です。
だからこそ,平和な日本に住む私は,日本の平和が世界の平和に広がるようにと,ひとりの人間として頑張らねばと思うのです。
それにはまず,自分の心を平和に保ち,「今,ここで,何をなすべきか」自らを省みて考えるのです。
失敗や挫折は人生学習であり,失敗が知恵を生み,挫折が強い人間にと鍛え上げてくれるのです。
どんな小さいことでもいい,コツコツと,自らを偽らず努力・実行することです。
「ただ今日,まさに作(な)すべきことを熱心になせ。」
この釈尊の教えこそ,人生のすべてだと思います。
せわしい年の瀬こそ,今日一日を心身集中いたし,精進してまいりましょう。
そうすれば,新しい年は輝きながら,皆様の元に訪れることでしょう。


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